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Index    （上）　　（中）　　（下）　

ＴＶＡ物語（上）

　1　西部へ！　西部ヘ！　top

　また、ある時は、しのつくような豪雨に、進むことも、しりぞくこともできず、やっとのことで洞穴をみつけてにげこんだり、ある時は、雨あがりのぬかるみに、幌馬車のわだちをとられて立ち往生し、男たちが、ももまで泥んこのなかにつかって、肩で車輪をおしあげ、やっと進んだりもしました。
　しかし、彼らは、へこたれませんでした。
　西部ヘ！　西部へ！　――それは、彼らが、片時もわすれたことのない合言葉でした。なれない長旅で病気にたおれた女たちは、幌馬車のなかでうめき、車がはげしくゆれるたびに、歯をくいしばって苦痛をこらえていました。
　そうしたある日、先頭に立ってウマを走らせていた頑丈な男が、うしろをふりむきざま、みなに向かってさけびました。
　「すばらしい土地だ。こいつぁ、すばらしい土地だぞ！」
　女も子供も、その声を聞くと、馬車からとびおりました。
　そこは、大きな川の上流のほとりで、なだらかな丘が、いくつもいくつもつらなった広い土地でした。
　そこは、自分たちのお爺さんから、よく聞かされたことのある、祖先の生まれ故郷スコットランドの高地によく似ていました。
　彼らのうちのだれひとりとして、スコットランドにいったことなどないのに、土の匂いまでが、同じような気がしてくるのでした。
　見渡すと、なだらかな、スロープをえがいた丘地は、何十キロメートルにもわたってつづき、遠くのほうは、うすもやにつつまれて、ぼうっとかすんでいました。
　――これこそ、我々のさがしもとめていた土地だ。
　これこそ、我々が、切りひらいて種をまき、農作物をつくるべき土地だ。我々の永住すべき土地だ。
　――開拓者たちはみんな、そう強く感じたのでした。
　たくましい開拓者精神にもえた彼らの“新しい村づくり”は、いよいよ、ここにはじまったのです。
　この土地こそ、のちになって、アメリカ全体、いや、世界全体から、いわゆる“ＴＶＡ”とし　て注目をあびることになった、テネシー川の流域なのです。

　　2　テネシー流域の“村づくり”　top

　開拓者たちは、丘のいただきからふもとまで、幾すじものうねをまっすぐにつくり、トウモロコシやタバコやワタを、せっせとつくりました。
　やがて、あちらの丘にもこちらの丘にも、上から下まで、ずっと農作物がみのり、また、その頃は、牧草がふんだんにあったので、家畜も日ごとにこえふとって、いきました。
　開拓者たちは、これから大丈夫だと、たいそうよろこんだのでした。
　こうして、テネシー川のほとりにうぶ声をあげた“新しい村づくり”は、もはや成功間違いたし、とさえ思われたのでした。

　3　暴れだしたテネシー川　top

　テネシー川の流域に移住した勇敢な人たちが、あらゆる苦労をかされて土地を開拓しおえたころに、となりのケンタッキー州を流れるオハイオ川、その支流のマスキンガム川、そして、この二つの川が流れこんでいるあたりのミシシッピー川中流――それら三つの川の流域にも、東部からやってきた、べつの開拓者たちが、それぞれの土地で、“新しい村づくり“に、ちゃくちゃくと成功をおさめていました。
　ところが、世のなかのことは、とかくよいことのあとには、悪いことがおこりからです。
　テネシー川のほとりに、ようやく花をひらきはじめた“新しい村づくり”も、けっして、例外ではありませんでした。
　雨が降るたびにテネシー川が暴れだしたのです。
　テネシー川、オハイオ川、マスキンガム川を支流とするミシシッピー川の中流は、これまでにも、毎年のように氾濫していたのですが、一八八〇年ごろからは、とくに、それがはげしくなってきました。
　開拓者たちが、お爺さんの代から一〇年も二〇年もかけて苦心し、ようやく収穫をあげられるまでに育てあげた農作地が、毎年の出水のためにしだいに破壊されはじめました。
　そのうえ、もっとわるいことには、一四、五年おきに、きまったように大洪水がおそってきて、そのたびに、畑も作物も、家も道路も、あとかたもなく、きれいさっぱり洗い流されてしまうのでした。
　そして、家畜はもちろんのこと、何百人もの人たちが、貴重な生命を失うことも、けっしてめずらしいことではありませんでした。
　なかでも、テネシー川は、流れが、葉脈のようにいりくんで、七つの州をつぎつぎと、はいまわるように流れているため、その被害は、いっそうひろく、そして大きかったのです。
　昔から、“川は文明の母“といわれ、どこの国でも、文明のおこるみなもととなったのは、大きな川の流域でした。
　それは、中国の黄河・揚子江、エジプトのナイル川、インドのガンジス川、古代バビロンのチグリス川・ユウフラテス川などの場合をみれば、よくわかることです。
　しかし、一方、“川口文明の略奪者”ともいかれ、いったん氾濫すると、それは、むごたらしいまでに残虐な略奪者にもなります。
　農民が何十年もかかって育てあげた田畑屯、彼らの血と汗の結晶である一年間の収穫も、あっというまに、根こそぎさらっていきます。
　テネシー川こそは、そうした乱暴者のなかでも、もっともざんこくな略奪者でした。
　それでは、このアメリカ東部の七つの州にまたがって、まがりくねって流れているテネシー川とは、一体どんな川なのでしょうか？

　4　葉脈のようなテネシー川　top

テネシー川というのは、ケンタッキー州の南部から流れこんできて、テネシー州の北部を横に流れているカンパーランド川とともに、“テネシー州の二大河”とよばれる大きな川ですが、この二つの川は、いずれもアレガニー山脈（ヴァージニア州境を南北に走る山脈）の西側にあるカンバーランド高原をみなもととしています。 　地図を見てもわかるとおり、テネシー川というのは、世界でもっともめずらしいといっていいほど、複雑な流れをもった川です。

　まず、東岸のヴァージニア州の西部地方から流れだしたポーエル川、クリンチ川、ホルストン川、北カロライナ州から流れだしたブレンチ・ブロード川、リトル・テネシー川、南カロライナ州とジョージア州とから流れだしたハイワッシー川
――これら六つの大きな支流が、テネシー州で一つになり、それがいったん南へくだり、ジョージア州との境をとおってアラバマ州にはいりこみ、この州の北部をよこぎってから、ミシシッピー州の東北端を流れ、もういちど北へのぼって、ふたたび、テネシー州の西部地帯を縦断して、北どなりのケンタッキー州に流れこみ、この州の西南端にあるパジュカ市で、ミシシッピー川の本流と合流するのです。
　これら六つの支流のみなもとから、ミシシッピー川との合流点までは、直線距離で八〇〇キロもあり、その流れは、まるで葉脈のように、あっちこっちへいりくみ、広がりくねって、ゆうゆうと流れているのです。
　その長さは、ちょうど、東京から九州福岡までの距離に相当し、流域の総面積は二〇万平方キロメートルもあるというのですから、ミシシッピー川の支流というよりも、テネシー川という一つの独立した大河といったほうが、ぴったりあてはまるほどです。

　　5　大水だっ！　にげろっ！　top

　テネシー川のほとりからは、もはや、神の国も天国も消しとんでしまって、残されたものは、ただ地獄だけになってしまったというのでしょうか？
　そして、この人々からは、どんな困難にぶつかっても雄々しく立ち向かっていく開拓者精神は、すっかり消え去ってしまったのでしょうか？

　6　赤はだの畑・ひょろ長い作物　top　

　貧乏であったからこそ、西部に新しい土地を開拓して、ぜひとも成功してやろうと思ったのです。
　それが、たまたま、西部をめざしていく途中、ふと、このテネシー川のほとりの土地を発見して、ここに住みつくことになったのです。
　その頃のアメリカの農民は、けっしてめぐまれた経済状態にあったわけではありませんが、それでも、当時は、一生懸命にはたらいて、倹約をすれば、土地を買ったり、農器具を買ったり、また、子供を学校にやったりするぐらいのことは、充分できたのです。
　だから、彼らのお爺さんたちが、第一に考えたことは、一にも二にも、まず金をもうけることでした。
　それには、手っとりばやく、毎年収穫をあげることのできる作物を畑につくり、それでお金をえることでした。
　そこで彼らは、まず丘の高いほうから低いほうへ向かって、幾筋ものうねをつくり、そこにタバコやワタやトウモロコシを植えたのです。
　最初の年は、それでも、満足できるような収穫をあげることができました。
　それをいいことにして、彼らは、そのつぎの年も、また、そのつぎの年も、ただ、うねをほりかえしただけで、肥料もやらずに種をまきました。
　そこに、彼らの大きな計算ちがいがあったのです。
　土地に種をまけば、やがて芽がで、生長し、秋にはみのる――これは、天地自然の理にちがいありません。
　しかし、土地は、自分のもっている養分を作物に吸いとられ、その分だけ年々やせていくのです。
　土地がやせれば、作物は育たなくなります。
　それを防ぐためには、土地に肥料をやって、作物に吸いとられた養分を、つねに補っていかなければなりません。
　しかし、肥料というものは、科学の発達した今日でさえ、わりに高価なものです。
　ましてや、その頃は、生産費が高いうえに、運送費がべらぼうにかさんだので、肥料は非常に高価なものについたのです。
　交通の不便な、テネシー川のほとりの、貧乏な開拓者たちには、そう簡単に手にいれることのできるものではありませんでした。

　若い元気な息子たちは、もう、こんな貧乏くさい百姓仕事はたくさんだ、どこか、町の工場へ出かせぎにでもいったほうがよっぽどましだ、と不平や不満を爆発させるのでした。
　こうして、テネシー川のほとりの村々は、おおいかぷさるような、重苦しい、暗い雲に、年ごとに大きくつつまれていったのです。

　7  巻きおこった“銅山ブーム”　top

　銅山に出かせぎにきた農民たちは、何年ぶりかに、ほっとした思いで、ささやかながら、生活を楽しむことができました。
　しかし、彼らを喜ばせた、せっかくの銅山ブームも、そう長くはつづきませんでした。
　喜びのうらの悲しみ、楽しみのうらの苦しみが、はやくも足音をしのばせて、彼らの身近にしのびよっていたのです。

　　8　町をほろぼした銅山　top

　農民は、ダックタウンの土地をすて、耕作のできそうな土地をもとめて、べつの村へうつっていきました。
　大木をすっかり切りたおされてハゲ山になった山々は、もはや、雨水を吸いこみ、ささえる力がありませんから、いったん雨が降ると、水は下へ向かってどんどん流れだし、ふもとのほうでは、すぐに大水がでました。
　その流れのはげしいところでは、土地がざっくりえぐりとられて、しだいに深い谷をつくるようになり、また、それまで深い川であったところには、高いほうから運ばれてきたおびただしい土砂や岩石が、川床をうずめつくして水が枯れ、あたり一帯には、川魚の死体がぴかぴかとにぶく光りながら、悪臭を放っているのでした。
　もはや、製錬所の仕事は、つづけたくてもつづけられません。まだ地下の絋石をすっかりぼりつくしてもいないのに、人々はなみだをのんで発掘をあきらめるほかはなかったのです。
　かっては、銅山ブームにわきかえったダックタウンの町も、ひとり去り、ふたり去りして、しだいに人影が見えなくなり、家も工場も雨風にさらされてくちはて、とうとう、しまいには、“死の町”と化して、無人境のように静まりかえってしまったのです。

　9 　“白人のスラム街”テネシー　top

　荒れに荒れていく大地、腐りかたむいていく住い、毎年のように、これでもか、これでもか、といわんばかりに、おそいかかってくる洪水、そして、そのつどふえていく、マラリアやチフスや結核にたおれる病人の数、雨が降りつづくと、黒人の労働者さえもにげだしてしまうというほどひどい環境――そうした数々のせめ苦にあえぎながらも、もはや、べつの耕作地をもとめるにも土地はなく、やとってもらう町工揚もないままに、食うや食わずのどん底生活をつづけるほかはなかったのです。
　かって、あの緑したたる、美しかったテネシー川のほとりは、いまや“白人のスラム街”といわれるぼどの、さんたんたるありさまとなり、大きな社会問題をはらんだ地域として、ようやく、国家の政策のうえにも大きな比重を占めるようになってきました。

　10　　駆けめぐる不景気旋風　top

　これを“世界恐慌”とよんでいますが、アメリカは日本などとちかって、第一次世界大戦（一九一四年七月〜一九一八年七月）ののち、一〇年あまりのあいだは好景気にめぐまれ、農村の不況はべつとしても、一般的には、国民は、その日その日の生活を楽しみ、楽覬的な気風になっていましたが、ウォール街の株価大暴落後わずか四、五か月で、不景気の黒雲が国じゅうをおおいつくしてしまおうなどとは、夢にも思っていませんでした。
　それだけに、国民は、いっそう強いショックを受けたのです。

　　11　全国的な農村の不況　top

　株価の大暴落ののち、労働者のうちでいちばん苦境に立たされていたのは、炭鉱夫と繊維産業労働者でしたが、それ以上に苦しい状態に直面していたのが、各州の農民でした。
　第一次世界大戦以後、アメリカの一般労働者が比較的奸況にめぐまれ、国民の生活も将来しだいによくなりそうに思われたときでさえ、農民だけは取残されました。それだけでなく、かえって一九二〇年頃から、農村の全国的な不況時代がはじまっていたのです。
　一八八〇年頃まてにはぼ開拓を終えた各州の農民は、一生懸命はたらいてお金をため、さかんに土地を買って畑をぶやしました。彼らのなかには、かなり広大な土地の農業主となって成功した者もありました。
　ところが、世界大戦の戦場となったヨーロッパ各国の農村が、戦火がおさまると、かっはつな生産を再開したため、それまでアメリカが輸出していた農産物は、しだいに海外の市場を失い、それにつれて農産物の値段も年ごとに安値となり、農民のふところにはいるお金がへってきました。
　はいるお金がへってくれば、農村ではだんだん物を買うのを手びかえるようになります。
　多数の農民が、買物を手びかえた結果は、国内のあらゆる工業生産品がダブついて値がさがり、今度は、製造業者のふところにはいってくるお金がへるということになります。
　そこで、製造業者も、農産物を買うのを手びかえる。
　海外の市場を失った農民は、こうして、さらに国内の市場をも失うことになります。
　――このような悪循環がくりかえされて、不景気はますます深刻になっていったのです。
　そこへ襲いかかったのが、一九二九年の世界恐慌です。農民は、なさけようしゃなく、貧乏のどん底へと、ひきずりこまれていきました。
　長年苦労して買った土地を売る者、税金が払えくて畑地を売る者、借金がかえせなくて、金融業者に土地をさしかさえられる者などが、続々とでて、昨日までの地主や農業主が、今日は小作人におちぶれて、一日の労働でようやくその日をしのぐ、という例も少なくはなかったのです。
　しかも、せいをだしてはたらいても、農産物の価格は、日を追って暴落し、しまいには、ほとんどゼロにまでさがり、荷車一台分のカラスムギが、靴一足分の値にもならなかったというほど、ひどいありさまでした。

　　12　失業者数一三〇〇万突破　top

　一九二〇年頃には、まるで“永遠の繁栄”を約束されているかのようにみえたアメリカに、なぜ、このような“世界恐慌”の旋風が巻きおこったのでしょうか。
　それには、いろいろな原因があったと思われますが、株式大暴落の直接の口火となったものは、その頃、アメリカの諸都市に、大変ないきおいで発展し、増加してきた“持株会社”でした。
　持株会社というのは、英語では“ホールディング・カンパニー”といって、よその経営会社の株式の全部または大部分を所有して、その経営会社に対して支配力をもつ会社をいうのです。
　たとえば、ここに、ある一つの経営会社があるとします。そして、その経営会社を土台にして、その社の株式を買収した持株会社ができます。
　すると、またその上に、ちょうど二階の上にさらに階をつみかされるように、べつの持株会社ができる
　――こういうぐあいに、つぎからつぎへと、持株会社かつみかさかってできた場合、これを“持株会社のピラミッド化”とよぶのですが、当時のアメリカの場合がちょうどそれで、多数のピラミッド化した持株会社が、好況にまかせて、無制限に有価証券（手形、小切手、株券、債券、商品券、貨物引換券、船荷証券倉庫証券、抵当証券など）を発行したために、株式の大暴落がおこったのです。景気が非常に好況な場合ならば、なんとかうまくいくのですが、一九二九年のときのように、国内の全産業界が不況となり、収益が激減する、というような状態になると、持株会社発行の証券をもっているものは、金銭上で非常な損害をこうむることになり、持株会社自体のピラミッド組織も危機にさらされることになるのです。
　その弊害がどんなに大きなものであったかは、のちに、持株会社の設立を法律で禁止せよ、という案がアメリカ議会に提出されたことによってもわかります。
　それでは、一九二九年からはじまった株式の大暴落とは、一体どの程度のものであったかといいますと、一九三二年のスチール株（スチール製鋼会社の株で、アナコンダ製銅会社の株とともに、アメリカの景気を観測するときのバロメーターともなる）が、三年まえの、一九二九年の株価の十分の一に値下がりし、ほかの諸物価も、そのほとんどが、一九二九年度の半分以下にさがったというのです。
　そうなると、株価の暴落した会社の株式、社債、商品、土地などを低当にして貸借契約をむすんでいた人たちや、銀行は、非常な損害を受けますし、場合によっては破産することにもなります。
　事実、一九二九年から一九三二年までのあいだに破産した銀行の数は、五〇〇〇以上にのぼっています。
　また、三三年までに破産した企業の数は、三〇年が二六三五五、三一年が二八二八五、三二年三一八二二、三三年二〇三〇七あり、金額総計二八億三五七〇万ドル余でした。
　このように破産する企業がふえるにつれ、必然的に失業者の数が増加します。
　ＡＦＬ（アメリカ労働総同盟）の調査による失業者数は、一九二九年二二〇万人、三〇年五〇〇万人、三一年八九〇万人、三二年一三三〇万人と、しだいに増加する傾向を示し、失業者の群れが町にあふれました。
　そのうえ、働ける労働者の賃金が大幅に切りさげられました。大不況によって、資本家たちの利益が少なくなったからというのが、その理由でした。

　　13　建国以来の危機に直面　top

　はなはだしくなると、失業した木材労務者や、食うにこまった貧農が、山林に火をつけて山火事をおこし、その消防作業にやとわれて日当をかせごうとしたことさえあったといいます。

　　14　八つ裂きになった経済生活　top

　アメリカ国民の経済生活の破たんは、もはや、手のうちようがないのではないか、と思われるほどに混乱してきました。
　需要と供給とのつりあいが、つまり、バランスがとれなくなってきました。
　すなわち、生産しても買い手がない、買い手があっても、生産されないというように、いずれかの片方にかたよってしまうのです。
　モンタナ州では、小麦の値段があまり安く、刈り賃にもならないというので、数千ブッシェル（果物・穀物などをはかる単位。一ブッシェルは三〇リットル）もの小麦が畑で立ちぐされになっていました。
　また、オレゴン州では、たくさんのリンゴがほうりっぱなしでした。箱につめて、運賃をかけると、その費用のほうが、リンゴの値段より高くなるので、売るだけ損をするからでした。
　また、ある州では、ジャガイモが、農家の納屋に山とつまれたまましなびてしまい、しまいには、干して燃料のたしにしたといいます。
　牧畜のさかんな西部のある州では、ヒツジやブタが、飼い主の手で何千頭もころされ、谷や川にすてられたりましました。
　これも、輸送賃をかけて売りにだしても、損をするからでした。
　農民が生産過剰で貧乏している他方では、何百万もの都会人が、食べ物がなくて、空腹にがまんができず、こじきをしてあるいたり、ゴミ箱をあさったりしていたのです。
　五日間、野イチゴとリンゴしか食べずに、職をさがしあるいていた親子が、いきだおれになったというかなしい話もあります。
　食物ばかりでなく、南部の綿作地帯では、ものすごく大量の綿花が、やはり、畑で立ちぐされになりました。
　つみ賃があまりやすくて、ワタつみをしても生活かできないところから、やとわれてくる人が、だれもいないからです。

　　15　まるで地獄絵……　top

　街頭には、いたるところに“靴みがきの少年”がならんでいました。
　しまいには、失業した中年の男や老人までが、靴みがきになって街頭へ進出するありさまでした。
　以前には、一五、六歳以下の少年がしているのを、たまに見かける程度でしたのに、その頃のニューヨーク市の靴みがきの数は、七〇〇〇人にもふえました。
　にわかじたての街頭セールスマンや新聞売り子の数も、きわだってふえていきました。
　それだけなら、まだよいのですが、しだいに犯罪の数も増加しはじめたのです。
　けんか、かっぱらい、さぎ、麻薬、殺人――そして、青少年にもそれがうつっていきました。
　地下鉄の入口、公園、駅の構内近くなどには、いつも大勢の浮浪者が集り、そこにも犯罪の芽が育てられていました。
　空腹に耐えかねた青少年は、農家の庭さきや、果樹園の果物をかっぱらう。
　ニワトリやアヒルやシチメンチョウなどが、外へ迷いでるのを待っていて、ワナをしかけてつかまえる。
　ときには、子ブタすらつかまえて食べてしまうというようなことをするのでした。
　パンの運送トラックからパンをかっぱらっていく少年もありました。
　しかし、かっぱらいだけではすまなくなってきました。

　16　“パンよこせ”デモ　top

　向こうっ気の強い肉屋のおやじさんは、拳銃をつきつけて、
　「一歩でもはいってみろ、この銃が、てめえたちのどてっぱらに、風穴をあけるぞ！」と、威勢のいいたんかを切っておどかしながら、デモ隊のなだれこんでくるのをくいとめようとしましたが、なにしろ、こっちはたったひとり、向こうは、飢えで殺気だった何百人ですから、どうすることもできません。
　拳銃をもぎとられ、組んずほぐれつしているうちに、おやじさんは腕の骨をへし折られてしまいました。
　さわぎを聞いた警官隊一〇〇人が、現場に急行して、ようやくとりしずめ、デモを指揮していた七人の男を逮捕しました。
　このミネアポリス市は、ミシシッピー川の左岸にありますが、向こう岸にある、この州の首都セントポール市でも、おかし日の同じころに、やはり失業者デモに参加した群衆の一団が、下町のほうにある商店をおそって、タバコ、キャンデー、リンゴなどの商品をかっぱらいました。ここで右警官が出勁してとりしずめ、三人の男を逮捕しました。
　このままではすみそうもない。何かがおこりそうだ。
　それがなんてあるのかは、よくわからないが、しかし、何かがおこりそうなのだ。
　いや、何かがおこらなければ、もう、しようがないのではないか――国民のだれしもが、そんな気持になってきて、何ともいいようもないほど不気味な空気が、アメリカじゅうにみなぎってくるのでした。

　　17　横行するギャング　top

　どこの国でも、また、いつの時代でも、同じことなのですが、こういうときには、社会のあらゆるところに欠陥があるので、いろいろな社会悪がはびこってくるものです。
　かっぱらい、けんか、さぎ、おどし、強盗、殺人――そういった犯罪が、平気で行われるのです。
　大人がやるから、子供もそれをまねるようになるのです。
　社会の片隅では、まじめにはたらいても、その日その日が、食べていけない、病人がでても医者にかけるための金がない、子供を学校にやれない、というようなみじめな人々が、うようよしているというのに、都会の大通りでは、カフェー、バー、とばく場などの歓楽場がはんじょうして、そこがまた悪の温床となって、酒類の密造・販売、麻楽の取引など、あらゆる犯罪の作戦本部になるのです。
　腕っぷしの強い、目はしのきく悪党は、手下をひきつれてボスになり、人の命を虫けらほどにも思わず、ころし屋を使ったり、ピストルや機関銃をぶっぱなしては、自分の思うような悪事にふけるのでした。
　シカゴやニューヨークは、とくに彼らの根城なのでした。
　ギャング団は、また、土地や店舗や建物の売買にも、むりやりあいだに割りこんで不当なサヤをぱくったり、自分たちのとりあつかっているいかさま商品を、各都市の商店に強制的に置いて、販売させ、売れても、売れなくても、毎日見まわりにきては、べらぼうな額の金をとりたてていくという、あくどいことを平気でやってのけるのでした。
　もし、彼らの商品を置くことをことわったり、金をだすことをいやがったりすれば、たちまちピストルをぶっぱなし、店のなかの商品から家財道具まで、めちゃくちゃにぶちこわしてしまうのです。
　警察へ知らせようものなら、その人は翌日には、死体となって、どぶ川に浮いている、という運命になるのでした。
　大がかりな脱税もあさめしまえでした。
　彼らはまた、港湾の荷役人や、タクシーの運転手や、ビル街のそうじ人などをおどかして、自分たちのつくっている組合にむりに加入させ、非常に高い組合費をはらわせるのでした。
　これをことわれば、人通りのないところへっれていって、なぐる、けるの暴行をくわえたり、妻や子供を誘拐したりして、結局は、いうことをきかないわけにはいかないように、しむけるのでした。
　いためつけられた人々のなかには、まじめにはたらいてもこんなひどい目にあうのなら、いっそのこと、自分も悪いことをしてやれと、危い商売に首をつっこんだり、ギャングに仲間いりしたりするものも、でてくるのでした。
　ギャングの大親分になりますと、警察にも、刑務所にも、買収されて彼らの言いなりになり、重大な情報をおしえてくれたり、はいっている手下に、いろいろな便宜をあたえてくれたりするような、息のかかった刑事や、看守をもっているのでした。
　政界や財界にも顔をきかせていますから、裁判にかけられても、子分が身がわりにたって罪をしょったり、わいろをつかってうまくごまかし、無罪になることがおおいのです。
　連邦検察官ネスが、彼らのしつこい買収の手をしりぞけ、ピストルを片手に、ウィスキーの密造工場や、インチキとばく場や麻薬売人の隠れ家などを急襲して、ギャングの親分と壮絶な対決を演ずる、テレビ映画『アンタッチャブル』の時代的背景は、この頃のアメリカなのです。
　一九四七年、アトランタ市の刑務所を保釈出所中に、四九歳で死んだ犯罪王アル・カポネが、ギャング団の大親分として、おおくの手下をあごひとつで動かしてたくさんの人間をころさせ、アメリカ中の酒類密造・密売を組織的に商業化し、数百万の月収をあげ、フロリダ海岸にぜいたくな別荘をかまえ、防弾装置つきの自動車にふんぞりかえり、「暗黒街の帝王」、「夜の大統領」として、善良な市民たちをちぢみあがらせたのも、やはりこの頃の話なのです。