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ＴＶＡ物語（下）

　30　生まれかわった“テネシーの顔” top

　テネシー渓谷の開発には、このように大変多くの費用と年月とをかけましたが、そのかわり今日では、あの毎年のように洪水さわぎをおこし、「魔の川」とよばれていたころの、利用価値の全くなかったテネシー川の面影は、もはや、どこにもみつけることができません。
　怪物テネシーは、とうとう、科学の力ですっかり手なずけられて、「人間に奉仕する川」となってしまったのです。
　「国破れて山河あり」とか、「変らぬものは、ふるさとの山川」とかいって、山々川を、いつまでたっても形のかわらないもののたとえに、よくひっぱりだしますが、少なくとも、テネシー川についてだけは、こういう例えは、もうあてはまらなくなったわけです。
　そしてテネシーの水は、いまや流域の人々――年寄りにも子供にも、男に有女にも――すべての人々にとって、なくてはならない水、命のつぎに大切な水となったのです。

ダムの増加とともに、電力の生産が豊富になった

やがて、みのりゆたかな秋となって………

    31  大洪水？！　管制所の緊張 top

一九四二年の冬に、テネシー川の流域に大変な大雨が降りました。 　テネシー州とバージニア州を流れる二つの支流は、もう大水がではじめました。 　もし、ダムができていなかったら、この水がテネシー川の上流に流れ込んできて、だんだん水かさをまして、本流の大氾濫がおこるところです。 　ダムはすっかりできあがり、ＴＶＡの管制所は、手ぐすねひいて待っていました。 　中央管制所から、各支流のダムに指令がとびます。 　まず北力ロライナ州の山奥にあるハイワッシー・ダムの管制室が指令を受けます―― 　「ハイワッシー・ダムは、流水全部をせき止て、本流に流れないようにしろ？」 　――管制室の操作ボタンがおされると、大きな鉄の扉は、たちまち閉められます。

ケンタッキー・レーク州立公園の水泳場

ハイワッシー・ダム

　幸い出水でこわされたところは、どこにもなかったし、出水さわぎもおこらず、仕事は平常どおりにつづけられていたのです。
　もしダムができていなかったら、チャクヌーガの軍需工場の機械は、何メートルも水にひたされて運転不能になり、一〇〇万ドル以上の損害を受けたにちがいありません。
　このように、中央管憫所が、ダムの操作員にたいして指令を的薤にだすことのできるのは、その日その日の雨量と水位が報告され、それをもとにして、数日前に増水量をあらかじめ計算できるような、大きな仕組ができているからです。
　本流や支流に設けられた三〇〇の観測所からは、それぞれの持ち場の川の毎時の水位が、電話や短波岸テレタイプで、ＴＶＡ予報部長の手もとに通報されてきます。
　また、それとはべつに、何百もの雨量一観測所が遠い所に設けてあって、ここからも雨量の報告がはいってきます。
　農家のおかみさんからも、雑貨屋のおやじさんからも、山奥にいっているきこりからも、電話で雨量の報告がきます。
　人のなかなか近よれないような山奥には、ＴＶＡが考えだしたものですが、短波ラジオを利用した巧妙な装置がしかけてあって、雨量を自動的に報知してくれるようになっているのです。
　こうしたいっさいの報告は、技術者の手で整理してまとめられ、これをもとにして、次の日、また、その次の日に、川の水かさがどれぐらいふえるかということが、大体正確にわかるのです。
　そして、昨日の報告は、今日の報告と照らし合わせて、もう一度よく調べられ、明日の報告のとき訂正されます。
　こうやって、科学的に一番正しいと判断された資料が、各川の管制室に伝えられるのです。

　　32　オハイオ川の大洪水 top

　このため、濁流は、オハイオ州はもちろんのこと、イリノイ州、ペンシルベニア州にわたる広い地域に被害をおよぼし、人々は、濁流に洗われるわが家を見すて、ボートに乗って避難しなければならないありさまでした。
　この洪水は、第二次世界大戦以後では、一番大きな洪水で、合衆国赤十字社では、死者二四人をふくめて一〇万人以上が被災したであろう、といっております。
　被害総額は、すくなくとも五〇〇〇万ドル（日本の今のお金で一八〇億円）は下るまい、とみられています。
　ジョンソン大統領は、ヘリコプターに乗って水害地を視察し、その被災地域の大きなことにおどろき、至急対策をたてることを、議会に要請しました。
　オハイオ川は、ペンシルベニア州からでて、オハイオ州と西ヴァージニア州との境を流れ、ついでインディアナ州とケンタッキー州との境を洗い、さらにイリノイ州とテネシー州との境をとおって、パジュカ市でテネシー川と合流し、ミシシッピー川にそそぐ川です。
　カンバーランド川、テネシー川、マスキンガム川、オハイオ川にの四つの川は、どれもみなミシシッピー川の支流になっていて、テネシー、ケンタッキー、イリノイ、ミズーリの四つの州が、お互いに接しあう地点までの間で、四つの川は、それぞれミシシッピー川と合流するのです。
　そして、カンバーランドが氾濫しても、テネシーが氾濫しても、また、マスキンガムが氾濫しても、影響をうけるのはオハイオ川なのです。
　従ってオハイオ川が氾濫すれば、ミシシッピーの中流地帯にも影響するといった関係にあるのです。
　この四つの州に、開拓時代の昔から、とくに洪水が多かったのは、こうした地理的関係があったからです。
　ＴＶＡ以来、テネシー川は氾濫しなくなったから、オハイオ川岸ミシシッピー川とは、支流であるということ以外には、関係がないように思われがちですが、じつは氾濫しなくなって影響をあたえなくなったという点て、かえって密接な関係にあるともいえましょう。
　とくに、ミシシッピー川は、今日では、テネシー渓谷地帯の一部にくわえられているようなかたちになり、海に面していないアラバマ州の北部に造船所ができ、竣工した大洋航行の汽船が、テネシー川を下ってミシシッピー川にて、ミシシッピーを下ってメキシコ湾にでるといった、切っても切れない関係さえ生まれているのです。

　　33　輝くＴＶＡの成果 top

　ＴＶＡがどのような成果をあげたかということは、これまでにも説明しましたが、開発以後の産業を、もうすこし調べてみましょう。
　ただ、ここで心にとどめておかなければならないことは、――ＴＶＡの事業というものは、あくまで一つなのです。
　土地、水、鉱石、森林といった、たがいに切っても切れない関係にあるものを、全部一つのものとして、それらのお互いのかかわりあいをにらみあわせながら、開発していき、それらが最大限の効果をおさめられるようにするのが、ＴＶＡ事務局に負わせられた任務であり、責任なのだ、ということなのです。

　また最初から特別に、失業者解消を目ざして大がかりに行われた植林事業も、ようやく効果をあらわし、流域のいたるところに森林がふえ、カシ、黄ポプラ、黄松その他の木材が、さかんに生産されるようになりました。
　ＴＶＡ以後、とくに注目されなければならないものの一つとして、湖水利用の養魚場があげられます。
　赤くにごった以前のテネシー川とはうってかわって、いまは青々と澄んだその水を、満々とたたえた湖水は、かっこうの養魚場となっております。
　魚の種類も四○種以上にのぼり、魚の数もＴＶＡ以前の四〇倍にふえ、川の中でも以前の一五倍以上になっているといわれます。
　年々六〇〇万ドルをくだらない魚が、住民の食膳にのぼり、海のないテネシー州民をよろこばせています。
　魚獲高も二五〇〇万ドルを上まわる日もそう遠くないとみられ、将来性のある、有望な産業の一つとなりました。

　開発がすすみ、人口がふえ、農工業が栄えてきた結果として、商業は当然さかんになり、ダムのあるところ、波止場のあるところ、工場のあるところ商家が立ちならび、とくに、メンフィス、チャッタヌーガ、ノックスヴィル、ナッシュヴィルなどは、州内の商業中心地となって栄えています。
　工業はいまでは、この地方の産業経済の根幹となったばかりでなく、合衆国の工業の重要部分となってきたといっても、いいすぎではありません。
　もともと、絋物の埋蔵量の豊富なアパラチア山脈をひかえた渓谷地帯の工業原料は、非常に豊富で、鉄、石炭、アエン、ボーキサイト（アルミニウム鉱石）、大理石、石灰石、クレー（れんが、タイルの原料）、陶土、リン酸、木材（パルプ原料）がたくさんとれるので、これを原料とした工業が、豊富な電力と石炭にささえられて、さかんに行われております。
　また、リンサン肥料のほかに、最近では、収穫高のおおい綿からとる綿実油の製造も、相当な量にのぼっており、ＴＶＡ工業部の製作する農業用の機械器具も、生産高の点でも注目されなければなりません。
　昔、無計画に採掘したために、廃虚となってしまったダックタウンの町も生き返って、製銅所は仕事を再開しました。
　煙を無害にする新しい技術的方法の副産物として、硫酸がとれるようになり、今日ではこのほうが、銅よりも大切にされています。
　そのほか、まだ地下には、科学がそれに目をとめなかったために、利用されずにうずもれていた鉱石が、五〇種以上もあったのです。
　北カロライナ州の山からとれる橄欖（かんらん）石などはその例で、この鉱石の四分の一がマグネシウム金属なのです。
　そのほか、メリケン粉、家具、帽子、靴、鉛筆、炭素電極、ボート、酸素、アセチレンなどの製造小工業も、運送の便利な湖水の沿岸で、さかんに行われるようになりましか。
　ＴＶＡの電力生産高は、ダムのおかげて年々増加し、アメリカ第二の発電能力をもつようになり、一九四四年には、ばやくも、一二〇億キロワット時の電力を供給できるようになったのです。
　一キロワット時の電力は、人間のエネルギーの一〇時間分に相当しますから二二〇〇億人分のエネルギーが、この流域から生まれていたわけです。
　このおどろくほど厖大な電力が、流域にあらゆる大工業、小工業をおこし、わずか一〇年あまりの間に、合衆国でも指おりの工業地帯に、のしあがったのです。
　また、この電力は、いまでは、流域農村のいたるところに、クモの巣のようにはりめぐらされた電線をつたって、農民の生活を大きくかえてしまいました。ＴＶＡ以前には、石油ランプを使っていたというのに……。

　　34　戦力にも利用されたＴＶＡ top

　　35　渓谷の誇る文化施設 top

　このＴＶＡの事業がはじまってから二六年間に、いろいろな施設に使われた金は二〇億ドルをこえ、三名の理事のほかに、一五〇〇〇人からの職員をかかえるようになったのです。
　このように、一地方の資源を総合的に開発するということを、世界で一番最初に手がけたＴＶＡは、ここに見事に大きな成果をおさめたのです。
　この大成果に目を見はっておどろいたのは、単にアメリカ人だけではありませんでした。
　世界じゅうの人々がその成功に注目したのでした。
　一体、その秘密は、どこにあるのだろうか――と、ＴＶＡをおとずれる人たちが一〇〇〇万人以上にもおよびました。
　こうして、アメリカのＴＶＡは、いまや「世界のＴＶＡ」となったのです。

　　36　むすびとして top

　滅亡寸前にあったアメリカを救ったものは、実にこのＴＶＡであったのです――それは、資本主義経済国アメリカとしてははじめての、大公共事業というかたちをとったＴＶＡであり、自然の開発としては、はじめての、総合開発という、それまでにない方式をとったＴＶＡであったのです。
　今日、「世界の目」が、ＴＶＡを注目する理由も、実は、その点にあるのです。
　資本家の反対と強迫を敢然としりぞけて、法案のために、一二年間、ただ一人で闘いつづけたノリス上院議員の熱意と努力、そして、ノリス法案を採択して、ニュー・ティール政策をうちだした、ルーズベルト大統領のすぐれた見識と英断とが、ＴＶＡの輝かしい成功をもたらし、アメリカの危機を救ったことに間違いはありませんが、ＴＶＡ成功の功労者として、もう一人、忘れてはならない人に、ダビット・リリエンソールという人がいます。
　リリエンソールは、ＴＶＡが創設されると同時に、三名の理事の一人に選ばれ、一九四一年には、理事長となり、一九四六年に理事長をやめましたが、十数年間というもの、資本家の攻撃とたたかい、資金の調達に苦心しながら、ＴＶＡが間違った方向へそれないように、苦境をのりこえて成功するようにと、文字どおり日夜寝食を忘れて、ＴＶＡのために努力をつづけたのです。
　ＴＶＡをやめたのちは、原子力委員会の委員長になりましたが、このリリエンソールが、一九四三年一〇月、『ＴＶＡ――民主主義は前進する』という本をあらわしましたが、そのなかには、
　「我々が、いよいよできあがったＴＶＡのダムにかかげた扁額（へんがく＝石に刻みこんだ文字）……そこには、理事とか技術者とかいった、おもだった役員の名前などは、ひとつも言かれていない。
　ただ『合衆国市民のためにつくられた』という一句がきざまれているだけてある」
　という、大変感銘ぶかい言葉が書かれています。
　彼、リリエンソールのいうとおり、たしかに「合衆国市民のためにつくられた」ＴＶＡであるはずなのでした。
　しかし、現実には、そうではなくなってきたのです。
　戦争中、テネシー渓谷地帯のオークリッジで、原子爆弾がつくられていたことを、全く知らなかった大部分の合衆国市民たちが、一体、ＴＶＡはだれのために、また、何のためにつくられたのか――ということを悟って、「合衆国市民のためにつくられた」ＴＶＡの本当の姿を、一日もはやくとりもどす日のくることを、私たちもまた、ここでつくられた原爆に二度も見舞われた国の市民の一人として、節にこいねがわないではいられないのです。
　――テネシーの青き流れよ、永遠に民衆とともにあれ！