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三章　彼女たちは、なぜ日本にきたか

1 買われるアジアの女性たち top

　日本から、わざわざ飛行機にのってやってきて、団体で買春する日本人の姿は、そこに住む人の目には、とてもみにくく見えました。
　そこで、買春ツアーを企画する旅行会社の人たちにたいして、「そんなことで、お金をもうけて恥ずかしくないのですか」と問いかけたのが、さっきの台湾の男性でした。
　でも本当は、買春をする日本人の男性にたいして「そんなことをして恥ずかしくないのですか」といいたかったのではないでしょうか。
　韓国や台湾のほか、日本人男性は女性と遊ぶために、フィリピンやタイにもでかけていきました。
　アジアの国々は、日本より物価が安いので、少しのお金でたくさん遊べるからです。
　そして“旅の恥はかきすて”というように、外国ならどんなことをしても、恥ずかしくないと思ったのかもしれません。
　日本人はお金持ちだから、なにをしてもよいと考えた人もいるかもしれません。
　でも、まるでみやげ物を買うように、女性の体をお金で買う日本人の行動を許せないと思ったのは、台湾の男性だけではありませんでした。
　“買春ツアーをやめて”という声が、やがて韓国やタイなど、アジアの女性たちからあがりました。
　日本人男性のために、同じ国の貧しい女性たちが、体を売らなければならないのは、たえられないことだからです。
　そして、日本人の女性たちも声をあげました。自分の夫や恋人が、外国で女性を買っているなんて、恥ずかしいことだからです。
　こうした声が反映されて、やがて、堂々と買春ツアーがおこなわれることは、少なくなりました。
　でも、セックスの相手として、アジアの女性たちを買う日本人が、いなくなったわけではありません。

2 ある殺人事件 top

　1991年のある日、茨城県の小さな町で殺人事件がおきました。朝、タイ人の女性が、ふとんの上で殺されていたのです。
　逃げていた犯人は、まもなくつかまりました。
　殺された女性はレックさんです。彼女と同じ家に住む三人のタイ人女性が犯人でした。
　しらべてみると、いろいろなことがわかってきました。
　被害者のレックさんも加害者の女性たちも、日本人の経営する同じスナックで働いていました。
　そこでは、彼女たちのほかにも、タイ人女性が数人働いていました。
　お酒をのみにきた客の男性は、気にいった女性がいるとお店に金をはらい、女性をホテルヘつれだすことができます。
　あとは女性を好きなようにできるのです。
　日本にきて数年になるレックさんは、日本人の経営者から、店で働く女性たちの管理をまかされていたようです。
　警察につかまった女性たちは、日本にきて数ヵ月しかたっていませんでしたが、その間どんなにつらい毎日だったかうったえました。
　　｢故郷の家族に仕送りをするために、日本に働きにきました。
　日本のレストランで、いい仕事があるからとさそわれたのです。
　でも、実際には男の人と寝る仕事でした。だまされたのです｣
　　｢お金を借りたことはないのに、350万円の借金があるから、それを返すまでは働かなくてはならないといわれました。
　給料は一円ももらっていません」
　「休みは一日もありません。高熱があっても休ませてもらえませんでした」
　「レックさんに監視されて、家からかってに外出することは禁じられていました。
　逃げたかったけど、自分かどこにいるかもわかりません。日本語もわかりません。
　それに、もし逃げたら、おいかけて殺すとおどされていたので、こわくて逃げられなかったのです」
　「毎日毎日知らない男の人と寝なければならず、体も心もずたずたでした。
　私は家畜のように働かされるために、生まれてきたのではありません。
　ここから逃げ出すためには、レックさんを殺すしかほかに方法がなかったのです」
　地獄のような日々から自由になるために、彼女たちはレックさんを殺してしまいました。
　そして、取上げられていた自分たちのパスポートを取戻すために、レックさんのバッグをとってにげました。
　ところが、そのバッグのなかには大金がはいっていました。
　そのために、彼女たちは強盗殺人罪という重い罪で、裁判にかけられることになったのです。

3 助けを求める女性たち top

　殺人事件がおきてしまったことは、かなしいことです。
　でもじつは、彼女だちと同じような、ひどい目にあいながら働いている外国人の女性が、日本には何万人もいるのです。
　事件にはならなくても、私たちの目にふれないところで、いろいろなことがおきています。
　1980年頃から、アジアの国から日本に出稼ぎにくる女性たちが増え始めました。
　暴力団のような組織が、アジアの国から女性をつれてきて、日本で働かせるのです。
　その仕事は、ほとんどがホステス（店で男性にお酒をついだたりする仕事）やストリッパー（男性の前で、裸になって踊りを見せる仕事）など、日本の男性に性的なサービスをする仕事でした。
　ですから、日本人の男性は、海外に買春ツアーにいかなくても、国内でアジアの女性を買えるようになったわけです。

　シェルターにかけこんできた女性の大半は、フィリピンやタイなど、アジアの国からきた女性たちでした。
　彼女たちは、日本で傷だらけになって、故郷へ帰っていきました。

4 彼女たちの故郷 top

　駅のまえには、宿屋が一軒と食堂が二軒あるだけです。
　そこから車にのり、一本道をはしって市内にむかいました。
　道の両脇にはたんぼがひろがり、稲穂の美しい緑がかがやいています。
　遠くには山並みが見え、強い日ざしが、ときおり雲にさえぎられます。
　しばらくして、車は市内にはいる手まえで、道をおれて細い道をすすみ、小さな集落へとはいっていきました。

　ノイさんの家も、小さな木造の家でした。
　年とったお母さん、結婚して働きながら子供を育てているお姉さん、おばさん、甥（おい）や姪（めい）たちが暮していました。
　お父さんは、ずっとまえに亡くなったそうです。
　小学校を卒業したノイさんは、お母さんを手伝ってたんぽや畑で働いていました。
　タイ北部の伝統で、すえっ子のノイさんには、親のめんどうをみる責任があったからです。
　タイの女性はとても親思いです。親孝行をすることが、生きていくうえで、とても大事なこととされています。
　ときには自分を犠牲にしてでも、両親に楽をさせたいと考えるのです。ノイさんも、そういう一人でした。
　タイは米を世界中に輸出していて、米作りで有名です。
　でも米をつくっている農民自身は、けっして豊かではありません。
　お米がたくさんとれても、街からくる米の業者は高く買ってくれませんし、不作の年にはお米を全部売ってしまい、お金をだして自分たちの食べる米を買うこともあるのです。
　そして最近では、オートバイを買ったりテレビを買ったり、いろいろと現金が必要になることがふえました。
　でも、農村では現金が手にはいるような仕事は、ほとんどありません。
　そこで、ノイさんは大都会のバンコクへ働きにいくことにしました。
　村には出稼ぎにいっている人が、ほかにもたくさんいます。

　ノイさんがつとめることになっだのは、バンコク郊外にある大きなジーパン縫製工場でした。
　ここにはノイさんと同じように、田舎からでてきた、二十歳（はたち）前後の女性が、たくさん働いていました。
　給料は安く、実家に仕送りをしてしまうと、手元にはほとんどお金はのこりませんでした。
　ある日、ノイさんに「日本に働きにいかないか。工場でいい仕事があるよ」と声をかけてくる人がいました。
　その人の話では、日本の工場の給料はタイの五倍だということでした。
　そして日本へいくための費用は、日本にいってから、働いてかえせばよいということでした。
　日本が繁栄した国だということを、ノイさんは聞いて知っていました。
　ノイさんの身のまわりにも、日本の会社の製品がたくさんあります。
　シャンプー、洗剤、スナック菓子、ラジカセ、テレビ、冷蔵庫、扇風機。タイ語に訳された日本のマンガを読んだこともあります。
　街をはしる自動車やオートバイのほとんどが、日本のブランドのものです。
　日本にいけば、きっといいことがあるような気がしました。
　お母さんのために、新しい家を建ててあげられるかもしれないと思いました。
　日本で働く女性の多くが、ノイさんと同じような気持ちで、日本行きを決心したのでした。
　でも、成田空港についてから、つれていかれたところは、工場ではありませんでした。
　どこかわからない、小さな田舎町のスナックでした。
　ついたその夜から、「男性の相手をしろ」といわれました。
　ノイさんは自分の身におきたことが、すぐには信じられませんでした。
　その夜から毎晩のように、日本人の男性が、ノイさんの体を買いにきました。

5 裁（さぱ）かれるべきなのはだれ？ top

　茨城県でおきた殺人事件の裁判は、約二年半かかりました。
　裁判では、弁護士（裁判にかけられた被告を弁護する人）と検察官（犯罪を捜査して、裁判にかける人）が真正面から対立しました。
　弁護士は、

と無罪を主張しました。　一方

　彼女たちをだまして日本に売りとばして、お金をもうけた人。
　彼女たちを買いとって、さらに高い値段で売ってもうけた人。
　彼女たちを働かせて、もうけていたスナックの経営者。
　彼女たちの体を買って遊んだ男性たち。彼女たちを人間として扱わなかった人たち。
　こうした人たちは、なにも裁かれることなくすんでいるのです。

6 働くために海をこえて top

　学校にいくとちゅうで、作業着をきて働く、外国人の男性の姿を見たことのある人もいるでしょう。
　その仕事は、最近の日本人がやりたがらない３Ｋの仕事――きつくて、きけんで、きたない仕事だといわれます。
　なぜ普通の会社で働けないのでしょうか。
　じつは、特別の資格や技術をもっていない外国人は、日本では働いてはいけないことになっているのです。
　たとえば大学の先生やお医者さん、ジャーナリストやエンジニア、コックや歌手などは、許可をもらえば自分の仕事をしてお金をもらってもいいのです。
　しかし、そういう資格のない外国人が、普通の仕事をすることは禁止されています。
　でも実際には、数十万人の外国人が、資格のないまま働いています。
　日本が大変な経済発展をとげて繁栄していることは、世界じゅうの人が知っています。
　自分の国で働けば一年分の給料が、日本ではひと月でもらえるとしたら、だれだって日本で働いてみたいとおもうでしょう。
　知らない国で働くのは、大変かもしれないけれど、家族のしあわせのために頑張ろうと考えるでしょう。
　それでイラン、パキスタン、バングラデシュ、中国、韓国、フィリピン、タイ、マレーシアなどから、たくさんの人が日本で働くために海をこえました。
　日本はとても豊かになっだのに、もっともっと豊かになろうとおもって、どんどん仕事を増やしています。
　そのせいで、人手不足がおきました。仕事はあるのに、仕事をする人がたりないのです。
　とくに３Ｋの仕事をする人が少ないので、もし外国からでも働きにきてもらえたら助かります。
　こうして、日本で働きたい外国人と、人手不足で困っている雇い主とのちょうどいい組合せができました。
　でも政府は、外国人の単純労働を禁止していますから、工事現場や工場やスナックで働く外国人は、とても弱い立場におかれます。
　そのためにいろいろな問題がおきています。
　たとえば、同じ仕事をしているのに、日本人より賃金が安かったり、もっとひどい場合には賃金をはらおうとしない雇い主もいます。
　仕事中にけがをしても、なんの補償もありません。
　病気になっても、保険にはいっていないので治療費が高くて、病院にいけません。
　病気が重くなって病院にいっても、診療してもらえないこともあります。
　雇い主の気にいらないことがあると、すぐにくびにされます。働く者の権利が、少しもまもられていないのです。
　本当は、その人がどんな立場であっても、仕事をした人にはきちんと賃金をはらわなければいけないという法律があります（労働基準法）。
　しかし、外国人労働者が弱い立場にあるのをいいことにして、悪い条件で働かせて、なんとも思わない人がいるのは、とても残念なことです。
　もし彼らがいなかったら、日本の経済は困ってしまうでしょう。
　法律は外国人労働者をみとめていませんが、実際には必要なのです。
　そして必要でなくなれば、追い出せばよいと考えているのです。
　日本の社会は、自分たちの都合のよいように、彼らを利用しています。
　彼らにしてみると、せっかく日本にきたのだから、少しでもお金をためようと思って、条件が悪くてもがんばって働くしかありません。

7 日本人の心は豊かか？ top

　このように、日本に働きにくる人のほかにも、様々なアジアの人が日本で暮しています。
　大学に勉強をしにきた留学生、日本語を学びにきた人、研修にきた人、日本人と結婚した人などです。
　日本人との間に子供の生まれた人もいます。そうした人たちにとって、日本は暮しやすいところでしょうか。
　電気製品がたくさんあって地下鉄が走って、食べるものもたくさんある日本は、便利で暮しやすいところかもしれません。
　でも、「日本人とは、仲良くなれませんでした」といってかえっていく留学生も少なくありません。

　でも、日本のなかで、同じ町に住む外国人と仲良くできなかったら、いくら海外にたくさんでかけても、いくら英語がじょうずに話せたとしても、国際化とはいえないのではないでしょうか。
　アジアの国々から、たくさんの人々が日本に働きにくるのは、日本が経済的に繁栄しているからです。
　確かに、日本とアジアの国々とでは、経済面では大きな差があります。
　でも、日本人とアジアの人々との間に、人間として“差”があるわけではありません。
　言葉や習慣、食べ物などの“ちがい”はありますが、人間の価値に差はありません。
　けれども金持ちになった日本人は、時々そのことを忘れてしまい、自分たちだけがえらくなったように思ってしまうのです。
　それで、アジアの人たちの体や心を傷つけるようなことをしても、へいきな顔をしていられるのです。
日本人の心は、とても貧しくなってしまったのかもしれません。
　日本で働き、日本で暮すアジアの人々のことをもっと知り、お互いを理解しあうことが大切です。
　そして日本の社会を、アジアの人々が苦しめられることのない社会に、変えていきたいものです。