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�W　アメリカ帝国主義を破る――1975年春の大攻勢

　1　戦争を拡大したニクソン・ドクトリン top

　　ニクソン・ドクトリン（理論）

　ベトナムにたいするエスカレーション政策に失敗して大統領を辞めたジョンソンのあとをニクソンがひきついだ。
　第二次大戦直後のトルーマン大統領から数えて、ベトナムにかかわる五人目のアメリカ大統領である。
　ニクソンはその基本的戦略として一九六九年七月「ニクソン・ドクトリン」を発表した。
　それは第一に経済、軍事面でのアメリカの力を安定、強化し、社会主義国、とくにソ連にたいする優位を確保し世界におけるリーダーシップの位置を保持すること、
　第二に、ソ連と中国の間にある対立を利用して交渉を行い、社会主義大国との間には「緊張緩和」の状態をつくること、
　第三に、アメリカの同盟諸国にたいしては責任の分担を要求するが、アメリカは、従来の約束は必ず守り、必要な援助、協力は続けることなどを内容としていた。
　この対外政策の根底には、当然のことながらエスタブリッシュメントたちの意思が働いていた。
　社会主義大国との間に緊張緩和の状態をつくるということは、二つの主なねらいがあった。
　第一に、エスタブリッシュメントの中心、多国籍企業と呼ばれる巨大資本のために、社会主義国も彼らの市場にしてしまうことであった。
　ベトナム戦争であらわれた大量の海外軍事支出は、アメリカの国際収支の赤字を生み、インフレをすすませ、アメリカの商品の国際競争力を低下させた。
　日本や西ドイツにその市場を脅かされていた。
　アメリカの独占資本はソ連の広大な市場、中国の石油にたいして大きな関心をもちはじめていた。
　「レッド（赤字）よりレッド（共産圏）の方がよい」という言葉さえあらわれたのである。
　第二のねらいは、アメリカに反対して戦うベトナムのような社会主義の小国や民族解放運動にたいして、社会主義大国が支援しようとする手足をしばることであった。
　社会主義陣営や民族解放勢力は分断しなければならず、アメリカに反対する勢力は孤立させ、つぶさなければならないのだ。
　チリのアジェンデ政権にたいするクーデターで果たしたアメリカの役割はそのひとつの例である。
　第二の目的のためには、アメリカはその軍事力を、もっと金がかからぬように行使しなければならない、とエスタプリッシュメントのメンバーは考える。
　たとえば、ベトナムの周辺の各国の兵士たちは、「アメリカ兵一人分の金で八人の兵士を手にいれることができる」と、上院議員ジョセフ・クラークが彼らの気持ちを告白している。
　これは現地の兵士をアメリカのために戦わせよ、という主張につながる。
　そして、そうした国々の現地政権は、アメリカ資本の進出を阻害する各種の措置をなくし、輸送手段、電力、水道などの設備をととのえ、アメリカ資本の活動をうけいれることによって、大いに経済、社会の進歩を手にいれることができると、巨大資本家たちは主張するのである。

　アメリカの「ベトナム化」政策

　こうしたニクソン・ドクトリンがベトナムに適用されたのが「ベトナム化」であった。
　「ベトナム化」にはふたつの柱があった。第一は、サイゴン政府軍の強化で、第二は平定化であった。
　サイゴン政府軍の強化はアメリカ地上軍の撤退と併行して行われた。
　アメリカの近代的な武器がサイゴン政府軍にあたえられ、それを使いこなせるように訓練が行われた。
　アメリカは空軍力と海軍力でそれを支援する。この実質的な内容は、アメリカ地上軍の撤退によりエスカレーションの失敗を整理して、態勢を立て直し、サイゴン政府軍の強化によってアメリカ地上軍の肩代わりをさせ、それをアメリカの強力な空軍と海軍のコントロールの下におき、現地人同士を戦わせるものであった。
　そういう点では、当時、インドシナの解放勢力側が「ベトナム化」の軍事面を、「アメリカの火力＋傀儡（かいらい）軍」と性格づけていたのは正しかったといえる。。
　第二の平定計画は、サイゴン政権下の治安を強化し、人民をその支配下におき、解放勢力の活動を根だやしにしようというものである。
　具体的には、地方軍、保安隊、警官をふやし、サイゴン政権に忠実な役人による地方行政組織を拡大し、町や村を「ベトコン」から守りぬくことであった。
　こうした活動には当然、「ベトコンをやっつけるための」軍事行動を伴う。はげしい砲爆撃で破壊された農村をつくりだす。
　その結果、村に住めなくなって町や都市に難民となってはいりこむ。
　仕事がない。泥棒にでもなるか、あるいは、傀儡軍か警察にはいるしか生きる道がなくなる。
　これは、確実にひとつのねらいであった。事実、南ベトナムの都市には人口が集中した。
　そこには、アメリカがばらまく消費物資があり、農村にはないきらびやかにみえる「アメリカ的生活」があった。
　金がほしくなる。人間を変質させ、反共主義者にしたてあげる条件があった。
　こうしたアメリカ側の動きにたいして、南ベトナムの解放勢力は、六九年六月、南ベトナム共和臨時革命政府を樹立し、その政治勢力としての存在を現実的なものとした。

　カンボジア・ラオス侵攻

　ニクソン・ドクトリンが発表されてから、ほぽ二ヵ月たった九月はじめ、ベトナムのホー・チ・ミン国家主席が死去した。
　それから二ヵ月あとの一一月、ニクソンはアメリカの地上戦闘部隊をすべてサイゴン政府軍に肩代わりする方向をうちだした。
　だがベトナム化計画は、アメリカが手をひいて戦争を縮小しようというものではなく、アメリカは「金」と「物」を出し、アメリカ人の血は流さずに現地人同士で戦いをつづけさせる政策だったとみていい。
　事実、ニクソン・ドクトリンは、一九七〇年以降、インドシナ全土に戦争を拡大していったのである。
　七〇年三月、カンボジアでシアヌーク国家元首の外国旅行中にクーデターがおこり、反共政権が成立した。
　四月二五日、ベトナム、カンボジア、ラオスの三国解放勢力は三国人民首脳会議をひらいて、三国の民族主権を尊重し合いながら共同の敵との戦いを協力してすすめることを確認した。
　五日あとの四月三〇日、ニクソン大統領は、アメリカ軍とサイゴン政府軍にカンボジアに侵攻するよう命令したと発表した。
　その理由は、アメリカ軍が撤退したあとの安全を守るために、カンボジア領内のベトナム軍基地を破壊するためだ、とのべた。
　七万の兵力が投入され、作戦は六月いっぱい続けられた。
　新しくつくられたカンボジアのロン・ノル政権に反対する人々は、カンボジア民族統一戦線を結成し、ベトナムの義勇軍と協力してこれと戦った。
　その結果、メコン河東岸一帯に解放区がつくられ、アメリカ軍はベトナム軍主力をとらえることもできずに撤退した。

　つづいて一九七一年二月八日、サイゴン政府軍の精鋭、機甲機動旅団、第一歩兵師団、それに降下部隊、レインジャー部隊など二万が、アメリカ人顧間数百人とともに、ラオス中部に侵入を開始した。
　これが九号国道で戦われた、当時、ディエンビエンフー以来の規模とはげしさをもつといわれた戦闘である。
　九号国道は、ベトナム中部ドンハから西へのび、ケサインを通り、かつてボー・グェン・ザップがはいっていた牢獄のあるラオバオからラオス領にはいり、メコン河岸の町サバナケットに通じる。
　ニクソンの意図は、この九号国道の所で南北に走る補給路、ホー・チ・ミンルートを切断することであった。
　同時に軍事面での「ベトナム化」の成果を占う戦いであった。
　作戦開始前には厳重に秘密が守られた。しかしこの頃、カンボジアのシアヌーク国家元首がハノイに滞在していて、ボー・グェン・ザップ国防相に会い、このラオスの戦いについて質問したとき、彼はザップにいともあっさりと「あれは三月末までに終わりますよ」といわれてびつくりしたと、後で話している。
　またバン・ティエン・ズン、ベトナム人民軍総参謀長は、現地でこの作戦を指揮したことを七六年になって明らかにしている。
　また、キッシンジャーがパリ会談の席上、ベトナムのレ・ドク・ト顧問にたいし、九号国道の戦いであんなに早くベトナム側が反撃するとは思ってもいなかった、とのべている。
　これらの事実は、当時のベトナム人民軍、南ベトナムの解放軍、そしてラオスの愛国戦線軍が、密接な協力をとりながら、サイゴン政府軍の侵攻を待ちうけていたことを想像させる。

　九号国道の戦い

　侵入したサイゴン政府軍のために、四万五〇〇〇の米軍がドンハからラオスの国境までの九号国道に展開した。
　兵器や戦闘用器材をつんだ数百機のヘリコプターがドンハから出動し、国境をこえたラオス領内にその器材をおろした。
　北方のチャキ、ラトゥオンに降下部隊とレインジャー部隊が進出し、丘の上に陣地をつくりあげた。
　九号国道の南、フコボク山、フコトム山の高地には第一歩兵師団が進出し、ヘリコプターで送られた組立式陣地構築資材で陣地がつくられた。
　中央から九号国道を樋って機甲機動旅団と降下部隊が侵入した。
　だが待ちかまえていた解放勢力の砲火が彼らをとらえた。
　二月八日、フコポク山に降下しようとした部隊がとらえられ、ヘリコプターー〇機が撃墜された。
　この作戦を記録したベトナムの映画をみると、地下深くコンクリート製の司令部があり、通信網がはりめぐらされ、戦車や装甲車がジャングルや川をこえて活動するのを撮影していた。
　二月一〇日、北方のチャキに部隊を空輸していたヘリコプター二三機が撃墜された。
　二月五日から一一日までの間に失ったヘリコプターは八八機に達した。中央の九号国道を進む部隊は、待ちぶせ攻撃にくり返しあった。
　彼らはバンドンに塹壕を掘って、そこに止まってしまった。
　一三日、パンドン北方九キロにあるラトゥオン付近の高地にいたレインジャー部隊が攻撃され、その近くに降下した降下部隊も一時間にわたる戦闘ののち降伏した。
　二月二五日、ラトゥオン西方の四五六高地を、戦車を伴った解放勢力が急襲し、降下部隊旅団司令部が占領され、旅団長を含む一二〇人が補虜となった。
　この攻撃で、サイゴン政府軍の九号国道北方の部隊はほとんど掃射されてしまった。
　翌二六日、四五六高地を奪還するため、バンドンから三○台の戦車を伴った降下兵部隊が攻撃してきた。
　この部隊と解放勢力の戦車部隊との間ではげしい戦いが展開された。
　サイゴン政府軍の一七台の戦車が破壊され、一三台が無傷のまま解放勢力の手におちた。
　九号国道の南側の高地に布陣した部隊にたいして、二月二七日から三月四日にかけて、はげしい攻撃が展開され、連隊司令部と第一歩兵師団の主力が殲滅された。
　中央を進んだ部隊はバンドン西方で強い抵抗にあい、バンドンとその東にあるカキ橋までの八キロメートルの間に陣地を構築して備えた。
　サイゴン政府軍は「蛙とび作戦」で、この作戦の目的地であるチェポンにむかおうとした。
　それはアメリカ空軍の爆撃のあと、高地にヘリコプターで降下し、火砲の陣地をつくるものだった。
　三月六日、チェポンから南西三キロの所にあるタパン高地にヘリコプターで着陸を強行しようとしたが、ヘリコプター一六機が撃墜されてしまった。
　サイゴン政府軍は、このタパン高地から九号国道の南を東へつらなる高地に、有名な映画スターの名前をつけた陣地をつくりあげた。
　西から東にむかっていえば、ソフィア（ローレン）、ロロ（ジーナ・ロロブリジーダ）、リズ（エリザベス・テイラー）とならんだ。
　「蛙とび」のおかげで、サイゴン政府軍はバンドンの東に陣地を進めたようにみえた。
　しかし、三月一二日、まず「ソフィア」が包囲され降伏した。この戦闘でヘリコプター一〇機が撃墜され、退路をたたれた多くの兵士が捕虜となった。
　一六日、「ロロ」が攻撃された。一〇〇〇人が死傷し二〇〇人が捕虜となった。
　この日、二八機のヘリコプターが撃墜された。
　ヘリコプターはアメリカのパイロットが操縦していた。
　パイロットは、「ラオスの山からはクリスマスツリーのように対空砲火がうちあげられた」と、その対空砲火の密度の濃さを報告している。
　そしてまた、パイロットたちは、ヘリコプターのそりにグリスを塗って、逃げまどうサイゴンの兵士たちがすがりつくのを防いだ。
　三国の解放勢力の協同した攻撃は、侵入したサイゴン政府軍をたたきのめしていた。
　包囲されたまま最後に残ったバンドンのサイゴン政府軍にたいし、三月一八日、猛烈な砲撃のあと、戦車を先頭にした解放勢力の兵士たちが攻撃を加えた。
　一九日、サイゴン政府軍はちりぢりになって東へ逃げた。
　二二日、ベトナムとの国境に近いフォイサインで、逃げていった兵士たちが殲滅された。
　同じ日、フォイサイン南方六キロの五五〇高地が、午後四時に開始された戦車をともなった攻撃で、夜の八時までに制圧された。ラオス領内の九号国道の戦闘は終わった。

　進展しないパリ会談

　ベトナム領内の九号国道を東へむかって敗走するサイゴン政府軍とアメリカ軍にたいして、ベトナム人民軍と解放軍がおそいかかった。
　当時のＴＶニュースが、九号国道沿いに、いつまでもつづく装甲車、戦車の残骸と兵士の死体を伝えていた。
　この戦いの敗北は、ニクソン大統領のベトナム化に決定的な打撃をあたえた。
　十分に練られた戦術のもとに、米軍の十分な援助をうけたサイゴン政府軍の精鋭が行った作戦が失敗したのだから。
　この事実はまた、ベトナムにとっても、ひとつの転機としてうつっていた。
　一九七一年一〇月、ベトナム労働党機関紙「ニャンザン」に発表されたクーロン（九竜、九つの竜はメコン河の意、ペンネームであるが南ベトナムの戦闘についての評論員として著名）論文は、「戦争のベトナム化戦略は必ず失敗する」と題して、次のようにのべている。
　「戦争の『ベトナム化』の『背骨』は大打撃をうけた。傀儡軍はすでに自信を失っている。
　アメリカ軍も同様である。わが主力部隊が南ベトナム傀儡軍を完全にうちまかせることが現実によって証明された」
　一方、一九六九年八月四日からはじまったレ・ドク・ト北ベトナム特別顧問とキッシンジャーアメリカ大統領補佐官の秘密会談は、米軍撤退を米軍捕虜釈放の前提とするベトナムと、撤退と釈放の同時解決を主張するアメリカとの間の意見対立がとけず、七一年春までの六回の会談までは少しも前進しなかった。
　しかし、七一年五月三一日の七回目の会談で、アメリカ側が米軍撤退の期日を一方的に示す用意があるとレ・ドク・卜顧問に伝えたことで局面が発展した。
　七一年七月、パリ公式会談でぺトナムは米軍撤退と捕虜釈放を平行して行うことに同意した。
　しかし、その後の交渉では、アメリカがチュウ南ベトナム政権を残すことに固執し、ベトナムは解放勢力、中立勢力、それにチュウをのぞいたサイゴン政権の三者の民族和解政府を主張して対立した。
　ベトナム側はチュウ体制を残そうとするアメリカの意図を、戦場でつきくずす必要がある、と感じはじめていた。

2　ベトナムとアメリカの力くらべ top

　解放軍の大攻勢

　一九七二年三月三〇日、北緯一七度線の南側に展開する南ベトナム政府軍の拠点八ヵ所に、解放軍は三〇〇〇発をこえる砲撃をあびせ、一斉攻撃を開始した。
　ケサインに近いキャンプ・キャロル砲兵基地には、三〇日だけで五〇〇発のロケット砲弾、迫撃砲弾がうちこまれた。
　南ベトナム政府軍の発表によれば、四月一日から二日朝にかけて、南ベトナム全土で五七ヵ所が攻撃され、サイゴン北西にも解放軍戦車が出現した。
　キャンプ・キャロルをはじめ五つの基地が放棄され、南ベトナムの最北端クヮンチ省（現在のピンチトウェン省の中央部）の大半が失われた。
　この攻撃の中で南ベトナム政府軍の解体に新しい局面があらわれた。
　クェンチにいた第三師団第五六連隊の大半が解放軍にねがえり、サイゴン北西のタイニンでは出動を拒否する部隊があらわれたのである。
　クヮンチでは、十万人の人民が蜂起して戦略村を破壊し、平定作戦の中心だった民間防衛隊のほとんどを解体した。
　六九年には五〇万をこえていた南ベトナムの米軍は当時一〇万を切っていた。
　七一年の国道九号線の戦いでは、「ベトナム化」の背骨である南ベトナム政府軍の精鋭を撃ち破った。
　好機であった。
　七二年三月の一斉攻撃は、この状況をふまえて、正規軍による正面攻撃で南ベトナム北部の政府軍防衛線を突破し、大攻勢を開始したのである。
　北ベトナムでは、人民の意思を統一するための全国的な政治学習がひらかれていた。
　その中心的テーマは次のように言いあらわすことができる。
　――今日、わが国と米帝国主義との戦いは、軍事の面でも政治外交の面でも、全面的できわめて激烈な段階にはいっており、最後の勝利をおさめるには、多くの困難と苦しみ、激烈な力くらべを経験しなければならない。
　その中で決定的な意義をもつのは戦場における力くらべである。
　ベトナムは好機をつかんで力くらべに挑戦したのだ。
　解放勢力の挑戦にたいして、アメリカもその軍事力を大動員した攻撃を開始した。
　四月六日、トンキン湾上の空母、南ベトナム、タイに展開していたＢ52を含む五五〇機をこえる米軍機が北爆を再開した。
　北爆はやがて、アメリカの戦術空軍の三分の一、戦略空軍の半分、空母の半分を動員し、月一〇〇〇回をこえる規模に拡大した。
　それは、「ベトナム化」と呼べる戦争ではなかった。アメリカの戦争であった。

　港湾封鎖との戦い

　ニクソンは、五月、北ベトナムのハイフォン港をはじめとする全港湾、河川にたいして機雷を投下し封鎖するよう命令した。
　この命令は、ケネディもジョンソンもためらった命令であった。
　力くらべの戦いは、補給と輸送の力くらべでもあった。
　近代戦における補給の役割の重要さはいうまでもない。
　ベトナムは補給し、アメリカはそれを切断しようとする。
　この補給をめぐる戦い、力くらべに、ベトナムは、力と知恵をふりしぽって、立ち向かった。
　海からの補給路を陸路に変えることを決定し、中国との国境ランソン市を中心に、「水のない港」をつくりあげたのである。
　ドンダン、ランソン、ドンモーの三つの拠点がつくられた。
　ドンダンは主に軍需品、ランソンは食糧品、ドンモーは鉄鋼を受けいれることにした。
　駅のまわりに強力な対空砲火網がつくられ、擬装された倉庫がいたる所につくられた。
　夜――貨車はミサイルや戦車やミサイル用燃料タンクを運んでくる。
　ハイフォン港からきた荷揚げ労働者をはじめ、北ベトナム各地から集まった労働者、運転手が手早く貨物を片づけると、貨車は夜のうちに帰っていく。
　ランソンから鉄道やトラックや川を下るはしけで、荷物は南へ下る。
　南へむかう荷物は、自転車にもつまれた。一晩、六〇キロメートルの区間を六つにわけて運ぶ。
　道の近くの農民たちも参加した。一区画一〇キロメートルの輸送が終わると自転車にのって帰り仕事に出かけた。
　自転車だから、車が走れない小さな道もゆける。
　ベトナム全土に網の目のような自転車輸送路が確立され、それは昼も夜も輸送はつづけるようになった。　　　’
　ガソリンのパイプラインは、一九六八年八月、ゲアンとパティンの間四二キロメートルが完成し、送油を開始したのがはじまりだった。
　このパイプラインは七一年夏には九号国道の南に達し、七一年暮れにはハノイとゲアンがつながった。
　七二年四月末、はげしい爆撃のもとで、ランソンとハイフン（ハノイの東、ハノイとハイフォンの中間）の間の工事が開始された。
　多くの人民がこの仕事に参加した。
　パイプは外国からの援助のほか、政府と軍が、使えるパイプをすべて放出し、ランソンとハイフンの両側から工事がすすめられた。
　ニクソンが機雷封鎖を開始してから三七日後の六月一五日、このパイプラインをガソリンが流れだした。
　ハイフォンとハノイの間（大きな紅河が流れている）はトラックがピストン輸送を行ったのである。
　そして、このパイプラインが南ベトナムの東南ロクニンにとどいたのは、一九七五年二月四日、最後の大攻勢がはじまる一ヵ月前であった。
　ベトナム労働党機関紙「ニャンザン」の記者アイン・チンが書いている。
　「数千人の戦士が、ガソリン・パイプラインのそばで、ガソリンの自動車輸送の途中で、また沖に停泊している大型船からガソリンを受け取りに出たはしけのうえで、犠牲になっていった。
　そのなかには、はしけが船をはなれるや否や、ニクソンの飛行機にやられ、火柱とともに殺された人もいる」
　また、こうも書いている。
　「一九七二年の南のベトナムの戦場は、北ベトナムから運ばれてくる一つひとつの荷物を心待ちにしていた。
　無線連絡のほかに電話が南の奥深くからハノイまで通じていた。
　ハノイでも、ランソンでも、チョンソン部隊（南への補給を担当する部隊。一九五九年五月につくられた。チョンソンはベトナム西の国境を南北に走る山脈の名）のドン・シ・グェン司令官の声をはっきり聞くことができた。
　『北の同志のみなさんに心から感謝します。南部での攻撃規模は日に日に大きくなっています。
　その重要なひとつの要因は、みなさんが我々に送ってくれる米と武器の運搬速度にあります』
　もうずいぶん前になるが、チョンソン部隊が生まれたころには、まだ二個連隊しかなく、九号道路横断のとき、足跡を発見されないようにビニールをしいて横切ったものだった。
　また森林を切りひらいてらくった山道では、背負いかごが主要な運搬手段で、もっとも重い荷はＡＫ小型機関銃かＢ40対戦車砲ぐらいなものだった。
　ところが、ニクソンが北ベトナムを屈服させようと決意した一九七二年、広大なチョンソンの道路上には、北ベトナムから送られた米、大砲、戦車、ミサイルなどが連なり、道いっぱいにひしめいている」
　七月末、南部の戦場では解放区が拡大していた。北部のクヮンチから南へ、フエのあるトアティエン省へ、中央高原ではコンツム市の周辺、南部デルタではウーミンの森を中心に、それぞれ解放区が拡大していた。
　中部海岸では国道一号線沿いに一二〇キロメートル以上の地帯で、南部デルタではカンボジアのスベイリェン地区から東南へ海へぬける広大な地帯で、住民が決起してそれぞれ解放勢力の優勢な地域が生まれていた。

　　機雷との戦い

　北ではニクソンが投下した機雷との戦いがはじまっていた。
　五月九日明け方、六〇歳の老婦人、レ・ティ・キムさんは、バクダン河口で、爆発しない四発の爆弾を目撃した。
　このとき、キムさんは青みがかったパラシュートをひろって近くの武装公安にとどけた。
　そのパラシュートは、ハイフォン市武装公安司令部、ハイフォン市党委員会と送られ、ハイフォン地方部隊司令部に連絡がはいった。
　機雷に違いない、と結論が出た。
　キムさんの話だと一発は砂州におちたという。そいつを探しだそう！　
　砂州の中で、探していた人たちがくたびれはてた頃、一人が、ひんやりした、丸みのある、つるつるした、なにかをふんだ。両腕をそれにむけてさしこむ。機雷があった。
　その機雷はその夜のうちに、舟から牛車、そして自動車とのりついで深い洞窟の中に運ばれ、解体、研究が行われた。
　つかまえた機雷はＭＫ52と呼ばれるもので、上を通過する船舶の数を自由にセットできるものであった。
　つまり一隻目で爆発するとは限らず、二隻目かもしれないし、五隻目かもしれないというわけだ。
　そこを無事に船が通ったからといって安全ではないのである。
　そのうえ、磁気にたいする感応度がひくいようにつくられているため、爆破させるためには強力な磁気を出す装置が必要であった。
　強力な磁気放出装置をベトナムの科学者と労働者がつくりだした。
　磁気を放出するたびに、船底の鉄の用具があばれまわった。人々はひどい疲れをおぽえた。
　この装置をはじめてつけた船が、すべての明かりを消してバクダン川の河口を走りまわった二日目の夜九時、ついに機雷は爆発した。
　七二年の夏のさかりだった。

　堤防を守る戦い

　夏のさかり、北ベトナムは雨季をむかえる。堤防にかこまれたトンキンデルタは、そこを流れる河川の水位よりも六メートルも低くなる。
　米空軍は雨季をねらって堤防を爆撃した。
　私自身、七月一一日、ハノイとハイフォンのほぽ中間にあるタイピン川の堤防で、ファントムが堤防を爆撃するのをみた。
　トンキンデルタを流れるダイ川やチャリイ川の堤防の爆撃あともみた。
　もし堤防から川の水があふれたらトンキンデルタは水につかる。それだけではない。
　ゼロメートル地帯が多いトンキンデルタでは、七、八月に集中する雨水を、干潮のとき海に流さないと湛水（たんすい）現象（海水が陸地に流れ込む）をおこす。
　そのための水門が海岸地帯にいくつもつくられていたが、それも爆撃された。
　湛水現象がおきたタイピン省のある村では、円錐型の小さな竹かごをもった数百人の農民が水を用水路にくみ出し、昔の小さな水門を使って排水していた。
　もし水門が動いていれば二〇〇労働日（正確でないが、一日八時間働くのを一労働日と考えてもらえばいい）ですむ排水作業が、今年は三七〇〇労働日をついやしても、まだ終わらないという。
　しかし働いている農民の表情は明るかった。そしてこういうのだ。
　「最後のがんばりですよ。南じゃ勝ってるんです。
　それだけにアメリカは気違いのように北を爆撃してきてるんです。このくらいでへこたれるもんですか」
　ハノイでは、文字どおり働ける人間がすべて動員されて堤防の補強工事に参加した。
　仕事の合い間をぬって夜も働いた。同じような光景はほかでもみた。
　タイピン省の南隣のナムハ省（現在のハナムニン省の一部）だった。
　国道の片側にたくさんの農民が、切りとられた粘土質の土をつみあげていた。
　よくみると水田の土である。水田をこわして堤防を守る土の準備をしているのだった。
　暗くなった中で、農民の長い行列が無言のままつづいていた。
　力をふりしぽった必死の戦いの姿であった。しかし、ここにも疲れ切った姿はなかった。
　自信をもって働いている人間だけがもつ輝きがあった。
　それは、ニクソンとの力くらべなんかに負けてたまるか、という民族の誇りだったかもしれない。

3　あらゆる戦線で戦いを top

　ニクソン訪中・訪ソ

　はげしい北爆がつづく中で、ニクソンは、二月中国、五月ソ連を訪問した。
　ニクソンはこの訪中、訪ソの首脳会談の中で、ベトナム問題を米、中、ソの関係から切りはなし、しかも三大国のわく組みの中で解決しようとした。
　つまり、ニクソン・ドグトリンにしたがって二大社会主義国との間では緊張緩和を求め、ベトナム戦争をアメリカと「小国」との戦争に格下げしようとしていた。
　そうすることによって、ベトナム戦争の巨大な出費からアメリカをぬけ出させ、エスタブリッシュメントの要求にこたえようとしていた。
　一九七二年は大統領選挙の年でもあった。
　アメリカのニクソン大統領は、訪ソしたときに、ナチスに殺されたソ連の少女ターニャのことをもちだし、これからはターニャをつくってはならないと演説した。
　しかし、ベトナムではたくさんのターニャがつくられていた。
　トンキンデルタのハイズオンの町では、焼夷弾（しょういだん）の政撃で黒こげになった一歳の赤ん坊がいた。
　ハイフォンでは、Ｂ52の爆撃で一つの肉片と化した八歳の女の子がいた。
　ハノイでは、両親を殺され自分は右腕を失った四歳の男の子がいた。まさに殺りくであった。
　ハノイでは「ニクソンの大ペテン師」というマンガ展がひらかれた。こんな絵があった。
　ニクソン大統領が左手に「ターニャ」と書かれた紙切れをもち、右手で爆弾を子供たちの頭上に落としていた。
　ベトナム人のにえくりかえるような思いがこめられていた。
　事実、ニクソンの訪中、訪ソは世界のベトナム支援運動に複雑な、マイナスのかげりをおとしたといえる。
　アメリカの反戦運動がしぽみ、ベトナム支援の国際世論も以前のようにひろがらないでいた。
　ベトナムは北爆と戦い、米軍機を撃墜しながら、一方で、殺りくの実態を世界に訴えつづけていた。
　パリからも訴えた。アメリカはじめ各国の戦争犯罪調査団をベトナムに呼び、各国のＴＶチームに取材させ、新聞記者を呼んだ。
　七月、アメリカの女優ジェーン・フォンダがハノイを訪ねた。
　ハノイにはげしい雨が降った七月一五日、ジェーンはハノイのチュン・ディン労働者住宅団地を訪ねた。
　この団地は、六月二七日、四個の爆弾を投下され、二階建て八棟、計一二〇戸の家が破壊された。
　ジェーンは、雨の中で立ちすくんだ。灰色のコンクリートの壁が吹きとび、めくれあがったようすをみつめていた。
　そのとき、ベトナム人がひとりの若い女性をジェーンの前につれてきた。
　その女性はベトナムの喪章である白い布を頭にまいていた。
　グェン・ティ・ニャさんといい、二二歳だった。二つ年上の夫をここで殺された。
　通訳から話をきき、二言三言ニャさんに話しかけたジェーンは、大粒の涙をこぼし、ニャさんの頭を抱きしめた。
　雨の中で立ちつくす二人を、ベトナム人たちがだまってとりかこんでいた。
　ソ連も中国も、ニクソン大統領にたいして批判の言葉も行動もとろうとしなかった。
　ハイフォンにいたソ連船を爆撃されても、ソ連はニクソンの招待をとりけさなかった。
　ベトナムにとって苦しい時期であった。
　だが、彼らベトナム人は、自分たちの戦いの正しさにたいする自信をこめて、ひとつの発言をした。
　それは、八月一七日「ニャンザン」の「革命的潮流の勝利」と題する社説である。
　「社会主義国にとっては、平和を守り、平和共存を実現することは、独立、民主主義、社会主義をめざす世界の運動と切りはなすことができない。……
　しかし、もしも自国のせまい利益から出発して、もっとも反動的な勢力が危険な打撃を受けるのをまぬがれるのに手をかすならば、それはおぼれる強盗に浮き袋を投げあたえるようなものであり、敵に有利で革命に不利な悪質な妥協である」
　同じ頃、ベトナム人民軍機関紙「クヮンドイ・ニャンザン」は、日本の相模原米軍補給廠から修理した戦車・装甲車を横浜港まで輸送するのにたいして、それを阻止して戦った日本人民の闘争を大きく伝えていた。
　これは、確実に、苦しい戦いをすすめているベトナム人にたいする大きなはげましであった。

　ベトナムの和平協定提案

　パリの外交戦線では、一〇月八日、レ・ドク・ト顧問が新しい提案を行った。
　この提案は、まず停戦を行い、次にチュウ政権も話し相手に含めて南ベトナムの内部問題を解決しようという、軍事と政治を切りはなして解決しようとするものであった。
　ベトナム側の提案にアメリカも同意し、一七日の第二〇回目の秘密会談で双方合意の協定案がつくりあげられた。
　ベトナム側の考えとしては、ベトナム支援の状況や敵味方の力関係、それに大統領選挙をまじかにひかえているニクソンの事情も計算しながら、とりあえず米軍の全面撤退と臨時革命政府の合法化という二つの目標に的をしぽったものといえるだろう。
　秘密会談では、一〇月二六日、パリで協定に本調印を行うというスケジュールまで決まっていたが、アメリカは二回にわたってスケジュールの延期を申し入れてきた。
　そして一〇月二三日、アメリカはまたもサイゴンで生じた困難を理由に、新たな交渉が必要だと申し入れてきた。
　一〇月二六日、北ベトナム政府は、一方的にこの協定草案と、今までの経過を発表した。
　国際世論はアメリカにたいし批判的な傾向が強まった。
　アメリカは本当にベトナムに平和を回復する意思があるのか、と世論はアメリカを追及した。
　一一月、パリ会談は進展をみせなかった。
　一二月はじめ、ベトナム側の発表によるとアメリカは、一二六ヵ所の修正、変更を求めてきたが、それは原則にかかわる問題だったという。
　さまざまな情報から考えて、それは、ジュネーブ協定で決められた北緯一七度線の非武装地帯の再確立、北ベトナム軍の南ベトナムからの撤収を協定文に明記するなど、基本的には、一つのベトナムでなく二つのベトナムを認める、ということだったようである。
　ところが、キッシンジャーは一二月一六日、「協定は九九パーセントまで到達した」と言明して、国際世論の批判をかわそうとした。
　だがその頃、アメリカの国家安全保障会議は、戦略空軍Ｂ52によるハノイ、ハイフォン爆撃を決めていた。
　レ・ドク・ト特別顧問がパリからハノイのジャラム空港にもどったのは一八日午後四時、すでにその四時間前にグアムからＢ52の編隊がハノイにむかっていた。

4　空のディエンビエンフーの決戦 top

　ハノイ爆撃

　一二月一八日の夜、ハノイはいい月夜だった。夜七時三五分、最初の空襲警報がなった。
　七時五〇分から三〇分間、はげしい爆発音が聞こえ、爆風が壕の中にまで感じられた。
　このあと二時間に四回警報がなり、最後の九時三〇分のときには、超低空で侵入した米機に猛烈な対空砲火がうちあげられた。
　空襲はこのあと、朝の四時すぎまでくりかえされ、爆発音と閃光がハノイをおおった。
　この日、ハノイとハイフォンを襲った米軍機はＢ52九〇機、他の戦術航空機二五〇機以上、二〇〇○トン近い爆弾が投下された。
　ベトナム側のミサイルはＢ52三機と戦術航空機四機を撃墜し、パイロット七人を捕らえた。
　米軍機はこの日、主としてハノイ郊外のドン・アイン経済センターを爆撃、だが放送局と航空基地攻撃は、その目的を果たすことができなかった。
　ベトナムの防空・空軍司令部は、この日から四ヵ月前の八月はじめ、予想されるＢ52戦略爆撃機の攻撃にたいする反撃計画の研究を終えていた。
　そして各部隊にたいして訓練計画を指示していたのである。
　ベトナムとしては、米中ソの三大国の間に生じた緊張緩和の状態が、ニクソンの手を自由にさせ、大統領選挙をひかえて、最後の冒険的な行動に出る可能性がある、とみていた。
　九月はじめ、軍首脳は会議をひらき、Ｂ52の襲撃に対抗する作戦計画を採択した。
　これは「九月作戦計画」とよばれ、次のよ少な内容であった。
　対象――敵は戦術機とともに、大量のＢ52をいちどきに使用し、二〇度線以北をねらうだろう。
　一般的なねらいは一号国道、タイグェン、ハイフォン、ハノイだが、主要なねらいをハノイにおくだろう。
　敵は五日ないし七日間にわたり波状攻撃を行うことがありうる。
　強度および密度――　一日あたり五〇機前後のＢ52。一目標あたり一日三〇機前後のＢ52。一日あたり二五〇機ないし三〇〇機の戦術機の使用。
　襲撃計画――Ｂ52は夜間爆撃を主とする。
　戦術攻撃機は、夜間のＢ52との共同作戦のほか、昼間、補足的な爆撃を行うであろう。
　敵は飛行体型をかくすためのチャフ（レーダー撹乱用の金属片）散布や、通信妨害を強化し、Ｂ52の攻撃に先立ってミサイルの消耗と飛行場の破壊をねらうだろう。
　この計画にもとづいて訓練が強化された。敵のレーダー妨害にたいしてどう戦うかは中心的な課題であった。
　Ｂ52編隊前方へのチャフ散布だけでなく、Ｂ52自身と各戦術機もさまざまな攪乱装置を装備しているからである。
　これにたいしてベトナム側は、ハノイ、ハイフォンから遠く離れたレーダー基地も動員し、チャフ散布や攪乱装置に影響されない、これら遠くのレーダー基地からＢ52の追跡結果の予測データを、妨害電波に攪乱されているミサイル陣地ヘリレーする方法をとった。
　また、チャフや攪乱装置から発射される妨害電波の発射源を追跡し、その飛行針路をわり出す方法も訓練していた。
　さらにまた、多数のミサイルを一気に打ち上げ、Ｂ52が爆撃目標へ到達するのを妨害する戦術、新しく手にはいった熱線追尾ミサイル（ジェットエンジンが出す熱にむかって飛ぶ）の扱い方を身につけるための訓練も急いで行われた。
　ミグ戦闘機がＢ52の進路を妨害するために活動するよう準備された。
　一二月はじめ、こうした訓練と準備がととのったところへＢ52が来襲したのである。
　昨夜一回目の攻撃があった一九日朝、ハノイの町には霧雨が降っていた。
　その日、昼間は戦術攻撃機が飛来し、夜にはＢ52がやってきた。
　超低空で侵入する可変翼機Ｆ111、対空砲火やミサイルの発射音、窓をゆるがす爆発音がハノイにひびきわたった。
　二〇日、アメリカは九三機のＢ52と二四〇機の戦術機を投入した。
　午後七時二五分、ベトナム空軍が出動しＢ52の飛行針路をかき乱す。
　午後八時七分、Ｂ52が侵入、ミサイルが一機のＢ52を撃墜。
　午後八時三四分、またミサイルがＢ52一機を撃墜した。翌二一日朝五時から三〇分間でミサイルがＢ52三機を撃墜。
　この日は、ハノイ中心部から二キロのハノイ市北東のアンズオン住宅地区もＢ52に爆撃された。
　こうして一八日から二一日早朝まで二七回の空襲警報が出されたが、うち二〇回が夜、のべ二二時間にのぽった。
　「ゆうべ、よく眠れたかい」というのがハノイ市民のあいさつになった。
　ホワイトハウスのジーグラー報道官は、今回の爆撃について、「今度の決定は、ニクソン大統領が五月八日の演説で明らかにした政策に沿って下された。
　我々は敵が秘密会談（レ・ドク・トとキッシンジャーの会談のこと）を軍事力増強のかくれみのに使い、南ベトナムで新しい攻勢を準備するのを許せない」と言明した。
　ニクソン大統領の五月八日の演説は、北ベトナムがインドシナ全域の停戦に同意し、米軍捕虜を釈放しない限り北爆と機雷封鎖をつづけるという内容である。
　ベトナムにたいする強硬手段をとっても、ソ連、中国は動かないと判断したうえで、いったん合意に達した協定をさらにアメリカの言い分を通したものにしようという爆撃であった。
　二二日未明、ハノイ市の南バクマイ病院がＢ52の爆撃をうけた。
　病院の横を通っている鉄道線路わきに死体がおかれてあった。鉄道労働者一家五人の死体だという。
　奥さんの首はとばされてなく、双子の、ひとりの男の子の脳髄はとびだし頭蓋骨の中が空洞だった。
　私に同行したベトナム人の自に、怒りの涙があふれていた。
　病院には三〇個以上の爆弾が投下され、二八人の医師、看護婦、インターンたちが殺された。
　医局で働く若い女性グェン・ティ・クックさんが話してくれた。
　「若い仲間が一四人死にました。みんな仲好しでした。なかでもディンさんは親友でした。
　彼女は検査の仕事をしていました。二一日の午後、二人で話し合ったんです。私がまずいいました。
　『もし、私がけがをしたら家族にしらせてね』彼女がいいました。
　『じゃあ、私が死んだら家族に電報を打ってよ』……（クックさんの目が赤くなり、声がふるえてきた）……
　二二日、爆撃されたあとディンさんが防空壕の中で生き埋めになっているのを知って、私……一生懸命掘ったんです。
　そしたら、血が流れてきて……アインさんはいたけれど、一時間くらいあとに死んでしまいました」
　クックさんはそう話すと、声をおしころして泣きつづけた。

　「ニクソンは私の家族を殺しました。一人の不具者の子しか残さなかった。
　私はあと五日で定年です。それなのに、一人の不具者と七人の親のない子しか私にはないんです。
　ニクソンは人間か動物か。なぜ彼はそんなに人間を殺すのか。ニクソンは人殺しだ。
　恥知らずだ。（高い泣き声の中で叫ぶ）自分の手を動かさずに人間を殺す者だ……」

　パリ協定調印

　二八日、ベトナム空軍機がはじめてＢ52一機を撃墜した。
　この日アメリカは、協定についてのベトナム側提案を認め、パリ会談の再開を申し入れてきた。
　空のディエンビエンフーともいえる、十二月末の大激戦は終わろうとしていた。
　アメリカは、ハノイ、ハイフォンに五〇〇〇トンをこえる爆弾を投下し、ハノイとその近郊だけで二七ヵ所を爆撃し、二二八人を殺し、二五一九人を負傷させた。
　しかしアメリカはＢ52三四機を含む八一機を失った。
　最後の、もっともはげしい力くらべにアメリカはやはり敗北した。
　アメリカにとって最後の切り札、Ｂ52戦略爆撃機が次々と撃墜され、しかもベトナムを屈伏させることはできなかったのである。
　一九七三年一月二七日、アメリカはパリ協定に調印し、米軍のベトナムからの撤退を認め、南ベトナム臨時革命政府の存在を認めなくてはならなかった。
　二八日、ベトナム全土に停戦が実施された日、ハノイは赤い旗の色にうまった。
　トンニャット・ホテルの食堂で働くミン・ティ・サックさん（当時二二歳）の所へ、花模様のついた便せんに書かれた恋人からの手紙がとどいた。
　彼女の恋人はディエンビエンフーで武装公安の仕事をしている。
　――私はうれしさでいっぱいだ。
　偉大な勝利だ。昨年暮れの二一日間、Ｂ52の猛爆でハノイの同胞が次々と殺され、ハノイの街がこわされていった。
　私はあなたが火の海に包まれ、私を呼んでいる夢までみた。
　いまはあなたが、春を告げるテトの花市で桃に包まれている姿を思っている。
　テトは二月三日だった。その日の午後一時、パリからレ・ドク・ト特別顧問とグェン・ズイ・チン外相が、ハノイのジャラム空港についた。
　晴れわたった空から降りそそぐ陽が汗ばむほどである。一〇〇〇人の市民が小旗をふってむかえる。
　ファン・バン・ドン首相とレ・ドク・トはがっしりとあい抱いた。首相の目から光るものが流れおちた。
　三年前、一九七〇年三月、カンボジアにクーデターがおこりインドシナ全域に戦争が拡大した。
　その年のメーデー集会で、ドン首相の怒る目をみた。
　集会の終わりに首相はすっくと立ち上り、こぶしでテーブルをたたきながらいった。
　「インドシナ三国人民は団結し、必ずアメリカ帝国主義に勝つ」これを二回くりかえした。
　やや上の方をむいた目がランランと輝き、憎しみと怒りが燃えていた。
　七二年暮れ、新聞に一枚のドン首相の写真がのった。Ｂ52の爆撃をうけた被爆者を訪ねたときのものだった。
　横むきにうつっている首相の顔はつらそうだった。光る目でなく、やさしい、悲しい目つきだった。
　そして今日、ドン首相の目は、喜びがその中ではねまわっているようだった。
　「この勝利は、ベトナム人民と世界人民の共通の勝利です。ベトナム人民の軍事、政治、外交の闘いの結果です。
　今日、私たちは、この勝利に大きな貢献をしたレ・ドク・ト同志とグェン・ズイ・チン同志を歓迎します」
　そういってから、まだものたりないといった表情でつづけた。
　「レ・ドク・ト同志、グェン・ズイ・チン同志、本当にありがとう。
　大変な苦労をされたが、大きな功労をたてられました」
　そういって拍手をし、笑った。そばにいたトン・ドク・タン国家主席も、ボー・グェン・ザップ国防相も、レ・タンギ副首相も笑った。
　長い、苦しい、つらい、戦いを耐えぬいてきた男たちの、すがすがしい笑いがそこにあった。

5　チョンソンの東と西は結ばれた top

　サイゴン政権のパリ協定違反

　パリ協定によると、南ベトナム問題の解決は、臨時革命政府とサイゴン政権との閧の交渉によって決められ、一切の武力行使や報復のテロは禁止されていた。
　しかし、サイゴン政権は、パリ協定の事実すら、捕らえていた政治囚に伝えようとしなかった。
　武力行使がくりかえされ、停戦のとき、解放区だった地域への侵略が行われた。
　ベトナムの解放勢力側はそれにじっと耐えていた。
　パリ協定をきちんと守ることは勝利につながるからである。
　なぜなら、パリ協定は、米軍の撤退を決め、アメリカの介入を禁止していたので、協定を完全に実施したらアメリカの経済、軍事援助だけにたよっていたサイゴン政権、つまりチュウ政権は崩壊してしまうからである。
　それだからこそ、チュウ政権は、自分の支配地域をひろげるために軍事行動をつづけ、そのツケをアメリカに要求した。
　アメリカが、南ベトナムに自分の息のかかった政権が存在することが必要だと考えていることを、承知のうえでやっていた。
　それにたいして、アメリカ政府は七三年三月米軍の撤退が終了したあとも、平服の市民という資格で軍事援助のスタッフを二万人以上も送り込んだ。
　また、五〇万の米軍が南ベトナムにいて戦争をしていたときと同じ額の経済援助額七億ドルを、パリ協定後の一年間につぎこんだ。軍事援助額は、アメリカ国際開発局の発表によれば、一九七三年、二〇億ドルをこえた。
　一九七三年一〇月一四日、解放軍司令部は、パリ協定の実行を守り、人民の生活と財産を守るために、サイゴン政府の戦争行為にたいし強力な反撃を行い、さらにサイゴン政府の戦争行為の根源、つまり基地をたたくよう命令を発した。
　同じ一〇月、ベトナム労働党は第二一回中央委員会をひらき、次のような決議を採択している。
　「敵は協定を実施しようとせず、実際は新植民地主義戦争にほかならない戦争のベトナム化をひきつづき行い、全南ベトナムの支配をたくらんでいる。
　我々は、この事態の下においては、革命戦争を継続し、彼らを殲滅し、南ベトナムを解放する以外、どのような方法もない」
　この決議は、武装闘争を中心にすえた戦いをしない限り南ベトナムは解放できない、という結論であった。
　そのためには、北から南へ多くの戦略物資、食糧などを運ぶ動脈が必要であった。
　ホー・チ・ミンルートと呼ばれた北と南を結ぶ動脈を、さらに堅固なものにしなければならなかった。

　このルートに沿って、対空砲火網が配置され、ジャングルを裸にするようなアメリカの爆撃と戦った。
　石綿製の服をきた運転手が炎の中をつつ走った。
　爆撃で破壊された道を修理するために、たくさんの人員が配置され、爆撃で破壊されたら他の道に切りかえるために、すぐさま指示を出し車の流れを変えることができる輸送指揮グループが各地に駐屯した。
　「バック（ホー叔父さんの叔父さんの意）という名の道」というモノクロの記録映画があった。
　その映画は、爆撃に対抗して車の流れを次々と変えてゆく指揮グループの姿や、燃えているジャングルの火を消しながら、道路の修理をすぐにはじめる修理部隊の姿を描いていた。
　道に沿った多くのジャングルが爆撃のため裸になっていた。
　しかし、熱帯の太陽と雨はすぐにジャングルに緑をとりもどさせた。
　一九七三年に完成した「チョンソンに道をひらく」というカラーの記録映画もあった。
　ワニ、ヘピ、メガネザルがいるチョンソン山脈の中を、歩いて調査班がゆく。青年たちが道をつくっている。岩を発破でくずし、その岩石をハンマーでくだいて細かな砕石にし、その砕石をひとつひとつ道に埋めこんでゆく。
　北ベトナムの道路づくりでもよくみかけた道路づくりだ。
　シャベルとツルハシと、ドラムカンをふたつにきってそれに二本の棒をつけたリヤカーの代用品が主な道具であった。
　コメントがはいる。
　「ホー叔父さんの名前がつけられたこの道は、青年たちの血と汗がまじっている」
　爆撃のあとを修理した青年たちがもどるのは、林の中につくられた粗末な小屋である。
　食事はわずかな野菜とうどんとスープだ。一人の青年が手紙を書く。
　「お母さん、遠くはなれている私です。家は鳥小屋で食事は貧しいけれど、誇りはいっぱいです。
　ここでは人も風景も、それは美しいものです」
　弾薬やさまざまな物資が、彼らのかたわらを走りすぎてゆく。
　ピンポンをたのしみ、絵をかき、歌を歌っている。青春が、こんな中でも息づいている。
　この頃、北ベトナムで大流行した歌があった。
　チョンソン山脈（ベトナムとラオス・カンボジアの国境をなす長い山脈）の西でがんばる青年と、チョンソン山脈の東、つまりベトナムで男たちに代わってあらゆる仕事を担当した娘の呼びかけの歌であった。
　「チョンソンの東、チョンソンの西」という歌である（訳詞は川本邦衛氏による）。

6　一九七五年春の大攻勢 top

　勝利の好機

　ベトナム労働党理論機関紙「ホク・タップ」一九七五年一月号は、一九七四年の南ベトナム状勢について次のような事実を明らかにしている。――
　七四年七月以来、サイゴン政府軍は解放勢力の攻撃をくいとめることに力を集中しているが、それも失敗し、政府軍の侵食作戦の能力は減退している。
　解放軍主力は侵食作戦の基地すらも攻撃しており、七四年中にサイゴン政府軍の哨所四五〇〇を制圧、降伏、撤去させたが、この数字は一九六八年以来一年間に制圧七た哨所の数としては最高で、南ベトナムにある哨所の二分の一に近い。解放区も拡大し、ある地区では八省をつなげるほどになった。
　七四年度第三・四半期の三ヵ月間のサイゴン政府軍の砲弾月間使用量は一九七三年の四分の三となり、同じ時期の戦術航空機の毎日の飛行回数は一九七三年の二分の一、七二年の五分の一にしかならない。
　経済はひどい混乱状態でインフレがはげしい勢いですすみ、七三年と比較して企業の五〇％が閉鎖され三五〇万人以上が失業し、人口の七〇％が食糧を十分にとれないでいる。
　そのため、チュウ体制に反対する運動が拡大しており、特徴的なことは、これらの運動が早いテンポで、チュウ打倒、サイゴンにパリ協定実施の政府の樹立を要求するスローガンの方にむいてきている。
　そして、こう結論づけている。
　「あらゆる面において、連続的、主動的攻勢をすすめてゆくならば、必ず大きな勝利をおさめるであろう」
　一九七四年八月、ウォータトゲイト事件でニクソン大統領が失脚したアメリカでは、腐敗し切ったホワイトハウスの状況にうんざりし、アメリカ国内の立て直しに人々の目が集まった。
　その原因を考えれば、ベトナムへの無制限な介入だとする意見が強かった。
　それだけに議会も世論もインドシナから脱け出す要求が高まっていた。
　サイゴン政府にたいする軍事援助は、一九七四−七五年度会計年度では、一九七三年度の三分の一の七億ドルにけずられてしまった。
　最後の勝利をめざす大攻勢に出る好機が到来していた。
　ベトナムでは準備が着々とすすめられていた。
　すでに七四年三月、ベトナム労働党高級軍事会議がひらかれ、七三年一〇月の第二一回中央委員会総会の決議にもとづいて、
　「南ベトナム革命は、進攻戦略の思想をしっかりと把握しなければならない。……
　我々は、断固敵に反撃し、進撃し、我々の全戦線において主導性を維持、発揮しなければならない」と決定した。
　そして各地域、各戦場ごとに具体的な方針の検討を開始した。
　問題は一九七五年内に大規模な攻撃を行える条件をつくりだすことであった。
　ベトナム人民軍参謀本部は、軍主力が平野部と都市部にも進出して敵を殲滅し、その地方を解放しなければならないと結論を出した。
　そのために、各兵種が合同した機動兵団を編成し、戦略的に有利な地形に配置する必要があると分析した。
　各兵種が合同した機動兵団とは、歩兵三個師団前後を中心とし、それに戦車、装甲車、ミサイル、長距離砲、高射砲などの部隊を一緒に編成したものである。
　新しい軍団が七四年中に次々と結成され、一九七三年から工事の開始されていたチョンソン山脈東部の戦略道路を続々と南へ下った。
　高性能の戦車と長距離砲が南ベトナムの南部に登場したのは、このときがはじめてであった。
　「春の大勝利」と題して「ニャンザン」に連載されたバン・ティエン・ズン人民軍総参謀長の回顧録によると、第一軍団は北ベトナムのニンピン省に待機し、第二軍団は第三〇四、三二四、三二五の三師団と各種技術兵種部隊で構成され、南ベトナム北部に展開し、サイゴン政府軍第一軍団とむかいあった。
　主力正規軍四個師団が中部高原に展開し（のちに第三軍団に編成された）、サイゴンの北から北西にかけて第六、第七、第三四一の各師団を主力とする第四軍団が配置された。　会議がひらかれていた一月六日、解放軍はフォックビン市を攻略、フォタロン省（現在のソンペ省の一部）全体を解放した。
　南ベトナムで省全体を解放したのは、これがはじめてであった。
　だが、アメリカは軍事介入をなにひとつできなかった。
　情勢はベトナム側にとって、さらに有利に展開していた。
　政治局会議の最終日、レ・ズアン第一書記がこうのべている。
　「いまやアメリカ軍は引きあげ、わが軍はすでに南にあり、大衆の中には気概が満ちている。これがチャンスである。我々は、軍事、政治、外交をしっかりと掌握しなければならない。それはベトナムの特徴である」
　「一九七五年のうちに戦略的打撃を与えなければならない。ナンポ（旧コーチシナ、メコンデルタとサイゴン北方のいくつかの省）は全地域にわたって連結した体制をつくり、さらにサイゴンに迫り、敵の主力軍をいっそう多く殲滅し、各地方で主導権を握り、チャンスが到来したときに一気にとび出す力を蓄えなければならない。メコンデルタでは、ミトにさらに迫らなければならない。我々は、今年タイグェン攻撃を開始することに同意する」
　タイグェンではバンメトートから攻撃することが決まり、フエからダナンにいたる地域では主導権を握ることが目標とされた。
　一九七五年、大規模に各地で攻勢に出て、七六年に総攻撃と一斉蜂起を行う条件をつくり、七六年中に全南ベトナムを解放するというプログラムが決定された。
　同時に、チャンスが訪れるなら、一九七五年中に全南ベトナムを解放する行動計画も予定されていた。
　政治局会議の翌日、一月九日、中央軍事委員会がひらかれ、タイグェン作戦がさらに練りあげられた。
　バン・ティエン・ズン人民軍総参謀長が、政治局、中央軍事委員会、参謀本部の代表としてタイグェンに派遣されることになった。
　そのとき、タイグェンの戦場には、第五軍区（ベトナム中部）の第三師団とここでの戦闘に多くの経験をもつ第三二〇、第一〇、第九六八の各師団と、七四年暮れに派遣された第三二六師団が配置についていた。
　バン・ティエン・ズン総参謀長は、二月五日、ハノイを出発した。秘密を守るために、ズン総参謀長がハノイにいるかのように、新聞は彼のニュースを流し、総参謀長の車が自宅と参謀本部の間を規則正しく運転された。

7　「チャンスをつくってこれを生かす」 top

三月一日には、第五軍区第三師団と地方部隊はブレイク西方の一九号道路上の監視所を攻撃し、四日には、同じ一九号道路上のアンケ周辺の敵陣地を攻撃した。 　第三二〇師団がブレイク、パンメトー卜間の一四号道路西方に沿ってひそんでいた。 　いざというとき、一四号道路を使って敵が移動するのを阻止するためである。 　しかし、一四号道略の切断はまだ行われなかった。バンメトート攻略の意図をサイゴン政府軍に知らせないためである。 　だがサイゴン政府軍はバンメトート北方で偵察行動を強化しつつあった。 　このため、人民軍は集結している兵力をかくすことに全力をあげながらも、作戦を一部変更して、八日朝、第三二〇師団が一四号道路上のトゥアンマンを占領した。 　そのため、パンメトート北方で偵察行動を行っていた政府軍部隊はパンメトートに引きあげた。 　三月九日、人民軍はドタラップを占領、トゥアンマンの占領とならんで、バンメトート包囲の体制がつくられ、タイグェンの北と南は切断された。 　ダクラタ省の省都バンメトートは人口一五万人、政府軍の第二三師団司令部がおかれ、タイグェンの政府軍防衛の要（かなめ）でもあった。 　ここを占領されることは、南ベトナム政府軍にとってタイグェン防衛体制が崩れることを意味していた。 　三月一〇日午前二時、ホアビンとパンメトートの飛行場にたいする砲撃が開始された。 　戦車部隊は、パンメトートヘ四〇キロの地点から砲撃を開始し、あらかじめ半ばのこぎりでひいてあった樹木をなぎ倒しながらバンメトートに進撃する。 　スレポック川では、またたく間に鉄板のはしけがつくられ、戦車、装甲車、各種の砲がはしけをわたる。 　第一〇師団、第三一六師団を主力とするペトナム人民軍は、歩兵、戦車、砲兵、高射砲の各兵種を合同した部隊をつくり、それが、幹線道路を車両で一気に市内に突入した。 　外郭陣地は相手にしなかった。朝の四時になると、バンメトート市内に進入した人民軍がサイゴン政府軍と交戦をはじめ、七時三〇分には戦車部隊が市内に突入した。

　三月一〇日午後五時までに人民軍はバンメトートの大半を占領したが、政府軍第二三歩兵師団の支配地域の占領はまだ終わっていなかった。
　一方人民軍はバンメトートヘ増援部隊を送らせないため、ブレイク飛行場にたいして砲撃を行った。
　一一日朝、七時二〇分第二三師団司令部への砲撃が開始され、砲撃開始から三〇分後、戦車と歩兵が突入を開始した。
　一〇時三〇分、人民軍はサイゴン政府軍の次のような打電を傍受する。
　「第二三師団司令部は崩壊した。ここはもうベトコンの戦車がいっぱいだ。
　第二三師団救出は不可能。残る砲はあと二門、砲弾は一〇〇発しかない」
　一一日午前一〇時三〇分、バンメトートでの戦闘は終わった。
　ズン総参謀長はボー・グェン・ザップ司令官に電報を打った。――
　我々はバンメトートを完全に掌握した。現在省都にひそんでいる残存兵を追跡している。
　現在までに約一〇〇〇人を捕虜にし、大量の戦利品を手にいれた。バンメトートを確固として固め、敵の反撃に十分備えると同時に、ダクラタ省を完全に制圧するために（市の）周辺での戦闘も発展させる。
　フボン東方で（戦闘を）発展させ、その後、コンツムを包囲、殲滅、孤立させるためにブレイクの方角へ北上する。
　南方への発展は、もう少しおくらせる……

　フエ解放

　サイゴン政府軍は、バンメトートの陥落によって、ダクラタ省地方軍の指揮系統と第二三師団司令部のふたつの中枢を失った。
　しかし人民軍にとっては、敵がどう手を打ってくるかを知り、対策をこうずる必要があった。
　また、タイグェンはあと二ヵ月で雨季がはじまり、大型兵器と大量の資材を装備する大部隊の移動を困難にする。
　ズン総参謀長はこうのべている。
　「現在の問題は、すばやく展開し、敵に立ち直りの時間をあたえず、天候に邪魔をさせないことであった。
　こうして敵との、そして天候との競争が、三月一二日朝からはじまったのである」
　アメリカは、まだ状況をつかんでいなかった。
　三月一三日、アメリカのシュレジンジャー国防長官は
　「今年の乾季で政府軍が決定的な敗北を喫することはない、と予測している。七六年が大攻勢の年となろう」と言明していた。
　だが、攻撃は南ベトナム北部、フエとダナンでもはじまっていたのである。
　三月はじめ、ベトナムの第二軍団の一部がフエの南東方向から攻撃をかけ、政府軍は防戦につとめていた。
　三月八日から一三日にかけて、フエ市内に二〇〇〇人の武装宣伝隊が送りこまれた。
　隊員はフエに知人や友人、親類のいるもので編成され、軽火器と手榴弾をもち、一〇人から一五人のグループで潜入した。
　彼らは戸別に訪問して情勢を説明し、決起の準備や協力を要請した。
　同時に、当時フエにあった三五〇人の地下党組織とも連絡をとり、その活動を助けた。
　党の支持者二五〇〇人もひそかに決起の準備活動をはじめたのである。
　武装宣伝隊と地下党組織は、市民の要求である「米をよこせ」「強制移住反対」「テロ、弾圧はやめよ」の三つのスローガンで、市民を行動に組織した。
　司令部や警察の守備隊員にもビラがまかれ、目立つところ、高いところに、解放民族戦線の旗をできるだけたくさんかかげる準備と呼びかけが行われた。
　また、特別攻撃隊も潜入した。この特別攻撃隊は精鋭分子で編成されていて、西側のレインジャー部隊にあたる。
　味方の車両が通過する橋の確保、敵基地や弾薬庫の爆破、司令部、警察などの悪質分子を狙撃してたおすことなどを任務としている。
　正規軍が攻撃する前に、これだけの準備がフエでは行われていた。
　一方、タイグェン地区、バンメトート周辺では、人民軍は残った政府軍兵力の掃討をつづけながら占領地をひろげ、ブレイクの孤立化を進めていた。
　サイゴン政府軍は、パンメトート奪回の作戦を展開したが、待ちかまえていた人民軍によって殲滅されてしまう。
　サイゴン政府軍は三月一四日午後、ブレイクを放棄しタイグェンから撤退することを決めた。
　しかし人民軍はこの情報をつかんでいなかった。
　一六日夜になって、ブレイクから政府軍が七号道路沿いに撤退しているという情報がはいった。
　ズン総参謀長は、七号道路は使用できないといっていたキム・トウアン第三二〇師団長に電話をいれる。
　「これは叱責（しっせき）されて当然の失敗で、油断といえるんじゃないか。……
　もし敵を逃がすようなことがあれば君の責任だよ」
　第三二〇師団は強行軍を開始し、一七日朝一部隊がフボン東方で七号道路を切断した。
　そして、装甲車、輸送車、弾薬を補給された三二〇師団は、一八日、フボンを解放した。同じ日、第九六八師団はブレイク、コンツムを解放する。
　一方、地方部隊も七号道路を切断、ブレイクから撤退する南ベトナム政府軍は、指揮系統を失いパラパラで敗走する状況におちこんでしまった。
　ズン総参謀長は、敵のタイグェン撤退が戦略的に大きな誤りであると判断した。
　彼はこうのべている。
　「戦略上の誤りが戦争の敗北を招くことは、おそかれ早かれ明白となる事実だ。
　ただ一つ言えることは、敵をこの誤りに導き、チャンスをつくってこれを生かし、敵の失敗を拡大させて戦局の転換をつくりだした側が、まさに我々であったことである」
　チャンスを逃さずに、フエヘの正規軍による攻撃が開始された。
　一九日、タクハン川をこえてクヮンチを解放した北方からの部隊は、ミーチャイン川の防衛線を二二日に突破してフエにむかった。
　同じころ第二軍団の主力はフエ南東から平野部に進出して一号道路を切断し、フーロックを解放、南への退路をたったのち、一号国道を北上してフエにむかった。
　一部の部隊はクアトゥアン方面に進撃して人民の決起と結びついた。
　砲兵部隊の砲弾が、フエの政府軍司令部、フーバイ飛行場、敗走して海岸に集まった政府軍の上に炸裂した。
　大混乱の中でサイゴン政府軍第一軍団は崩壊した。
　フエ市内では、すでに三月二〇日、決起の方針が出され、行政機関などにも秘密のルートで決起を知らせ、人民と協力するよう内部で工作がはじまっていた。
　解放旗がいたるところでひるがえりはじめ、決起した人民が保安隊を武装解除し、政府軍兵士や警察官が市民を強制連行しようとするのをくいとめるために戦い、略奪行為を防ぐために戦った。
　二五日、政府軍勢力は完全に解体、殲滅され、人民軍主力はフエ市内の大半を解放、二六日には、フエ、トアティエン省（現在のピンチティエン省の南部）解放の作戦が終了した。

　　ダナン攻略

　フエを解放した第二軍団は息つくひまもなくダナンにむかった。
　タイグェン地区では、第一九号道路、第七号道路、第二一号道路をそれぞれ、第九六八師団、第三二〇師団、第一〇師団が東へ進撃していた。
　すでに地方武装部隊がサイゴン政権の平定機構を破壊し、人民が決起しつつある中部海岸地方を一気に解放するためである。
　第二一号道路をゆく第一〇師団はカインズオン解放後、南へむきをかえ、ニャチャン、カムラインを解放することになっていた。
　三月二四、二五の両日、ぺトナム中部第五軍区の第二師団はダナン攻略のため攻撃方向を北へむけ、一号道路上のタムキを解放し、ダナンの南をめざして進撃をつづけた。
　クヮンガイの地方軍と人民はクヮンガイ省（現在ギアピン省の一部）全域を解放し、ダナンから南への退路を完全に切断した。
　二六日、ベトナム労働党政治局と中央軍事委員会はダナン攻略の指示を発する。
　そのころ、ダナン市は混乱状態におちいっていた。
　南ベトナム政府はダナンの放棄を決め、南ベトナム政府の政府職員や軍人たちはダナンからの脱出をはかっていた。
　空港は先を争って飛行機にのりこむ者たちで大混乱となり、殺到する人々にむかって輸送機の米パイロットがピストルを発射する事件までおきた。
　離陸するために滑走路を走る飛行機にむかって、無理とわかっても走り出す人がたえなかった。
　三月二八日朝、ダナンにたいする総攻撃が開始された。
　ベトナム人民軍は七個師団の正規軍と地方軍、ゲリラをあわせて一〇万人でダナンを包囲していた。
　まず重砲がダナン飛行場、ダナン軍港、ヌオクマン飛行場、各司令部にたいして攻撃をはじめた。
　二九日、第二軍団の歩兵と戦車が、第五軍区の武装部隊とともに、北、西北、西南、南の四方向からまっしぐらに市内に進撃して重要な政府軍基地と陣地を占領し、市内の特別部隊と武装組織が市庁舎に解放旗をたてた。
　市内の自衛隊と人民が軍の道案内をつとめ、政府軍兵士を追撃し、捕捉、殲滅した。
　多くの人民が決起して逃亡をはかる政府軍に逃げても無駄だ投降した方がよいと呼びかけた。
　ズン総参謀長の回顧録によれば、ダナン市の人民の決起についてふたつの特徴的な例があげられている。
　ひとつは、ホアカム訓練センターの政府軍新兵三二〇〇が革命の側につくか自分の家に帰ったこと、第二は、二九日早朝、数千人の市民がバクダン通りで集会をひらき、アメリカ領事館に狎しかけたことだ。
　三月二九日午後三時、ダナン市は完全に解放された。攻撃開始以来わずか三二時間であった。
　四月一日から三日にかけて、タイグェンから進撃した人民軍は、クイニヨン、卜ゥイホア、ニャチャン、カムラインを解放した。
　サイゴン攻略を含む南ベトナム完全解放を七五年度中に行うという決定は、三月二〇日と二四日のベトナム労働党政治局会議で方向がうち出され、三一日の政治局会議で最終的に決定された。
　政治局は情勢について「戦略体制、政治的、軍事的勢力の面では、我々はすでに敵軍を圧倒する力をもち、戦略上の主導権もとっている。
　敵は受け身であり、狼狽（ろうばい）し、戦略面とも完全に行き詰まり、アメリカは、いまや全く無力だ」と判断した。
　そして、次のように決断した。
　「現時点から南ベトナムでの人民の民族民主革命の達成と祖国の平和的統一の実現をめざして、わが軍隊と人民の最後の戦略的決戦が開始される」
　そして、それをなしとげる時期をおそくとも四月中と指示したのである。

8　サイゴンへの進撃 top

1945（昭和20）年8月太平洋戦争が終わり、ベトナムは旧植民地を取り戻そうとするフランスを破って独立したものの、アメリカがアジアの共産化を恐れ南ベトナムに傀儡政権を作ったので南北のベトナム戦争が起り、そこにアメリカ軍が介入してきて長い戦争がつづいたが、1975（昭和50）年5月に30年の歳月を経て、ベトナムの統一国家が成立した。

　疾風の進撃

　いよいよサイゴン解放の作戦がはじまるわけだが、七五年春の攻勢はいままでみてきたように十分な準備をととのえ、状況を正確に分析し、正規軍、地方軍、ゲリラの三つの軍隊と人民の決起（蜂起）を南ベトナム全土で結合して展開した、人民戦争の最高の状態であった。
　七五年七月に発表されたボー・グェン・ザップとバン・ティエン・ズンの共同の論文「一九七五年春の勝利の総攻撃と決起」は、「革命戦争の指導芸術における新しい発展」と題する部分で、次のようにのべている。
　第一にそれは、アメリカの介入の状況や南ベトナム政府軍の実状をよくつかみ、歴史的な好機の到来をみてとって攻撃を開始し、総攻撃がすすむ過程の中での発展を十分につかみ、さらに好機を積極的につくりだし活用したこと、だとしている。
　七五年四月中にサイゴン解放を決めたことも、この部分にあたる。
　第二に、全面的な勢力の動員と展開、戦場での十分な準備を行い、第一の部分でのべられた戦略的決意、つまり南ベトナム全土解放を実現する条件を保障したこと、そして戦えば戦うほど強くなる状況を実現したことをあげている。
　南ベトナム各戦場への事前の十分な兵力の展開は攻撃の速さを保障したし、輸送ルートの確保は機械化部隊の移動や補給を保障した。
　またザップらは、戦車、機甲部隊、砲兵、防空隊などの各兵種を含む大きな戦略兵団の建設が、強い突撃力、大きな戦闘力、高い機動性をもった強い打撃力をつくりだし、総攻撃における決定的な役割をはたし、ベトナム人民軍の発展の歴史に新しい一歩をしるしたと強調している。
　第三は、総合力の発揮をあげている。
　軍事的進攻と人民の決起の結合が巧みに展開され、山岳部、農村部、都市の各地域を一斉に解放していった。
　第四として、人民戦争における軍事芸術の創造的適用という問題をとりあげているが、この点はサイゴン解放の経過の中でくわしくみてゆくことにする。
　七五年春の攻勢で最初の戦端が切られたタイグェン地区の南方、つまりサイゴンを中心とした地域とメコンデルタでは、三月一〇日から作戦が開始されていた。
　地方部隊は特別攻撃隊と協力しながら、サイゴン西方のメコンデルタにあるタンアン、ベンチェ、ミトなどの後背地にある解放勢力の根拠地をひとつに結びつけ、ドンタップ湿原をへてメコンデルタ西方にいたる回廊を切りひらき、輸送路を確保した。
　サイゴンの北から北西にかけて展開していた第四軍団は、ザウティエン、アンロク、チョンタインを解放し、タイニンと
ベンカットにいた政府軍を釘づけにした。
　三月下旬、第四軍団の第七師団は、二〇号道路を東へむかって進撃を開始した。
　第七師団は戦車と大砲を伴い、ラムドンをめざす。第七師団はこのとき初めて兵種合同部隊を使った。
　装甲車を先頭に、戦車、歩兵、砲兵、兵站部隊という隊形で、二〇号道路を進撃した。
　沿道の政府軍は、その強力な軍事力と気迫におされ、戦わずに逃亡してしまった。
　ラムドンとジリンは解放された。
　三月二七日、タイグェンで戦った第一〇、三二〇、三一六の各師団で第三軍団が結成された。
　第一〇師団はカムラインめざして進んでいたので、二〇号道路を通ってサイゴン西北をめざすことになった。
　残りの部隊は一四号道路を通ってサイゴンにむかうことになった。
　同じ頃、北ベトナムのニンビンに待機していた第一軍団は、戦車、防空車両、工兵の各兵種とともに、チョンソン山脈東側を通ってサイゴンにむかった。
　一七〇〇キロメートルの道を車両で走りつづけた。
　ダナンを解放した第二軍団は、二〇〇〇台の車両を使って南下していた。
　工兵を先行させて橋や道路を修理し、その次に戦車がつづいた。
　対空部隊が援護し、歩兵、砲兵がそのあとにつづいた。
　こうした軍団のあとを、あらゆる種類の車両が昼も夜も、南へ人と物を運びつづけていた。
　北から下ってきたこの流れはクヮンチのドンハで二手にわかれ、一手はチョンソン山脈の西と東へのぼり南へむかい、一手は一号道路を海岸沿いに南下した。
　チョンソンの道は乾季のためにすごいほこりだった。
　そのころ党政治局の命をうけて南へむかっているレ・ドク・ト政治局員が詩を書いている。
（訳詞については佐藤資氏の協力を得た）。

　　　　チョンソンの土ぽこり

　四月二日、タイグェンから南へむかったパン・ティエン・ズンはこうのべている。
　「数百、数千の車がつながりあって、昼となく夜となく走りつづけた。
　土ぼこりの激しいところでは、はっきり見通すことができず、ヘッドライトをつけ警笛を鳴らしながら走らなければならなかった。
　土ぼこりは長くうずをまいてたちこめ、タイグェンのジャングルの一角を通りぬけ、若草萌えるブプラン丘陵地帯も飛びこして、ブーザマップの竹林にまで達した」
　各飛行場ではヘリコプター、輸送機が、弾薬、兵器、サイゴンの地図を運びつづけた。
　川や港からも海路、南へ物資が運ばれていた。
　時間はわずかしかないのである。一刻も早く運ばれなければならなかった。
　「好機は貴重にして時間は力」であった。

　スアンロク攻略

　四月三日、カムラインが解放された。
　その日の夜、バン・ティエン・ズンらはロタニンの西側にある指揮部に到着する。
　ズンらがその途中でみたものは、道路沿いにつくられた、長い戦いの中で戦死した人たちの墓であり、ゴム林の中に待機している戦車、トラック、大砲牽引車であり、ハンモックでねている兵士であり、縦横に走る電話線であり、樹齢を経た木の上で花を咲かせている風蘭であった。
　その夜のうちに、ズンはファン・フン労働党南部委員会書記と会った。
　ファン・フンは防空ランプの下の机にむかっていた。
　開襟シャツの胸をひらき、手にパラシュートの布でつくった扇子を握っていた、とズンはのべている。
　地域指揮部が大いそぎでつくられた。
　木の葉でふいた数軒の木造家屋と、そのそばに防空壕が掘られた。
　夜になると、その森の中では発電機の音や車のエンジンの音が受信機の音とまざりあい、にぎやかであった。
　モーターバイクが広い地域に分散している各機関の間を走りまわっていた。
　モーターバイクは南部での独特の交通手段だった。
　ジャングルの中を、敵の目――とくに飛行機からの目――をごまかして細い道を走りまわるのには絶好であった。
　四月七日午後、そのモーターバイクにのって、レ・ドク・トが指揮部に到着した。
　空色のシャツを着、カーキ色のズボンをはき、ヘルメットをかぶり、黒の革製のリュックを背負っていた。
　翌日、会議がひらかれ政治局の決定が伝えられた。今年の雨季前にサイゴンを解放しようという提案であった。
　それ以後、毎日、準備のための打ち合わせや会議がひらかれた。
　レ・ドク・トはいった。

　四月九日、第四軍団がスアンロク攻撃の火ぶたを切った。
　政府軍にとってスアンロクはサイゴン防衛の東方の拠点であり、プンタウ港とサイゴンを結ぶ一五道路を確保するためにもスアンロクは死守されなければならなかった。
　一五道路は、アメリカからの援助物資のルートであり、彼らの退路でもあった。
　サイゴン政府軍は、第一八師団、第五師団の一部、第三騎兵旅団、第一空挺旅団、残っている砲兵大隊、連合大隊の大半をここにそそぎこんだ。
　戦闘ははげしくきびしかった。
　人民軍の装甲車、戦車の一部は破壊され、弾薬やガソリンの補給がさらに必要となった。
　人民軍は第五九歩兵連隊を増強し、スアンロク郊外の敵が弱い部分で攻撃するように作戦を変えた。
　そして砲兵はピエンホア空港を長距離砲で攻撃する一方、敵の砲兵陣地にも弾丸の雨を降らしつづけた。
　一部の人民軍はザウジャイの三叉路を占領してスアンロクとサイゴンを切りはなすことに成功した。
　四月一六日、中部海岸の一号国道を南下してきた第二軍団と第五軍区第三師団は、ファンランを急襲して解放し、ファンラン空軍基地を占領してサイゴン政府軍指揮官グェン・ピン・ギー中将を捕虜とした。
　軍団は一号国道を前進し、一九日ファンティエットを解放し、スアンロクに近づきつつあった。
　二〇日、ついにスアンロクを政府軍は放棄し、二号道路をバリア方面に逃走をはじめる。
　第五軍区第三師団がこれを追った。サイゴンへの東の門がひらかれたのである。

9 サイゴンは解放された top

　ホー・チ・ミン作戦

　世界中の目がベトナムに集まっていた。
　一九七三年、パリ協定調印のあと、ベトナムは終わったとして遠ざかった目が、また集まっていた。
　それは驚きでもあった。これほど早く、破竹の勢いでベトナム全土が解放されるとはだれも思っていなかった。
　米中ソ三大国間の緊張緩和の構造にのっかっていたアメリカは、「小国」ベトナムに敗北する瞬間が現実のものになろうとしているだけに、その驚きも大きかった。
　しかしカンボジアの首都プノンペンが、解放勢力によって四月一七日解放されたとき、アメリカはアメリカ人を飛行機で脱出させる以外なにもできなかった。
　サイゴンを救うことは、アメリカにとって絶望的であった。
　すでに四月一四日に、サイゴン総攻撃の作戦をホー・チ・ミン作戦と命名することが決定されていた。
　ホー・チ・ミン作戦を完全に勝利させるための活動が、サイゴンの周辺で力をつくして進められていた。
　サイゴンの西南方面からは、軍団の力と規模をもつ第二三二部隊がサイゴンに進撃するための進路を切りひらいていた。
　パムコータイ川の一部を制圧し、タンアンに進出して四号道路を切断した。
　戦車、水陸両用装甲車、八五ミリ直射砲、一二二ミリ榴弾（りゅうだん）砲、一三〇ミリ砲、数百トンの弾薬が部隊に準備された。
　渡河用の浮き橋もとどいた。サイゴンの北西では、第三軍団の一部がゴーザハウ方面でタイニン、サイゴン間の道路を切断し、地方部隊が各地で敵を攻撃しタイニン駐在のサイゴン政府軍を釘づけにした。
　さらに第一軍団と第三軍団は、西北と北からサイゴンに迫り、ドンズー、ベンカットに近づいていた。
　東からはスアンロクを解放した第四軍団がチャンボムに迫り、第二軍団がロンタインに近づき、第五軍区の第三師団はサイゴン東南のバリア、ブンタウをめざしていた。サイゴンの包囲体制がつくられつつあった。
　一方、サイゴンの特別攻撃部隊は六つの部隊に再編成され、統一した指揮下にはいった。
　この特別攻撃隊は、かつてサイゴンのアメリカ人の宿舎となっていたホテルを攻撃し、国家警察本部やアメリカ大使館をおそい、大統領官邸やタンソニュッ卜空港を砲撃した部隊である。
　当時、市外に四個大隊、市内に六〇のグループが組織され、三〇〇人の武装した市民を指揮していた。
　彼らは六つの部隊にわがれサイゴン周辺地区に潜入した。
　サイゴン・ジャディンの都市武装勢力は、各地区に一ないし二個中隊が存在していた。
　ベトナム労働党サイゴン・ジャディン市委員会は数十万枚のビラを配布し、多くの突撃宣伝隊を組織した。
　突撃宣伝隊は、一九四五年の八月革命のときハノイでも活動したように、数百人の応援部隊とともにサイゴン市内にはいりこみ、数万人の街頭デモを組織できるよう準備をすすめた。
　数百台の拡声器つきの自動車が確保され、解放旗をつくるための布地が大量に運びこまれ、解放旗の製造がひそかに始められた。サイゴン市の内外で強力な解放勢力の布陣がつくられつつあった。
　このころアメリカのフォード大統領は、直接介入はもはや行わないが、緊急の軍事援助七億二二〇〇万ドルが必要だと議会に要請した。
　しかし通る見込みはうすかった。
　二一日、議会がそれを否定すると、サイゴンからの米人の撤退作戦が開始された。
　同じ日、グェン・バン・チュウ大統領は、「もはや、我々を助けたくないならアメリカは出ていってくれ」と演説し、大統領を辞任した。
　アメリカとサイゴン政権は内から崩れはじめた。新しい大統領にチャン・バン・フォンがなったが、一週間の大統領でしかなかった。
　解放勢力はサイゴン解放の作戦準備をととのえながら、その具体的な作戦計画を練りあげていた。
　ボー・グェン・ザップとバン・ティエン・ズンが前出の論文でのべた「人民戦争における軍事芸術の創造的適用」の問題がここにあった。
　論文はまず攻撃方向、目標、攻撃時機を正確にとらえることができた点に言及している。
　バンメトートでは敵が弱くなった所と時期を正確にえらんで攻撃した例であり、フエ、ダナンでは敵の重要拠点をあえて攻撃して決定的な打撃に必要な条件をつくりだしたが、その時期は、敵がひき返すことも新しい布陣をしくことも撤退することもできない時期をえらんだとしている。
　論文は次に、適切な攻撃方向と時期が決まれば、適確な作戦形態が必要である、とのべている。
　タイグェン作戦では、敵の交通線を切断して孤立させ、そのため撤退するか増援部隊をくり出さなければならない条件をつくりだし、敵を行軍中に攻撃、殲滅する作戦形態がとられたが、ダナンでは、敵の防御体系の中心をいきなり砲撃し、各方面から一気に進撃して大衆の決起と結合して勝利するという作戦形態がとられたと説明する。
　論文は最後に不意打ちを連続的に行うことの大切さをのべている。
　サイゴンではどうするか。サイゴンの攻撃はすばやく行われ、短期間に勝つことが必要であった。
　戦闘が長びけばベトナム人の命もそれだけ失われ、都市は破壊され、雨季がやってくる。
　もうひとつの問題があった。サイゴン政権は市の外郭に強力な主力軍を配置している。
　これを正面から攻撃していったら戦闘が長びくにきまっている。
　しかしバンメトートのときのように一気に市内に突入したとしても、外郭の敵をそのままにしておけば、敵は市内にもどり、市内での戦闘がおこり長びく。
　どうするか。攻撃方法と攻撃時間をどのように行うか。白熱した討議がつづけられ、次のような結論が出た。――
　外郭線上で各方面の敵を包囲、分断、阻止できる十分な兵力を動員し、敵を外郭からサイゴンへ逃げこませないで、外郭防衛線上で敵の主力を殲滅する。
　同時に、サイゴン周辺の要衝を攻撃、占領したあと、強力な機械化突撃兵団を、主要な大通りを通って一気に市内の五つの目標にむかって進撃させる。
　五つの目標とは、大統領官邸である「独立宮殿」、参謀本部、首都特別軍区司令部、警察本部、そしてタンソニュット空港であった。
　この中枢を一気にたたきつぶせば、決起した大衆が活動し、敵の防衛と抑圧の体系は瓦解し、サイゴンはすみやかに解放されるだろう。
　この作戦計画の立案と同時に、大衆蜂起の計画もたてられ、それらは十分に秘密を守りながら、市内の各組織に伝えられた。

　解放軍サイゴンへ突入

　四月二二日、ホー・チ・ミン作戦の正式計画が最終的に決定された。
　翌二三日、フォード大統領が演説した。

　二六日午後五時、ホー・チ・ミン作戦の火ぶたが切られた。
　二七日午後までに解放軍は、東と東南ではロンタイン、パリアに進出し、西南方面では四号道路を完全に切断、北部ではトウザモットヘ七キロの地点まで進み、北西ではドンズー基地を包囲していた。
　二八日午後、ファンラン空港をとびたったＡ37五機が、タンソニュット飛行場を爆撃した。
　敵から分捕った飛行機を使っての爆撃であった。管制塔は接近してくるＡ37にたずねた。
　「どの飛行団のＡ37か。どの飛行団か」三回たずねたら返事があった。
　「こちら、米軍提供の爆撃機」とたんに爆弾が爆発した。
　パイロットたちは、サイゴン政府軍の空軍にいた秘密党員、グェン・タイン・チュンに三日間指導と訓練をうけただけであった。
　このタンソニュット爆撃は、サイゴン政権をさらに大混乱におとしいれ、決起を準備していた市民たちを勇気づけた。
　二九日午前五時、各方面軍に一斉攻撃の指令が発せられた。
　第二軍団の一三〇ミリ砲が火を吹き、タンソニュットヘ三〇四発の砲弾をあびせた。
　サイゴン周辺の外郭線上では、サイゴン政府軍が包囲、殲滅されていた。
　サイゴン北西では第二五師団長リートン・バ准将が捕虜となった。
　特別攻撃隊は市内にはいる主要道路の橋を確保しつづけていた。三〇日午前〇時前、全軍に指示が出された。
――タンソニュット空港砲撃を中止せよ。
――第三軍団は、タンソニュット攻撃と同時に、一部隊を派遣し、第一軍団と協力して傀儡（かいらい）軍参謀本部を攻撃せよ。
――全突入兵団は、進撃路上の他の目標にはかまわず、決められた目標にむかってすみやかに直進し、進攻速度を鈍らせてはならない。
　突撃兵団は戦車を先頭に進撃した。第一軍団は参謀本部を占領した。
　第三軍団はタンソニュット空港を占領した。
　第四軍団は国防省、放送局を、第二三二部隊は首都特別軍区司令部と警察本部を占領した。
　朝の一一時三〇分、第二軍団が独立宮殿を占領した。
　各方面軍は、五つの主要目標を占領すると、そこから市の外部にむかった。
　解放旗がどこでもひるがえっていた。

　無名の英雄たち

　人民が街頭にあふれ出た。
　人民が敵兵の武装を解除し、反動分子やスパイを捕らえ、部隊の道案内にたった。
　いたるところで、人民がサイゴン軍兵士にたいし、武器をすて降伏するよう拡声器で呼びかけていた。
　労働者は、その工場を破壊から守った。バン・ティエン・ズンがのべている。

　その無名の英雄たちは、解放旗をつくり、それをひるがえして町を歩きまわって、総攻撃にこたえる決起を開始していた。
　サイゴン市第一一区一〇番街の地下党支部委員だったレ・ゴン・リエンさんの場合。
　彼は五〇歳、自動車、オートバイの修理工で八月革命以来の党員だった。
　決起の指令がきたあと、四月二八日、プランの実行にはいっていた。
　地域の住民からもっとも憎まれている一人の男を武装グループが倒した。
　その日、タンソニュット空港が爆撃され、そのニュースがひろまった。
　サイゴン周辺の陣地から逃げてくる兵士の姿が目立った。
　リエンさんらは、アメリカ人が乗りすてた車二台と兵士がすてた四挺の自動小銃を手にいれた。
　三〇日朝、リエンさんら四人は二台の車にのり、大きな解放旗を車にたてて区内を走りまわり、決起の呼びかけをやった。　解放旗をみて人々が集まってくると、リエンさんは大声で叫んだ。

　拍手とかん声がわいた。
　それに元気づけられてリエンさんらは、車を警察の駐屯所にむけた。
　駐屯所のビルの屋上に三人の監視兵がいたので、威かく射撃を加え、「解放軍がくる。降伏せよ」と叫ぶと三人が下へおりてきた。
　そのあと、ビルの中から一個中隊が出てきて、たった四人に降伏してしまう。
　車の後ろからついてきた人々は、四人が一個中隊を降伏させたのをみて、すっかり勢いづく。
　銃を持ったこともない婦人までが、とりあげた銃をかつぎ、解放旗を押し立てて進んだ。

240
　デモは、一個連隊と三〇台の戦車が駐屯しているフートー競馬場にむかった。
　ふくれあがったデモ隊は、動きだそうとした四台の戦車をとりかこみ、威かく射撃をし、「逃げてもむだだ。でてこい」とどなった。
　戦車の中から指揮官の中佐がおりてきた。「中佐の上着をはいでみろ」と兵士の一人が叫んだ。
　上着をはいでみると、下には民間人の着る開襟（かいきん）シャツをつけていた。戦車でぬけだして、途中で軍服をぬいで住民の中にもぐりこもうとしていたのだ。
　これをみた兵士たちは、とたんに銃をすてて両手をあげて出てきた。
　リエンさんたち四人にはじまった決起は、三〇日午前一〇時、フートー競馬場に解放旗をうちたてた。
　グェン・ティ・バンという五四歳の婦人の場合、彼女はサイゴン市第二区で写真館を経営している。
　彼女の話――

　彼女は、アメリカがサイゴンを腐敗堕落させたことへの怒りから解放戦線を支持した。
　徴兵から逃れ地下活動のような暮らしをしている中で、アメリカとチュウ政権への憎しみを燃えたたせて決起に参加した青年もいた。
　ピラと拡声器と旗をジープにつんだ、たくさんの青年たちが、三〇日朝からサイゴン市内を走りまわった。
　解放旗の出現が、サイゴン政権の兵士や警官たちにあたえた影響は、ほんとうに大きかったようである。

　勝利が意味するもの

　決起は四月三〇日から五月一日にかけて、メコンデルタ各地でもおこり、ほとんどの省が解放された。
　デルタの中心地カントでは、やはり解放旗とピラが決定的な武器となった。
　三〇日、まだ解放軍がカントにはいらない前に、公共の建物に解放旗がひるがえり、決起をうったえるピラがまかれ、解放側にねがえる兵士たちがあらわれた。
　人民は放送局を占領し、「傀儡（かいらい）第四軍団は降伏した」と放送したため、軍の動揺がはげしくなり、軍司令部か武器をほとんどもっていない人民によって占領された。
　五月一日早朝、カントは解放された。正規軍がカントに到着しはじめたのは、その日の夜になってからだった。
　サイゴンが解放された一九七五年四月三〇日、サイゴン解放のニュースが日本にも伝えられた直後、宮沢外相は記者会見で次のように発言した。

　それだからこそ、日本政府はベトナム戦争にアメリカが使うための各種の物資を生産して送り出し、武器や艦船の修理に手を助け、パリ協定発効後も五六億円をこえる援助をチュウ政権におくった。
　この金額は、アメリカに次いで第二位だった。
　このようにアメリカのベトナム侵略のすぐれたパートナーの役割をはたした日本政府とアメリカの北爆をはっきりと批難したスウェーデン政府との差は、同じ資本主義国の政府としてもあまりにも大きい。
　同じ三〇日の夜、在日ベトナム留学生が祖国の統一を祝おうとして旧南ベトナム政府大使館に集まったところ、不法侵入で逮捕され、約三〇人の留学生はサイゴン解放の日を留置場でおくったのである。
　警官たちは解放戦線旗をひきさき、「南ベトナムのブタ野郎」とか「後進国のくせに」といった暴言をはいたという。
　これらの言葉の底には、ベトナム戦争が祖国の独立と統一のための防衛的戦争であり、アメリカは、そのベトナム民族の意思に挑戦した侵略者であった、という認識がまったく欠落している。
　この重大な欠落は、明治以後の「日本政府」がアジア民族との関係で果たしてきた役割が、「侵略者」であったという見方の欠落と重なり合っている。
　さらにこの欠落は、第二次大戦後「経済大国」となった日本は、他の「貧しい」アジア民族よりもすぐれている、という思い上がった考えにつながっていった。
　しかし、ベトナム人民戦争の勝利は、こうした見方、考え方の敗北を意味している。
　ベトナム人民戦争の勝利は、アメリカと戦ったベトナム解放勢力を支持した人たちの勝利でもあった。
　解放勢力を支持したということは、アメリカが侵略者であり、どんな民族も独立する権利があり、侵略者は敗北し民族の正しい意思は必ず勝利しなければならない、ということであった。
　この考えは、日本の支配者がベトナム民族や日本人民に敵対するとき、それに抗議する行動を生んだ。
　そういう点では、ベトナム戦争は日本人にとっても、大切な学校であった。
　侵略する者の思想と解放する者の思想の区別と対立が明らかになったのである。
　いま、ベトナム解放勢力を支持した日本の勢力は、ベトナム人民戦争が生み出した思想を、日本の未来に送りとどけようと、行動しはじめている。