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五章　放射能の人体への影響

昭和二十八年八月、私は本社命により広島に別れを告げ、山田赤十字病院長として伊勢に転任した。 　暑い時であったが、元気に転任の挨拶廻りや、病院の新方針の決定などに追われた。 　それが一段落したと思った頃、九月半ばになって、例年の如く微熱と倦怠感が始まったが、この時は十日位でよくなった。 　翌二十九年三月、例のビキニ水爆実験が行なわれた。この年は、六月半ば組合との団交で妥結した直後動けなくなり、遂に四十日間の静養を要した。 　そのころ原爆問題が世論に上り、例のぶらぶら病はやはり原爆の影響であるということが認められるようになった。

　都築博士は、これを原爆後影響症と名ずけて原爆後遺症と区別された。
　伊勢に移住してからも、私は毎年のように一度はこの後影響症に罹患した。
　六月初めの紫外線が強くなった頃、又は八月の盛夏に、或は、漸く夏を過ぎた頃で疲れの蓄積と思われる頃である。
　私の身体の生活予備力が低下してしまい、正常な人よりも予備力が少ないように思われるのである。
　静かな平常活動に於いては何等支障はないが、一たん高い新陳代謝を要求されるようになると、その予備能力がないので直ぐリミットに到達して発病するように思われる。
　毎年八月六日が近ずくと、原爆に関する問題が新聞やテレビに取上げられるが、私も度々その当事者の一人として引合いに出される。
　そしてそれを見聞きしたという被爆者が数名受診に来ている。
　それ等の患者はすべて異常な倦怠感を訴えても、普通医者には脚気とかノイローゼなどと診断され、又は怠惰者のように取扱われて、不満を持っているのである。
　私には自己体験から患者の訴えがよく推定され、又血液検査をすることによって、私と同じような変化のあることが発見されたのである。
　昭和三十年八月十七日、私の白血球は五、二〇〇であったが、好酸球は、二％、単核球五・五％となって全身倦怠で臥床した。
　例年の病気ではあるが、主治医は今回は治療のため新鮮血輸血を試みることを奨めた。

ありがたい事に山田赤十字病院の職員が多数供血を申し出てくれたので、二十六日から毎日五〇mlを輸血した。 　三回までは反応はなかったが、第四回になって輸血後三時間を経て三八・五度の発熱があり、六時間持続した。 　私の感じては、反復輸血による反応であるうと考えられたので主冶医に話したが、普通この位の少量輸血ではそのような反応を示すことはないので信頼されず、何か他の原因であろうということになった。 　そこでその翌日、テストケースとして輸血を行なって見ることとした所、前日と全く同様な発熱と倦怠違和感を生じたので、私の身体的過敏反応と判明し、輸血は中止した。　被爆以来体質が変ったことが考えられる。（右図参照） 　昭和三十一年は、七月十五日から臥床した。 　この時は前年の輸血にこりてロヂノン四〇mlを静注したが、悪寒発熱した。 　私にとっては、ロヂノン四〇mlの静注は多量に過ぎるのではあるまいかとも考えたが、更に試験してみるつもりで翌十六日にも行なったところが前日同様悪寒発熱した。 　以来、私はこれを二〇mlを限度としている。その時の体温表は下図の通りである。 　昭和三十三年の八月、私は例年の通り白血球が減少して五、〇〇〇となり、臥床した。 　かねてから大阪日赤の菊池院長の御厚意もあったので、入院して色々と検査を受けつつ加療していただいた。

　一週間の加療で気分もよくなったところで、胃腸のレントゲン透視を受けたのであるが、その夜からやはり違和感を生じ、翌日の白血球数は七、八〇〇に上昇した。
　翌々日も同様白血球は増加していたが、第三日には白血球は又五、〇〇〇以下となって、入院前のような症状となった。
　これは、私が放射線に対し過敏に反応することを示す事を明瞭にした一つのテストでもある。
　考えて見ると、ビキニ水爆実験のあった夏は、私も最も強くこの原爆後影響症が発現したが、何か関連があるように思われる。
　伊勢市大湊町は木造船の造船所として有名なところであるが、昭和三十年の春、強力（ごうりき）造船所の社長から放射能について講演を頼むという依頼があった。
同氏は伊勢ロータリークラブの会員で、懇意な方である。理由を聞いて見ると、例の焼津港の第五福竜丸はその後一年間使用されていなかったが、今般水産大学練習船として買い上げられたので、学生の航海実習用に内部改造することとなり、強力造船所がその改装を依頼されたのである。
　所が、工員に辞職するものが相次いで出てきたので困っている。
　工員にその理由を聞くと、福竜丸には放射能が残存し、あれを改造などすると死んでしまうぞと言われ、又町民が挙って、強力造船所の工員が共同浴場に入浴した後には入らないぞと、十時以後最後に入浴させる様に取りはからってくれと言われてして、大湊町全体のさわぎになっているというのである。
　強力社長と相談して、夜八時頃から町民を学校に集めて私は放射能について話をした。
　町民にとっては重大関心事であったためか、大集会であった。
　御承知の様に、昭和二十九年三月一日、ビキニ島東方約八〇マイルの地点に出漁中の第五福竜丸の乗組員は、夜中に太陽の如き火球を眺めた。
　次いで午前七時頃から灰が降って来たが、そのまま網を引いて、正午頃になって漁を終えた。
　十四日朝焼津港に上陸した時、全身違和を訴えるものがあり、その船中の灰に放射能が検出されてにわかに問題となった。
　頭髪にかぶった灰を洗い落していたものもあったが、まだそのままの者もいたという。
　この乗組員は十三日間、船上の灰から、又直接皮膚に付着した灰から、或いは呼吸によって吸入された肺内のものから、又は食事によって口から体内にそれぞれ吸収された放射能をもったことが考えられ、急性放射能症となっていたのである。
　三月十七日福竜丸甲板上での測定によると、その放射能は一〇乃至二〇ミリレントゲン／時であったという。
　放射能の強さをあらわすのにレントゲンという言葉を使用するのであるが、〇・三レントゲン／週というのが、ショウジョウ蝿に放射線をかけて、その遺伝に突然変異がおこらぬ程度として推定した値である。
　放射能は時間の経過と共に急速に減弱するものであるから、三月十七日の福竜亢甲板上に残っていた放射能から逆算すると、三月一日に於ける同甲板上の放射能の強さは、五〇〇レントゲン／日となるので、これは実に最低許容量の〇・三レントゲン／週の約一万倍という大量のものなのであり、致死量を超えており、急性放射能症になるのは当然である。
　人間が一回に二五レントゲンの放射能を短時間受けた場合には、血液に一時的変化がおこり、一〇〇レントゲンの放射能を短時間受けた場合は吐気及びその他の放射能症状を示すことがある。
　しかし人体には回復作用があるので、長時間にわたって受けた場合は、放射能の総量は大量であってもその影響は少ないものである。
　広島の場合は、半径一キロの範囲内で瞬間的に六〇〇レントゲンを全身に照射されたことになり、全員死亡し、又半径一・三キロ内では四〇〇レントゲンを全身照射されたもので半数は必ず死亡する量であったのである。
　即ち照射量が多くても、照射時間と全身か局所だけかによって大きな相違が出るものである。
　ビキニの死の灰中に検出された放射能性物質（京大木村研究室発表のもの）の主なものはクリプトン、ストロンチウム、イットリウム、ジルコニウム、ルテニウム、アンチモン、沃素、バリウム、セリウム等である。
　勿論珊瑚礁の炭酸カルシウムが主成分となって、これに核分裂生成物の多様な放射性同位元素が付着していたものである。
　又、この灰中にウラニウム二三七が証明され、このビキニのＵポンプはリチウム爆弾をウラニウム二三八で包んだ新型のもので、広島、長崎の原爆の約七百倍の威力を発揮したものと推定された。
　ビキニの水爆はこのように強大なもので、六〇マイルも離れた地点にあった福竜丸乗組員に放射能症があらわれたのも当然であった。
　久保山さんが遂に最大の犠牲者となられたのは大変お気の毒なことであった。
　けれども出来るだけの医療と手厚い看護を受けられたことは一面では瞑すべきではなかろうか。
　広島、長崎に於ける被爆者には治療法も全く不明であり、且つ物資もなかったのである。
　海水が汚染されれば、当然海産物も汚染される。
　第五福竜丸のマダロは、未だ海水汚染に至らない時で、降下する灰によってその表面や腮（えら）までが汚染された。
　私は遠海で水洗して一年位冷凍すれば無害にならないものかと考えていたが、放射能性物質の付着した初めての例として、食品衛生上棄却するごとに決定された。
　棄却と言っても、地下深くに埋めることには莫大な労力を必要としたことである。
　この棄却決定前に既に市販されたものがある。
　三重県の山村に村祭があって、全村この鮪をすでに食用に供したというので、棄却決定に村の人達が驚いて私のところに相談に来られた。
　魚肉そのものに放射能性物質が浸透していたのではないが、調理によっては表皮についた灰で汚染されることもある。
　刺身として食べたとしてもその量は少量である筈と言ったが、恐れをなして承知しない。
　私は止むなく、私自身の血液検査に準じて、申出のあった三重県山村全員の血球算定、血液像の検査をしたが、異常と疑うものはなかったので、村人は漸く安心したのであった。
　福竜丸事件以来、南洋の漁場の魚は放射能検査がきびしくなって、全国各地の港でその陸揚げか禁止する所が多数あった。
　下関港は、水産山口県の名にかけてこの陸揚げは禁止しなかったので、南海の魚は自然ここで一旦陸揚げされてから各地に陸送されたので、実際は廃棄された魚はないが、誰もこれで放射能症を発病したものは見当らなかった。
　さて、福竜丸が改装にまわされたのは、事件後一年有余を経過してからである。
　たとえ残存放射能があったとしても、極めて微量になっている筈である。
　又、水産大学での購入に際して、当局者も政府も、危険なものを許可する筈はない。
　私は、直接福竜丸の残存放射能を今更科学的に検査することは出来ないけれども、時間的にも全く無害になっているものと信じていた。
　住民の無益な恐怖心は払拭してやらなければならない。私は私共が日常受けている放射能についての話をした。
　天然の放射能というのは、地中に含まれている放射性物質からの放射能と、空気中の宇宙線にもとずくものとである。
　天然の放射能のカウントは、一日の中でも時刻により、又地上からの高さによって異るし、或いは季節により差がある。
　一般に、雨が降った時は平素の十倍位になることもある。勿論放射性物質を含む地質によっては甚しい差異がある。

　アメリカ原子力委員会の発表によると、宇宙線としては、一平方インチにつき水平海面上で平均一分間六・五個の割合になっているという。
　又、この数は海面から一万五千フィート上がると五倍になり、五万五千フィート上空では約七五倍になるという。
　それは地上の塵埃に吸収されていないからである。
　人間は誰でも不知不識の中に、天然放射能により一年間総計では○・○八〜〇・八レントゲンの放射線有効量を受けているものである。
　その他人工的にも、私共はレントゲン線による写真撮影や、セシウムやコパルト（六〇）などの放射性アイソトープによる治療では勿論のこと、夜光時計のダイヤル塗料、ラジウム温泉の利用など、種々の機会に放射線を受けているのである。
　しかし一般に、これ等日常の放射能については全く意に介せられていないが、どの位までの放射能なら無害であろうか。
　即ち許容量の問題である。
　今日では、一週間に〇・三レントゲン、即ち三〇〇ミリレントゲソまでは無害だといわれている（前出）。
　週三〇〇ミリレントゲンということは、一時間一・八ミリレントゲンということになる。
　これをガイガー計数管によるカウントから大ざっぱに換算すると、放射線源から三〇センチ離れたところで一、七〇〇カウント／分のガンマー放射線の照射を受けると七二ミリレントゲン時間となっているから、許容量一・八ミリレントゲン／時というのは約三〇〇〇カウント／分ということになる。
　この換算法は放射線のエネルギーの大小や計数管の性能等にも左右されるので、単にカウント数だけで正確に判定されるものではない。
　以上は放射線源が体外にある場合であって、食物などによって体内に吸収されている場合は又複雑となる。
　放射性ストロンチウム（九〇）は食物と共に体内に入ると、その二五％が骨組織に入る。
　ストロンチウムの放射能の半減期は二〇年であるが、身体の新陳代謝だけで排出されて一〇・五年で半量となるから、この両者即ち自然半減期問と新陳代謝能力とて七・四年で半減することになる。
　放射性コバルト六〇は食物中の二〇％だけが肝臓に貯蔵されるが、半減期は五・七年であるにもかかわらず新陳代謝が早いので八・四日で排出される。
　このような事から考えると、水の場合一回なら一リットル中二〇マイクロキュリーまでは飲めることになる。
　けれども水は常用するものであるから、その安全性については慎重を要する。
　さてキュリーというのは、放射能の強さを示す単位で、これはラジウムを発見したキュリー夫妻の名を使用したものである。
　ラジウムはその核が不安定で、常にその一兆分の一ずつこわれて放射能を出すのであるが、一グラムのラジウムからは一秒間に三七〇億個の原子が跳び出すので、これは三七〇億カウントになる。
　しかしこの量は余りに大量であるので、実用にはその百万分の一であるマイクロキュリーという単位を用いる。
　即ち、三七、〇〇〇カウント／秒である。
　一万分の一マイくロキュリーと言えば、三・七カウント／秒で二二二カウント／分となる。
　この数は、放射線源から四方八方に放出される総数であって、計数管で計るときにはその一部だけしか計測出来ない。
　故にその放射能源から一センチ離したところで計数管で計測すると、二二二カウント／分は一四カウント／分（アメリカ計数管）になり、日本の計数管では四〇カウント／分となる。
　この一万分の一マイクロキュリーの水なら一生飲めるというのである。
　また一回限り飲用するときは、その百倍である一、四〇〇カウントまで許容される。
　あるいはアメリカ原子力委員会では、核分裂生成物が創造されてから三日後に、全放射能が一リットル当り五マイクロキュリー（七〇万力ウント／分）以下であれば、長期にわたって飲用しても差支えなしという。
　これによると、許容量にも五万倍の差があることになって、何だかすっきりしない感がする。
　今後の研究を要するところである。

我国で、放射能雨の測定には電熱器上の磁性皿で放射能雨一〇〇mlを蒸発させ、さらに赤外線ランプの下で、小さな容器に移した雨を蒸発乾固させる。 　それをガイガー管の下約一〇センチの所に入れ、ガイガー計数装置で二〇分間カウントを測る。 　この一〇倍が放射能雨一リットルのカウント数となる。 　さて、我々が日常うけている放射線には右の表の様なものがある。 　これによると、胸部をレ線で一回撮影すると一週間分の放射線許容量を使用したことになる。 　治療用には甚だ大量を用いることになるが、これは局所に止るから実害が少ないのである。 　胸部レ線写真も断層撮影の如く数枚をとることになればはるかに許容量を超すことになるが、実際には誰も不安は感じていないものである。 　日本におけるラジウム温泉では、三朝（みささ）と増富温泉が有名である。 　三朝温泉の放射能は一八〇マッヘ、増富温泉のは八〇〇−一、二〇〇マッヘである。 　一マッヘというのは五〇カウントであるから、増富の如きは六千カウントとなる。 　この温泉に遊ぶものは悠々とこのカウントの放射能を全身に受け、更に温泉水を飲んで療養しているわけである。 　腕時計のダイヤルにあるラジウム塗料でも、一時間一、七〇〇カウントとなるし、又目覚し夜光時計になると優に三、〇〇〇カウントとなるのである。 　即ち、三、〇〇〇カウントの雨が降っただけでは驚くにあたらないと思う。

原爆による放射能は時間の経過と共に著しく減衰するものである。 　広島に於ける原爆一分後には　8.2×10の5乗グラムのラジウムに相当する放射能が出たといわれる。 　その減衰の率は右の様になる。 　従って福竜丸の残存放射能は、そのまま放置したとしても一年以上経た今日は極めて微々たるものになっている筈であり、更に水で洗ったり自然の雨水で流されたりして灰は流れてしる。 　又水産大学ではガイガー計数管で測定している筈であり、科学技術庁も危険なものを払い下げ許可することはないので今やその放射能の心配はない。

　又、広島の原爆で爆心地に近いところ程大量の放射能で即死し、又時日を経て死亡したものが多いことは確実であるが、放射能が飛散したとしても微々たる許容量以下のところでは、勿論全く無影響であった。
　ただその境界線の地域では、むしろ稲の生育が却ってよくなったり、又、永年のリウマチ患者や、弱かった体質のものが元気になったりした例がある。
　即ち、適当な放射能有効量は、逆にそれが刺激となってそれを浴びて元気になった人さえいるのである。
　彼岸花など丁度芽が出ようとしていた植物は、その位置によってにわかに差を生じたのである。
　以上のような話で、大湊町民も最後には、むしろ放射能には少し位当った方かよいですね、というようになり、作業は予定通り進捗して八月初め頃完成し、芝浦水産大学で引渡し式があった。
　当時、私は又例年の通り東京の自宅で静養中であったが、この式には造船所からも水産大学からも是非出席をと懇請され、倦怠感をおして盛大な式典に参列した。
　私の話を信じてくれた純朴な町民の協力で、何か社会に役立つことが出来たことが、そのとき何より嬉しかった。