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町医の鉄道建白書 鉄道草創期の請負業者 原敬首相暗殺事件
浜口首相狙撃事件 INDEX
Ⅲ 東京駅頭の暗殺事件
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呪はれたる十一月四日、一世の英雄
剛腹の大政治家 原敬氏
刺客は白面の一少年、国電大塚駅の転轍手 中岡良一
時――大正十年十一月四日午後七時二十分
所――東京駅乗車口構内
刺客――鉄道転轍手、中岡良一（一九）
原敬氏の歿年――六十六歳
呪はれたる十一月四日
一度ならず二度までも、東京駅頭を鮮血で彩った大正昭和にかけての二大暗殺事件。何の符合か、月も又同じ十一月。しかも一つは、政友会の原敬首相。一つは民政党の浜口首相――そこに、不可思議な、而も惨酷な人の世の、定めの不可解さを感ずる。
この血で彩られた史実を、ここに記録して置くことは、後世史家にとって、何等かの存在意義が生ずるであらうことを信じ、二大暗殺事件の顛末を便宜上二つに分けて摘記して置こう――。
1 蒼白蝋の如き死顔 top
政友会の内閣総理大臣、原敬氏は、京都で開かれる政友会近畿大会に出席するため、時の鉄相元田肇、文相の中橋徳五郎氏等と共に、東京駅に乗りつけた。
その時、乗車口の構内にいた久留米絣の着物に、鳥打帽子、板草履といういでたちの少年が躍り出て、だしぬけに「国賊！」と叫ぶや刹那に、ざくりと胸部深く突刺した。
「何ツー」
と、一歩乗り出した豪放の原敬氏も、その偉大なる長躯を、ばたりと、あたかも大木の倒れる如くに斃（たお）れてしまった。
それは、あまりに突差の事変であった。見送の人々も、手の施しようがなかった。
時を移さず駅長室に担ぎ込んで、大テーブルの上に安臥せしめ、直ちに応急の処置をとったけれども、最早如何ともする術がなかったのである。
というのは――短刀が、左乳の下方から深く右下に入って、刀尖が心臓に達しているので、胸腔内への出血甚だしく、さすがに傲岸な原敬も、一語をも発することが出来なかった。
自動車で駆けつけた、気丈な、あさ子夫人も、傷ロを清拭して、蒼白蝋の如き死顔に、ただ無念の涙をはらはらと落すより他に方法を知らない有様であった。
さて、刺客は何者か――それは実に意外な人間であった。
中岡良一と称する十九歳の少年で鉄道省大塚駅に、転轍手として働いていた日給一円十銭の無名の雇員であった。
少年刺客中岡は、東京市外西巣鴨に、母と妹と弟の、ささやかな生活をしていた。
父は七年前病没した。祖父は、土佐の志士の大先輩、中岡慎太郎であると申し立てた。
中岡は、「明治裏面史」等を耽読し、平民新聞の類を好んで愛読した。
そして議会における原首相のあの憎々しげな態度を想像して、彼は凶賊である、と早合てんしたのである。
私怨は元よりない。しかし少年らしい純真さと、真面目さはある。が、思慮分別はない。
彼の、こうした気持は、起居を共にしていた母親さえも知らない程であった。
さて、中岡が兇行用に供したのは、刃渡り六寸、白鞘ぐるみの八寸の短刀で、同年八月ごろに、巣鴨宮仲居住の運輸日報記者、鳥居整という男が、不用になって、同町の刀剣商、中川友作方へ金一円也で売却した古物であった。
その短刀を小石川区江戸川町の研師（とぎし）、古川四太郎の手で、五十銭で研ぎ上げられたものを、中岡が金三円也で中川方から買取ったものである。
2 わが姓名の新聞にのるとき top
「重要手帳」と名ずけて、中岡が所持していたものに、次のような決意が記されていたのであった。
大正十年九月一日、忘れるなかれ、わが姓名の新聞にのるとき（大きな写真）とあり、更に芝公園の原首相私邸の番地や、電話番号及び永田町の首相官邸の番地等が書きとめてあった。――
それによって想像すると、彼は九月一日に大事を決行する予定であったらしいのを、機会を逸したので、十一月四日に変更したのであらう。
遺書や、斬奸状等を持っていたというし、暗殺の時に「国賊！国賊！」といった後、捕えられるに及んで、「残念だ！残念だ！」と、叫んだという点から考へて、刺殺後に自刄する予定であったらしいことが想像される。
その当時の遺書、斬奸状等が、発表を許されないのは遺憾であった。
中岡は、自ら憂国の志士を以て任じていた。だから、国賊原敬を殺せば、内閣は倒れる、そうすれば、直ちに善政が行はれるものと信じていた。
兇行の以前にも、短刀を、ふところにして、立川から新宿まで尾行したというのであるから、九月一日の予定が十一月四日になったことはよくわかる。
彼が山の手線大塚駅の信号室内で、一人興奮を感じながら
撫腕焦心刀鍔 不容赤心回天策
豺狼側役白狐逸 風雨激甚時十時
という詩をつくっているところからみても、如何に彼が、現代離れのした早熟な少年であったかが窺知される。
兇行に出かけるに先立って
「最後の時、汚れているものを身につけては男の恥である」
と、常々亡父に云はれた言葉を想い出し、新らしい襦袢（じゅばん）や着物に改めたこと、或は、その際和服を着けたこと――、即ち
「小なりと雖も、自分は官吏である。官服をつけて、人を殺しては申訳がない。」
等々、考へたことを思い合わせると、当時彼の心境に往来した正義感というようなものを深く考へさせられる。
当時、原敬暗殺事件の、有力な教唆者として引致された大塚駅助役、橋本栄五郎（当時三十六歳）及中岡良一に対する予審決定書の全文を掲げて、この事件の推移を明らかにしよう。
3 予審終結決定の全文 top
予審終結決定
本籍及住所 東京府北豊島郡西巣鴨町大字巣鴨二千百五十四番
鉄道省大塚駅転轍手 中岡良一 士族 明治三六年十月生
本籍 宮城県遠田郡桶田町二百九十四番地
住所 東京市浅草区小島町二七番地
鉄道省大塚駅助役 橋本栄五郎 平民 明治二十年七月生
上記の良一に対する殺人、栄五郎に対する殺人教唆被告事件に就き、予審経緯を遂げ、決定すること次の如し。
主 文
本件は東京地方裁判所公判に附す
理 由
被告人良一は、鉄道省大塚駅転轍手、又被告人栄五郎は、大塚駅助役にして互に親交あり。
かねて新聞雑誌等の記事を見て、共に現内閣に対し反感を抱き、常に時事を論議し、その悪政を憤慨しいたが、栄五郎は、内閣を倒さんとせば総理大臣原敬を倒すにしかずと説示し、以て被告人良一をして、原首相暗殺の必要あることを痛感せしたるに努めた。
その結果、被告人良一は大いに被告人栄五郎の所論に感激共鳴し、漸次原首相を暗殺するの志を抱懐するに至りたれども、尚決する事あらざりし所、たまたま本年九月二十八日、朝日平吉が安田善次郎を暗殺して、直ちに自殺したる事が新聞紙上に報道せれた。
被告人良一は之れに感激し原首相を暗殺すべしと云ふや、被告人栄五郎は決行せよと進めたるを以て、遂に前同月三十日夜深更に至り、首相暗殺を決意し、被告人栄五郎より金五円を借受け、同年十月二日短刀を買入れて、暗殺の用意を為したるに、同夜原首相が信州政友会大会より帰京する旨の新聞記事を見たるを以て、直ちに上野駅に至り之を要したれども、時に遅れて果せなかった。
その後首相の身辺に接近し難き旨を被告人栄五郎に告げるや、鉄道従業員の正服を着用せよと指示し、或は原首相に硫酸を投げつける方法につき談じ、以て益々被告人良一の決意を強固ならしめ、その結果被告人良一は、原首相が政友会大会臨席の為め、各地に往復の途上を要して、之れを決行せんとその機を覗い、十一月四日午後七時二五分原首相に迫り、短刀を以て殺害するに至ったものなり。
この事実は是れを認むべき証拠充分にして、被告人良一の所為は刑法第百九十九条二項、被告人栄五郎の所為は、同法第六十一条第一項、第百九十九条に、各該当する犯罪と認めるを以って、刑事訴訟法第百六十七条に則り、主文の如く決定す。
大正十年十二月十九日
東京地方裁判所予審判事 山崎 佐
それから公判の結果、翌大正十一年六月、主犯の中岡は無期懲役に処せられて、早速、小菅刑務所に入った。
橋本は、証拠不十分で無罪となった。
次にその判決文を抄出しよう。
判 決
本籍及住所：東京府北豊島郡西巣鴨町大字巣鴨二千百五十四番地
士族 無職 中岡 良一 当二十年
本籍：宮城県遠田郡涌谷町二百九十四番地
住所：東京市浅草諏小島町二十七番地
平民 無職 橋本 栄五郎 当三六年
上記の良一に対する殺人、栄五郎に対する殺人教唆被告事件に付き、当裁判所は、検事、猪悦治六、予審審理を遂げ、判決すること次の如し。
主 文
被告人、良一を無期懲役に処す。
被告人、栄五郎は、無罪。
押収物中、短刀一本（大正十年押第九六一号の二）及海軍ナイフ一本（同号の一）は之を没収し、その他は差出人に之を還付す
理 由
被告人良一は、大正八年十一月、山手線大塚駅の駅夫と為りたるものなるが、性格が事に感じ易く、熱し易き少年にして、夙に明治維新前における志士の風を喜び、名を世に揚げようと想った。
然るに大正九年春ニコライエフスクに、日本人虐殺事件起り、又その後シベリヤ撤兵問題、満鉄重役背任事件、阿片不正事件等相次いで起った。
世論は内閣総理大臣原敬の責任を問い、その施政を攻撃し、原敬は政治力を党利の扶殖に用いて、国利を重んぜざるものなりとして、之を非難する者が多かった。
被告人良一も亦、これ等時事問題に関する新聞雑誌の記事論議等を読んで、原内閣の施政を悪政なりしとし、これを倒さざるべからすと為すに至った。
大正十年九月上旬大塚駅に於て、同駅助役たる被告人栄五郎等と政治を論じ、原首相の政治的地位は牢乎として抜くべからざるものあるを知るに及び、被告人良一は、今の国民の多数は等しく原内閣の倒壊を希望するも、その手段がないので苦しんでいるが故に、今被告人にして一身を賭して首相を殺害すれば、原内閣は倒れ、国民は悪政より救われるべく、被告は志士として一世を震撼せしめ、名を後世に残すに足るべしと思惟するに至った。
尚未だ暗殺の決意定まらざりし処、たまたま同月二十八日壮士朝日平吾が、富豪安田善次郎を剌殺して自殺する事件があった。
良一はその翌日新聞記事に依って之を知ると共に、世の同情善次郎に薄くして、却って平吾に厚きを見て、又被告人栄五郎が之を以て富豪覚醒の端を開くものとして、平吾を称賛するのを聴き、深く平吾の挙に感激し、同月三十日夜、熟慮の末、遂に平吾に倣い、原首相刺殺を断行することを決意した。
同年十月二日まず同駅附近の金物店より白鞘の短刀一本（大正十年押第九六一号の二）を購入した所、あたかも同夜新聞記事に依り、原首相が信州政友会大会より、同夜十時頃上野駅着の列車にて帰京することを知ったので、原首相を同駅で襲撃しようと、上記短刀を携へ急遽同駅に赴きたるも、時遅れてその意を果せなかった。
次で同月七日頃原首相が同月九日夜、甲州政友会大会より中央線にて帰京することを知ったので、同月九日夕上記短刀の外予備として、海軍ナイフ一本（大正十年押第九六一号の一）を携へ、原首相の乗車する列車に中央線立川駅より乗り、以て階段の隙を窺いたるもその機会が得られなかった。
更に同月二十四日岐阜政友会大会より帰京の原首相を要撃せんとして、東京駅に赴きたるも、首相に出会せざりし為め、亦その意を果せなかった。
越えて同月十一月一日頃、原首相が政友命近畿大会臨席の為め、同月四日午後七時三十分東京駅発の列車に投じ出発することを知るや、前と同様、短刀及海軍ナイフを携へ、同四日午後六時頃東京駅に来て、乗車口構内の広場に於て、首相原敬の来るを待受けていた所、首相は同七時二十分頃同所に来て駅長室に入ったので、被告人良一はこの広場三等出札所附近に佇んで之を窺っていた処、同七時二十五分頃、首相が駅長室より出て、改札口に向かおうとして、この広場に差掛るを見たので、突如短刀を抜き、疾驅して同首相の胸部に衝突し、その右胸部を貫いて心臓を刺し、よって同人をして心臓内出血の為め、数刻を出でずして死亡するに至らしめたるものなり、云々。
大正十年六月十二日
4 獄中におけるその後の良一 top
この判決を不当として、その翌十三日に猪俣主任検事から控訴したけれども、東京控訴院は控訴を棄却して、十月二十七日に前判決通り中岡を無期懲役とし、橋本を無罪とする旨の言渡をした。
そして中岡はこれに謹んで服したのであった。
中岡は、入獄の翌年（大正十二年）小菅から宮城刑務所に移されてからは、引続いてそこに居るが、よく獄則を守って前代未聞の模範囚と認められ、表彰さへされている。
その上大正十三年の今上陛下の御成婚式に二十年の減刑という恩典に浴し、大正十五年、大正天皇の崩御で十五年となり、昭和三年、今上天皇の御大典に依って又々十一年三ケ月に減刑されたので、今日までにすでに九ヶ年半を過した彼は、昭和九年一月三十日に、刑務所から出る勘定で、今は宮城刑務所の図書係として、極めて信認が厚い。
三度まで恩典にあづかったのは、勿論幸運の致す所であるけれども、亦彼の態度の真面目なことが、非常に重大な関係を持ているのを見逃してはならない。
彼は今、獄中で熱心に仏教大辞典を耽読しながら、自分の誤解の為に、偉大なる政治家原敬を殺したことを悔いる念に切で、出獄の暁には僧侶となって、原氏の墓畔に庵室を設け、余命をその菩提を葬う為に捧げたい決心であるということである。
原首相の遺骸は、七日の午後一時に政友会本部で告別式をした後、十一日に盛岡で葬儀が営まれる事になった。
告別式の日、朝野の名士で会合しないものは殆ど無い位で、弔問者の数二万を数へ、交通巡査の努力が一通りではなかった。政敵として議会に睨み合った犬猿唯ならぬ憲政会総裁の加藤高明が、浜口雄幸、下岡の両総務を伴って会合したのは、就中、人目を引いたのである。
その夜の十時、上野駅発の汽車で、八日の午前十時に遺骸は盛岡に着し、十一日に大慈寺内に埋葬式が行はれ、墓標には奥床しく『原敬之墓』の四字のみが筆太に記されたのである。
その他、書くべき多くの材料はあるが、本篇の目的でないから之を省略する。
ただ鉄道人の手によって、一国の平民宰相が、東京駅頭の花と散り果てたことを記述するに止める。
5 釈放後の良一（HP管理者追記） top
中岡良一は13年の獄舎の後に出所し、のちハルビンに渡り（昭和初期）同地でイスラームの尊厳にふれて一念発起イスラームに衷心帰依した。かくて彼は純良なる一個のムスリムとなり更生して社会慈善家となり、昭和二十年日本敗戦まで大いに活躍したという後日談がある。
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