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�W 再び血で彩どられた東京駅

不吉な符合か、月もおなじく十一月、浜口雄幸氏狙撃事件
11と4に秘められた不可思議な人の世のさだめに戦慄する

1 浜口雄幸首相と佐郷屋留雄（さごやとめお）

　昭和五年十一月十四日、午前九時、大演習陪観のため、超特急富士で西下せんとする、民政党総裁、内閣総理大臣、浜口雄幸氏を、東京駅頭に擁して、射撃し、殺害を計った佐郷屋留雄青年（当時二十四年）の、いわゆる、浜口氏狙撃事件は耳新らしい暗殺事件であるだけに、未だ読者諸君の脳裡に、新らしくしかも生々しい気憶として残っているであらう。

　本文起草の時までは、判決も確定していないので、単に、事件の原因、動機、公訴の事実、等を当時の事実に立却して、総合按配し、之を記録するにとどめる。
　殊に、第一回公判の聞かれた昭和六年十一月三日の公判記録は、事件の全体を鳥瞰するに便利であるから、その骨子を披露してみよう。

2 公判記録  top

　昨年十一月十四日東京駅ホームに於て前宰相浜口雄幸氏をピストルで狙撃し、重傷せしめた愛國社員佐郷屋留雄（二四）並びに松木良勝（三二）の両名にかかる殺入未遂及び同幇助事件の第一回公判は二日午前十時半より東京地方裁判所刑事一部小林（四）裁判長、鈴木検事係りで開廷された、

　この日午前八時から裁判所正門に詰めかけた傍聴者約百名は一々傍聴券を交付されて定刻前一斉に入廷、中でも人目をひいたのは婦人達八名、角帽の学生連が半数、吉村岳城や力士真鶴の姿も見えた。
　佐郷屋の知人である愛国社同人も十余名、この中に銃砲火薬類取法施行規則違反に問われ、今回分離された愛国社盟主岩田愛之助氏の黙々たる姿も見えた。

　午前十時七分、看守に付き添はれて被告二名が階段を上って入廷する。
　先方が佐郷屋留雄、五分がり頭に小絣の袷、猪首をグツと持ち上げて不屈そうな面構へを傍聴席に向けると、パチパチ、パラパラと拍手が起る。
　被告の友人たちから送られた音の挨拶だ。

　十時半小林裁判長以下着席、林弁護士以下二十余名の弁護士も席に着き、裁判長は氏名、生年月日、本籍現住所等の取調べを行う、ついで鈴木検事は起って別項の公訴事実を陳述した。

　　　　　　　被告の氏名
　　　　　　　本籍　長崎県東彼杵郡抜彼村宿郷八九
　　　　　　　住所　東京市赤坂区田町二ノ一八松本方無職榊原剛事
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　殺人未遂　佐郷屋留雄　（二四）
本籍　山形県東直腸郡梨郷村大字梨郷一三九一
住所　東京市赤坂区田町二ノ一三著述業
　　　　　　　　　　　　　　　　殺人幇助　松木　良勝　（三二）
佐郷屋、兇行の動機を陳述す

　鈴木検事は起って公訴事実を述べた後、
　「予審決定は殺入未遂であるが、浜口雄幸氏は予審決定後死亡した。
　これは佐郷屋の兇行に基くものであるから、ここで更めて殺人既遂罪として公訴し、又松木に対して同じく既遂幇助とし公訴し審理を求める。」
と、強硬な態度に出た。
　これに対して佐郷屋は、
　「浜口氏の死亡は知っている、しかしそれが自分の兇行に基くものであるかどうかは知らない。
　別に検事に対し不服を云う訳でもない。」
と、男らしく受け容れ、佐郷屋から審理に入った。

　裁　父親は生きているか！
　佐　知りません。
　裁　母親は？
　佐　母は私が十六の時死にました。
　裁　兄弟は？
　佐　四人です。

　ついで裁判長は予審調書中、佐郷屋の経歴を読み上げて、相違ないかを質す、
　佐郷屋は満洲を荒れ廻る筈だったあたり、調書読上げではクスリッと笑いながらガッチリした肩をゆすって総てをうなづく。

　裁　被告は兵隊の方は？
　佐　身長が二分か三分低くてとられませんでした、今五尺一寸位です。
　裁　洒はのむかね
　佐　盃一杯位です。
　裁　東京に来てからどんな風に生活していたか？
　佐　方々を寄食していました。

　次で、佐郷屋は昨年夏七月赤坂田町葵ホテル内の愛国社に二度岩田愛之助氏を訪れ、愛国社に寄寓するに至った顛末を述べ、裁判長は愛国社の内容、岩田愛之助との関係及び岩田氏の人となりにつき迅問を進めるや、

　佐　詳しいことは知らぬが、愛国社は大アジア主義で、有色民族の大同団結を計るにある、そして国家主義と聴いている、共産主義は絶対排撃です。

　裁判長時々低声となるや、佐郷屋は「耳が悪くてよく聴こえません、何ですか？」を一二回言う、かくて佐郷屋は

　要するに私は愛国社の精神に共鳴していることは勿論、北一輝氏の思想たる国家社会主義に共鳴している。
　私有財産の制度と無産階級解放の主張に賛するものだが、くだくだと詳しいことは知りません。
　裁　岩田という人をどう見ていたか？
　佐　温厚な、ありふれた人とは違う人であると推服していました。

　岩田氏を激賞し、被告松木良勝との関係を述べ浜口内閣評に及ぶ。

　裁　愛国社に共鳴する目から見て浜口内閣についてどう見ていたか？
　佐　どうということもないが、愛国社としては若槻全権の軍縮会議出席阻止運動をやったように知っている。
　裁　どうして若槻全権渡欧に反対したか？
　佐　若槻全権は何でも鉄道か何かの疑獄に関係していたから反対したが、愛国社の精紳もここにあると思う。
　裁　浜口内閣の財改緊縮、節約の政策に対してはどう考へていたか？
　佐　愛国社としては不景気で困るやうな政策に好感は無かったが、政策転換とまでは愛国社としては考へなかったと思う。

　とて、佐郷屋自分の兇行は単独行為たることを証するに似た口吻で、
　「自分としては、犬養総裁下の現政友会は田中総裁時代と違って、進歩しているから民政党よりも好感を持つ。
　大体民政党内閣は金を解禁すれば本当に景気がよくなると言っていたにかかわらず、その結果は日本のは貨幣値は高くなく不景気となった。
　しかし金解禁はいつかはやるべきものと思うからまだ忍ぶべしと雖も、民政党の軍縮会議に関する態度については断じて許すことは出来ぬ、出来ません！」

　声を振り上げて幅広い肩をゆすり、顔を被告席からグッと突き出し面上紅潮、

　佐　要するに浜口内閣は組閣当時に言明したことを食言している。
　　　この内閣倒潰（とうかい）すべしとは私は愛国社へ入る前から持っていた。

　とて口先爽かに昂然たる態度、ついでロンドン軍縮会議　反対の陳述に入り、

　佐　対米七割案は実戦家最後案であったに拘らず譲歩に譲歩を以てして、若槻さんは徒らに詭弁を弄している。
　　　私の罪も許し得なからうが、かかる売国的條約締結の罪も断じて許すことは出来ぬ。

　とて縷々（るる）として興奮の語気を強く述べ立て、兇行動機の大要を陳述して

　佐　浜口内閣を倒すため、宰相を殺害するか不具者にするより他は無いと思った。
　　　しかし宰相を殺してすぐ政友会内閣になるとは簡単に思えなかった。

　と陣述、当時の決意を語って午後零時四十分休憩、午後一時半再開被告佐郷屋の陳述を続けた。

 3 公訴事実概要  top

第一　岩田愛之助は粛親王の子憲開から実砲八連発拳銃を貰い受け警察署に無届で麹町区永田町二の一愛国社に持参、松木良勝に交付した。

第二　佐郷屋留雄は内閣が緊縮政策をとるため不景気に陥るを慨し、且つ軍縮会議に対する軟弱外交と統帥権干犯の不法を憤り、同内閣を倒壊せんがため浜口氏暗殺の決意をなし、松木良勝から前記モーゼル式八連発拳銃を入手し、昭和五年十一月十四日午前九時頃大演習陪観のため西下せんとする浜口氏を東京駅頭に擁して射撃したが、殺害の目的を果さなかった。

第三　松木良勝は岩田愛之助から貰い受けた前記拳銃を愛国社事務所内の本箱曳き出しに蔵匿していたが、佐郷屋が浜口氏暗殺の用に供する事情を知りながら、これを貸与し犯行を幇助したものである。

かくて十一と四の不吉な数字は奇蹟か偶然か同じ東京駅頭を紅に染めた。

4 その後の佐郷屋留雄（HP管理者追記）  top

　佐郷屋は
　「浜口は社会を不安におとしめ、陛下の統帥権を犯した。だからやった。何が悪い」
と言い、背後の右翼団体は隠しての犯行であった。
　もっとも、「統帥権干犯とは何か」という質問には答えられなかったという。

　1933年死刑判決、1934年恩赦で無期に減刑、1940年に僅か8年の収監で仮出所。
　出所後、愛国社社長岩田愛之助の娘婿になり後を継ぎ、戦後も右翼活動を続けた。

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