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極楽境・ジャワは招く（太平洋戦争前の南洋５）

グラビア

1　常夏の国・ジャワの魅力 top

　農村の危機だ、ファツショだと激励の渦中にある日本を離て南へ三千哩、スピード時代に恵まれて僅か十日の海上生活を送れば、そこには常夏の極楽島ジャワがある。
　南洋と言えば先づ赤道直下の焼きつく暑さに裸の黒ん坊がいたり、酋長の娘が椰子の木蔭で踊ったりする所だらう位に簡単に片づける人が多い。
　『南洋では昼、レールの上に牛肉を置けばビフテキが出来るそうじゃないか』
などと言う人は、足を一歩ジャワに入れて二度吃驚するに相違ない。
　常夏の国といっても東京の真夏ほどは暑くない。
　ジャワ特有の舗装ドライブウェーを時速六十〜七十キロでぶっ飛ばすと、昼なお涼味以上の冷気を感じる位である。
　そこでは到るところ鋤が入れられ、熱帯植物の他に水田が丘の頂きまで整然と耕されている。
　だからこそ日本内地よりも狭い地域に五千万の人口を抱擁できるのだ。
　パパイヤやドリアンやサオやマンゴー等の珍果、ジャワ人の影絵芝居、それから彼等の手によって奏でられるアンコロンの素朴なオーケストラもジャワの魅力たるを失わないが、より大きい魅力はジャワに抱擁されるこの巨大な人口の購買力だ。
　日本人の農業移民は、ニューギニアやボルネオ等がその良い処女地の懐を開けて待っているからそっちに譲るとして、ジャワではぎっしり詰った人口密度とその購買力とがなお商業移民の余地を我等に与えているのである。

2　勇躍する経済国防線の戦士 top

　この素敵な南の価値多い市場は、今まで華僑の縦横無尽の活動に蹂躙されて来た。
　日本品は益々多く需要されようとする時代にあるにも拘らず、その小売商人の彼等の度重なるボイコットによって日本人貿易商や問屋は血のにじむような苦しみと戦って来た。
　故国を離れて三千哩、南の経済戦においてその第一線に立つ日本商達は、時に華僑の経済的圧迫を超えた肉体的迫害を受けながらも、なお経済的国防の戦士としての活躍を夢見て、最後の勝利を戦い取る日を待望して来たのである。
　それは何であるかと言えば『日本品は日本商人で売ろうではないか』ということだ。
　つまり日本品の最後の武器は日本人小売商である。
　現地における日本商達が著者に向って最も真剣に語ったところを結論すると
『満州が日本の生命線だとすれば、南洋はまさに日本の生活線だ！』
というのである。
　この意識と努力とが最近漸く酬いられ、ジャワの各地に日本商店の看板が高く掲げられるようになった。
　これは在留日本人の努力の賜物であると同時に、華商の悪辣なやり口がジャワ人にも卸商にも漸く信用を失墜しつつある時勢の流れに乗った結果でもある。
　いままで華僑には生活力においても商業的才能についても太刀打ちが出来ないものと諦めていた日本人達が『華僑恐れるに足らず』と許り奮起したことだけでも、既に驚異的な事実でなければならない。
　それがしかもこの一年そこそこの間に目覚ましい勢いで日本商店の数を増やしたのだから嬉しいことだ。
　日本品が華僑の世話にならなくても済むのはいま一息のことだと、日本商の鼻息当るべからざるものがある。
　著者はこの意気昂然たるジャワ各地の新興日本商店を出来るだけ広く駈け巡り、その主人と膝を交えて親しく意見を交換したが、彼等の心境は勇壮であり且つ朗らかだ。

3　トコ・ジヤパンは飛躍する！ top

　ジャワを訪れる旅行者の誰もが持つ共通の印象は、鉄道が幼稚なことと自動車道の発達していることだ。
　急行以外の列車は石炭の代わりに薪を焚いて走るくせに、料金はべらぼうに高いばかりか、幹線は早朝一回だけの運転なので、仕事を持つ旅行者には利用者は殆どいない。
　ところが鋪装したドライヴウェーは心憎いほどに完備し、それがどんな田舎にでも四通八達しているから、旅をする者には自動車がナンバー・ワンという訳だ。
　この爽快な自動車道をドライブするものは、沿道に部落のある所なら必ずＴＯＫＯ　ＪＡＰＡＮ（トコ・ジャパン）の文字を記した店を一軒や二軒見るのである。
　トコ・ジャパンこそは懐かしい『日本人の店』なのだ。
　そして日本人がジャワの如何なる奥地にもジャワ人の零細な購買力を追って日本商品を売り広めようという姿なのだ。
　ジャワの東も西も分らない旅人が言葉に窮して万策尽きた揚句、取って置きのジャワ語『ピギ（行け）・トコ・ジャパン』としゃべると、ジャワ人は真っ直ぐに何処かの日本店に連れて行ってくれる。
　ことほど左様にトコ・ジャパンの名はジャワ人に親しまれ、誰知らぬ者がないほどになっている。
　南洋特にジャワの商業は従来華僑の絶対的勢力下にあったため、日本小売店は全く手も足も出なかったが、最近トコ・ジャパンは急テンポで進出し始めた。
　その中でもオランダ領東インド最大の商港を誇るスラパヤでは、数年前の見る影もない寥々たる状態から、一九三〇年以来殆ど旭日昇天の勢いを以て増加し、一昨年だけでその数は十五軒に上り、昨年一杯で二十四〜五軒になった。
　この他主要都市におけるトコ・ジャパンの数を挙げると、バタビヤの二十軒を初め、バンドン、ジョクジャ、ソロは何れも十軒に及び、華僑の牙城のスマランに於てすら今では十軒を数える有様である。
　こうして奥地に散在すらものを合計すると、ジャワの日本人小売店は恐らく二百軒を下るまいとのことである。
　しかもそのうち数十軒は一両年この方の新設によるものだから、以て急激な発展振りがわかるである。
　在留邦人はトコ・ジャパンのこのような激増は、つまる所同志打ちの結果とならないかを惧れたが、それは幸いにして今のところ単なる杞憂に終りそうである。
　何故なら著者の訪れたトコ・ジャパンの何れもが、腰にサロンを纒った素足の男女の群れで一杯だ。
　夜の街を歩いて見ても、店先にジャワ人が群れをなしてラジオを聞いているのはトコ・ジャパンだからである。
　また実際店の主人に会って訊ねて見ても、一日の売上高は平均百ギルダーから百五十ギルダー（日本円に換算して二百円から三百円）で、多い店は二百ギルダーから三百ギルダーにもなるそうだ。
　しかも利益は平均二五％を見込めるとあって、トコ・ジヤパンの主人はホクホクものである。
　では何がトコ・ジヤパンをこうも進出させたか？その結果華商はどうなったか？

4　「中国人は大嫌い・日本人大好き」のジャワ人 top

　何がトコ・ジャパンを発展させたかを語る前に、先づジャワ人の日本に対する感情を理解しておく必要がある。
　ジャワの人口統計を見ると、中国人は東洋人に入れてあるが、日本人を欧州人の項に含めている。
　つまり日本人を中国人と差別し、一等国民として取扱っている証拠だ。
　それどころか彼等は日本人を世界で一番偉い国民だと思っている。
　南洋のジャワ人は色の少し黒い日本人と大差ない人種だ。それだけに彼等は日本人に親しみ且つ尊敬している。
　そして本国政府のオランダは勿論一般に白人に対して反感を持つ彼等は、黄色人種の盟主は日本人を措いて外にないとまで公言しているそうだ。
　こんな訳だから、ジャワ人の日本贔屓は大変なものだ。
　今春我が練習艦隊がバタビヤに入港した際、『中国人お断り』といってジャワ人だけに参観を許したのが非常に彼等を感激させ、ただでさえ親日のジャワ人はすっかり有頂天になって、『あの軍艦を見ろ、立派なもんだらう』と丸で自分達のことのように喜んだそうだ。
　そのため日本人の人気は大いに上り、おかげでトコ・ジャパンの景気が大変なものだったという嘘のような話がある。
　もう一つ、これは反対にジャワ人の非常な失望を買った話。
　昨夏関西大学のサッカー部がジャワに遠征し、スラバヤ、スマラン、バンドンの各地でオランダ人チームと対戦したのはよいが、到る処で惨敗また惨敗、オランダ人を随喜させた代りにジャワ人をびどく落胆させた。
　ジャワではサッカーは国家的スポーツとして行われ、一寸した街の広場でもそれが見られるのである。
　だから、たかが南洋チームなどと侮ったら散々な目に遭うのが当然だ。
　ことはそれだけで済めば問題はないが、ジャワ人から『アイヤム・ジャパン』つまり闘鶏に向うちゃぼなどと称される日本人がオランダ人に負けたとなると、『矢張りちゃぼは弱いのかな』という気持をジャワ人に持たせて、彼等を非常に失望させるのだ。
　その結果日本に対する人気が冷めて、トコ・ジャパンの売れ行きにまで響くから事は甚だ重大なのである。
　だから在留日本人はこの事件に地団駄踏んで悔しがり、ホテルの主人も商店の主人も会社員もみな著者を捉まえて
『日本へ帰ったら是非この雪辱のために最強チームを送るよう伝えてくれ』
という力瘤の入れ方だ。
　一つ我こそはと思う強豪チームは、世界経済戦の前衛として、ジャワに来て凱歌を奏してはどうか？
　ジャワ在留日本人の切なる要望としてここに伝えておく。
　著者はオランダ人経営のホテル・ブレアングルで、一夜そこのボーイに日本人と中国人とに対する感想を訊いて見た。
　そうすると彼はブロークンな英語で『中国人は大嫌いだ。ジャパン　ベリーグッド』といった調子である。
　また田舎道をドライブしても、ジャワ人の子供達が『ジャパン、ジャパン』とはしゃいで自動車を追っ駈けて来るような有様である。
　こんな次第だから最近ジャワ人に日本語研修熱が起っている位だ。
　またバタピヤのジャワ人新聞ビンタン、チモール紙が『留学生を日本に送れ』という社説を掲載して問題を引き起したのはつい昨年の二月頃である。
　この澎湃（ほうはい）なジャワ人の親日感こそは、トコ・ジャパンに今日の発展をさせるに至った根本的原因と言わねばならない。

5　南洋は華僑の金城湯池 top

　ジャワ人の澎湃な親日気分の反面で、華僑に対する悪感情が日に日に募りつつある。
　中国人に対する感情が悪化したから日本人に対する感情が好転するのか、或は親日気分か濃厚になるから中国人への悪感情が高まるのか、その関係が何れであるにせよ、二つの事実はいまや極めて明瞭に看取られるのである。
　そこで蛇足かも知れないが、華僑の意味を一言しておこう。
　華僑とは華僑民の略語だ。華は中華即ちち中国の華で、中国人一流の誇大妄想的称呼、僑は仮寓の意味である。
　つまり華僑とは外国に居住している中国人をいうのであるが、これに対して中国に居住する外国人のことを中国人は、日僑とか英僑とか称している。
　いま迄日本人の華僑に対する観念は、彼等は如何に低い生活にもよく堪え、その底知れぬ忍耐力と商才にはとても敵わないものと諦めもし、且つ秘かに恐れをなしていたものである。
　事実陸地のある所は、殆ど華僑居らざるはないほど彼等の生活力は旺盛である。
　今日世界に於ける華僑の総数は六百万人を超えるであらうと言われるが、その八割は表南洋に居住し、更にその八割はオランダ領東インド、英領マレー及びシャムに分布しているのである。
　試みに南洋華僑の分布状態を国別に慨観すると次の通り。

　即ち華僑の金城湯池は実に南洋であって、南洋は経済的には中国人の南洋であるとまで称されていたものである。
　それは何故であるか？

6　華僑怖るるに足らず top

　南洋における華僑の経済的勢力は主として商業方面である。
　問屋、卸商から大小の小売店、地方部落の原始的パッサル（市場）に至るまで、華僑の商業網は蜘蛛の巣の如く張り廻されている。
　都鄙（とひ）を問わずいやしくも商業区域に中国人を見ない所はないばかりか、スラバヤ、パタビヤ等の大都会では商店街は華商また華商のオンパレードだ。
　即ち南洋ではどんな商品でも問屋から消費者に至る配給過程において華僑の手を経ないものがないのが実状である。
　彼等が南洋にこのように広い網を張ったについては、そこに恵まれた事情があった。
　即ち白人の貿易商は、四千万のジャワ人が最もよいお得意であるにも拘らす、風俗習慣の相違と人種的自尊心から彼等との直接取引を好まず、仲介機関として中国人を利用した。
　これが今日までに華僑が強力な商業的勢力を築き上げた所以である。
　しかし華僑の商業権は信用の向上によって堅実な発展を期するというのではなく、欺瞞と駈引とによって他国民のできない非道義をも敢てして、目先の利益を獲得すればいいというのがモットーだ。
　彼等はジャワ人を欺き、白人を詐って得た不正の富を擁護するため、『やらずぶったくり』を商法としている者が多い。
　儲ければ勿論自分のもの、損をすればそれは相手の負担だといった式である。
　その代表的な常套手段は華僑のインチキ破産であって、これで成金になってドロンを極め込む中国人は枚挙にいとまない有様である。
　これ華僑の信用がジャワで地に落ちつつある所以であり、また彼等の自壊作用が進行しつつある姿でもある。
　なおジャワに於て父祖数代がかりで世界有数の富豪となった華僑も、三代目四代目となるに及んではいわゆる金持ちのお坊ちゃん化し、いまでは当時の意気も緊張もすっかり欠いた遊惰の生活に耽っているものが多い。
　この点でも華僑は恐れるに足らないのである。

7　華僑のインチキ破産 top

　破産して成り金になる！　世の中に何か不思議だといってこれ位不思議なことがあるであらうか。
　ところが利殖に徹底する華僑はこれを簡単にやってのけるのだから、まさに『中国手品』以上の芸当である。
　それはつまり彼等のインチキ破産であり詐欺破産である。
　彼等は予想の通り商売が繁昌しないか、或は失敗して破産しそうになると、表面益々冷静を装い商売いよいよ繁昌しているかのように見せかける。
　取引先ではそれを信用して不景気の折柄いいお得意様と許り商品をどんどん送り込むから堪らない。
　華商にして見ると、鴨が葱を背負って飛び込んだようなものだから薄気味悪い笑（えみ）をニッと洩らしている。
　つまり彼等はその商品を地方に投売りして金に換えるのだ。そして頃合を見て『弊店只今破産仕り候』と来るのだ。
　驚いて駈けつける時は既に遅しで、店も倉庫ももぬけの殻、主人も番頭も高飛びという段取りである。
　もっと勇敢なのは破産する前に、別の代わりの店を準備しておいて、いよいよ自称破産が決定すると、その翌日から口を拭いて代りの店で営業する者すらある。
　多くの場合、親類や兄弟が馴合でインチキ破産をやり、破産店の名義をこの連中の誰かに代えて済ましている。
　徹頭徹尾インチキ破産、即ち計画破産である。華商破産の前後には幾万、幾十万ギルダーの大金がジャワよりシンガポールか香港、上海方面へ送られるというから、その手廻しのいいのには驚愕する許りである。
　こんな訳だから、破産者が幾ら出ても華商の店が減ることはないのみか、破産前よりも却って肥って更生するのだ。

8　インチキ破産で錦を故郷に飾る top

　もう一つ、こんなのがある。
　十数年間もジャワで商売して相当に功成り名挙げた華僑が、中国に引揚げようという際、多年かかって築き上げた信用を利用もしないで、そのまま葬り去るのが惜しいとあって、行掛けの駄賃に詐欺破産を敢行した。
　そして十何万ギルダーかをまんまとせしめて故郷に鼻持ちならぬ錦を飾ったという落語のような話。
　悪道さもここまで来ると、寧ろ茶目気があって怒れないではないか。
　華僑の破産にも実際失敗した結果のものもあるが、それでも彼等は治に居て乱を忘れず、常日頃から万一の場合に於ける再起の資本だけは特別会計としてちゃんと用意してあるから、実際破産しても裸一貫となるようなことは極めて稀である。
　華僑がこれまで南洋に根強い地盤を築いたのは一にこの利殖と金儲けの為には何ものをも意に介しない勇敢さと徹底振りとによるものである。
　華僑もし怖るべしとすれば唯この一点のみである。
　しかし彼等の最も得意とするこの武器はいまや敵にすっかり看破され尽し却って自らを殺す結果となりつつあるのだ。
　華商のインチキ破産に毒された日本人もオランダ人もジャワ人も、言わず語らずの間に「華僑信じるべからす」という不文律を作りつつあるのがそれだ。
　こうして日本商も欧商もいまや出来るだけ華商の手を経ることを避けようとしている。
　つまり『自国品自国販売主義』への転向だ。
　何かにつけてボイコット騒ぎを演じる中国人自らが、いまや逆に日本商からも欧商からもボイコットされようとする時代だ。
　因果応報というか、天の配則というか皮肉である。

9　華僑よ、ボイコットやってくれ top

　華僑の十八番はインチキ破産だけに止まらない。
　彼等は気色が悪いといってはボイコットを起し雷が鳴ったからといっては日貨排斥をやる。
　それがまた日本人には馬占山や十九路軍以上に始末の悪いもののように考えられ、且つ手古摺（てこず）らされて来た。
　華僑のボイコットと言えば人々は無批判に惧れたのが、これまでの実情であるが、少くもジャワに関する限りこの恐怖は全く当らない。
　『華僑よ、ボイコット大いにやってくれ』である。
　『奴等はジャワを中国と間違えて日貨排斥をやるのだが、我々はこれを機会に日本商品の販路を彼等から奪還するのだ』
という日本商の健気（けなげ）な覚悟を日本の諸君に言えることを著者は嬉しく思うものである。
　日本商品を直接売ってくれる日本商人を持たなかった間は、華僑の日貨排斥も効果的であった。
　なぜならジャワの消費者大衆は実に四千万に近いジャワ人であって、五十万そこそこの華僑などは物の数でもない。
　従って日本商品とジャワ人との接触面が日本商人によって保たれることになれば、華僑のボイッコトなど問題ではないのである。
　この極めて簡単なことに日本人は従来気が付かなかったのか、気がついても実行する気概がなかったのか、何れにしても華僑の狙いどころはここにあったのだ。
　華僑の日貨排斥はその嗜矢たる明治四十年の辰丸事件以来一再にして止まらないが、大正十二年のいわゆる国辱記念日制定に伴う日貨排斥は猛烈を極め、我が輸出貿易の大宗たる綿布の販路を阻止したので、ジャワ奥地の販売上に大打撃を蒙った。
　日本人輸入商は勿論、在留同胞をも悔しがらせたのはこの時だ。

10　華僑恐怖の錯覚から覚めよ top

　華僑の横暴と日本人輸入商の困惑とに鞭達鼓舞されて、日本綿布の小売店を開いたのは現在スラバヤに店を有する松永茂吉氏の松永洋行と外一店であった。
　ここに日本商進出の曙光が現われたのであるが、その結果「こんな筈ではなかった」と狼狽したのは華僑そのものであった。
　彼等は商業に関する限り日本人くみし易しと多寡をくくっていたのだ。
　それが一、二日本商の奮起によって見事に裏切られたのだから、彼等も自らの認識不足に今更の如く驚き、以来ジャワの排日貨運動に一頓挫を来したのである。
　だが早発性雷同症の中国人のことだ。
　昨年の満州事変に際しても、彼等一流のデマを飛ばし『日本軍は全滅した』などと嫌がらせをやりながらここを先途と日賃排斥をやったものだ。しかし時勢は変った、排日貨運動が奏効するには華僑は余りに不評であった。
　つまりジャワ人に信用を失った華僑が日本品をボイコットしてくれたのだから、日本商はここぞと許り突撃したのである。
　こうして日本商の販路は拡大され地盤は強化された。それのみではない。
　インド人やアラビア人が彼等に代って日本人輸入商或は問屋と取引を初めたのだ。
　そして華僑はそこに何を見出したか？
　それは永く誇り来った彼等自らの縄張りの一角が無散にも切崩された姿であった。
　春秋の筆法を借りるならば、満州事変はジャワ日本商の発展史上、実にエポック・メーキングとも称し得るのだ。
　我々はここに目覚めなければならない。
　『南洋は華僑の南洋だ』から、南洋では華僑と提携しなければ経済的に何事もできないかのように考へるのは錯覚だ。
　なぜならば、南洋は中国の領土でもなければ、況や中国そのものでもないからである。
　南洋における日本商品の目標は華僑ではなく、四千万に近いジャワ人そのものだ。
　言い換えるなら、日本人の南洋発展は華僑に依るに非ずして日本人の自主的努力に俟たねばならないのだ。
　従来この点に対する日本人の誤った認識が、遅ればせながら漸く是正されようとしつつあるのは喜ぶぺきである。

11　人気を博した日本商の正札制度 top

　華僑のインチキ振りと悪疎さとが輸入商にも問屋にもジャワ人にも信用を失墜し、時勢はこれに代るべき真面目な小売商を要求していた。
　トコ・ジャパンはこの流れに棹（さお）さして進出したのである。
　加えて南の極楽境も世界経済恐慌の嵐に巻きこまれ、不景気風は冷たく身にしみるので、日本人小売高もなり振り構わず断然やろうという真剣さを持つに至った。
　こうしてスラバヤに初めてトコ・ジャパンの出現したのは一九三〇年三月であった。
　それは奈良県出身上田徳太郎君の雑貨小売店『トコ・ウエダ』である。
　彼は華商の悪疎な掛引がジャワ人の嫌気を買ったことに鑑み、スラバヤに於ける小売店最初の試みとして正札制度を実行した。
　これが果然ジャワ人に人気を博し、開店早々からジャワ人の客で門前市をなしたものである。
　悠長に出来ているジャワ人はトコ・ジャパンの評判を伝え聞いて、一里二里の道をも遠しとせず田舎からまで買物に来た。
　彼等にはトコ・ジャパンの包装紙は、恰も三越のレッテルが日本で喜ばれるように、嬉しがられている。
　中国商人の掛引に慣らされて来たジャワ人は、初めのうち正札でも値切らなければ気がすまなかったが、この頃ではお客同士でこの店は値引かない店だと教えているから愉快だ。
　資本金一万五千円で開業した植田商店は、一昨年の面上高は十三万円に上り、昨年も九月以降は多少減ったが八月までは前年と同じである。

12　マレー日本商の統制運動 top

　この繁昌振りに刺戟されてトコ・ジャパンが続出し、現在では二十軒を突破する盛況にあることは既述の通りである。
　その結果スラバヤ以外の地に見るように、日本商間に同士打ちが起らないかと懸念されたが、トコ・ジャパンの敵は華僑だと気がついたのである。
　即ちスラバヤ領事姉歯準平氏や日本商品陳列所長小原友吉氏等が斡旋して、競争防止のため日本人小売商の統制機関として「協和会」なるものを昨年五月に組織した。
　日本国内では中小商業の更生策として商業組合の是非が議論されていた中で、南洋の一角にこれが実現した。
　以て他山の石とすべく、次に協和会の会則を摘記してその組織大要を紹介しよう。
第二条　本会はスラバヤ日本人雑貨小売商を以て組織する。
第三条　本会は会員相互の親睦を図り福利を増進し且つ不合理な販売競争を防止するを以て目的とする。
第十三条　本会は第三条前文の趣旨に依り会員問に生じた商業上に関する紛議の仲裁調停を行う。
第十四条　会員にして本会の目的に背反し共同の利益を脅威するが如き行為ありと認めるときは総会の決議に依り細密の制裁を加えることがある。
第十五条　本会を脱会しようとするものはその旨会長に哨申出て役員会の承認を経なければ退会することができない。
　なお注目すべきととは同会が日本人雑貨輸入商を賛助員に推し、小売商と輸入商との提携が成ったことである。
　この組織によって協和会は販面統制を行い、現に加盟店は同じ商品なら総て同値の正札にしている。
　この統制を効果的にするためには、加盟店の協力は無論であるが、日本の製造業者が製品の売捌きに汲々として華僑などにダンピングしないことが絶対に必要であるとは日本人小売商の一致する叫びである。
　この見地から日本の製造業者もジャワの日本人輸入商もともにそれぞれ統制して貰いたいと要望しているのは傾聴に値する意見ではあるまいか。
　スラバヤの小売商統制運動は、従来無謀な競争を敢てして来たジャワ各地の小売商に多大のセンセーションを与え、今やバタビヤ、バンドン等にもこの機運が台頭しつつある。
　もし在留日本商の統制運動が更に拡大強化されるならば、その発展に資するもの少くないであらうと期待されている。

13　寄越しの金を使はぬジャワ人 top

　日本人小売商が進出したからといって、ジャワの景気がよいという訳でない。
　ジャワ人の懐具合のバロメータである砂糖の暴落によってもほぼ想像がつく筈である。
　オランダ人の購買力も減っていることは勿論だ。
　それにも拘らず日本小売商の発展したのは何故か？
　つまり個々には零細であっても四千万に近いジャワ人大衆の購買力を打って一丸とするときは、その威力は極めて大きいのみならず、彼等の購買心理は欧州人のそれとは異り、全く特殊のものだからである。
　同じトコ・ジャパンでもオランダ人を得意とする高級店は相当苦境に陥っていることは、人々の最も注目に値するところであらう。
　日本品の進出に拍車をかけたのは為替の暴落である。
　百円で八ギルダーにしか当らなかったのが今では二百円にも相当するのだから、ジャワでは日本品が半分に下ったことにたる。
　しかし欧州人は如何に安くても必要がなけれは買わない。
　これに反してジャワ人は安ければ購買力を一〇〇％に発輝するのである。
　ジャワ人は古くからの文化を有するにも拘らず、経済観念にかけては今以て全く駄目な人種だ。
　これはジャワ人にロクな商人が居ないのでもわかる。
　また彼等には貯蓄の観念というものが欠けている。
　尤も一日十セントから十五セントもあればその日の生活を樂しめる彼等には、貯蓄の必要がないのかも知れない。
　ジャワの年中行事として毎年九月、パタビヤに、『パッサル・マラム』といって夜市が約一ヶ月に亘って開かれる、そのために写真のような建物が幾十棟も建てられ、夜は目映ゆい許りのネオン・サインで飾られる。そこでは各地の物産が売られるが、場内ではジャワ人の訳の分らない芝居や音楽その他の催し物が演じられ、人々の好奇心と購買欲とを煽っている。
　早い話が日本の博覧会だと思えば間違いない。
　著者はたまたまこの夜市なるものの気分を味わうことができたが、成る程広い場内は何がしかの入場料にも拘らずジャワ人の人波でむせ返るほどだ。
　或る者は『ジャワの夜市はオランダ政府がジャワ人に金を散財させるための政策だ』と穿ち過ぎた説明をしてくれたが、その賛否は別として、ジャワ人はそこで金を使うことを一年中の樂しみとしている。
　勇み肌の江戸っ子は『寄越しの金は使はねえ』などと啖呵を切るが、ジャワのジャワ人こそは文字通り寄越しの金を使わない家元なのである。
　といったような訳で、彼等は安ければ差当り必要がなくても、金のあるだけ買うのである。

14　景気はジャワ人の懐から top

　私とジャワの奥地で道伴れになった名古屋の或る陶器商が語った所によれば、ジャワ人は陶器は腐る物でないから別段必要もないのに一つの財産として安物を買込むのだそうだ。
　他の雑賀も推して知るべしである。商売の狙い所はここだ。
　しかるにオランダ人その他の欧州人に於てはこれと事情が違う。
　何処も同じ世界恐慌時代で、彼等の懐具合の香ばしくないのに不思議はない。
　『以前は本国に帰る時二百円三百円もする薩摩の丼器を平気で買ったものだが、今は首になって引き揚げる者が多いので、てんで売れなくなりました』と
　はバタビャの高級雑貨商植竹真悟君の述懐である。
　同市で漆器その他の美術品を売っている達磨商会の玉木長市君も『今は隠忍時代です』と同様のことを結論された。
　読者諸君は以上の記述によって了解できるように、これからジャワで商業を営もうとするには、欧州人相手の高級店よりもジャワ人相手の下級雑貸店に注目しなければならない。
　もしジャワ人の零細な購買力を追って奥地にまで喰い入るほどの覚悟と熱意さえあれば、日本人小売商の前途は真に洋々たるものありと言わなければならない。

15　後進への贈物・日本商の苦心物語 top

　ジャワ日本商がようやく隆昌に向おうとするその素地は決して一日にして成ったものでない。
　彼等は短くても数年、長いのは二十数年に及ぶ忍苦時代を経て来たのである。
　ジャワヘの商業移民が有望視され、且つ我が産業発展上いよいよその急務と思われる時、彼等の尊き経験談を聞いて後進の参考に供するのも無意味ではあるまい。
　ジャワの都会地における商業的発展もさることながら、将来最も有望とされるのば寧ろ奥地の販路開拓である。
　著者はこの意味においてジャワのクトアルヂョを根拠とし奥地の開拓に相当の成功を収めている金子憲次君を訪ね、氏の興味多き苦心談を聞くことが出来た。
　金子君は群馬県の出身であるが、ざっと二十年前にジャワヘ渡航し、ジョクジャの富士洋行に六年半奉公した。
　富士洋行はジャワ更紗の製造で有名なジャワ有数の雑貨商であるが、彼はここで六年半の奉公によりジャワ人相手の商売を習得し、同時に二千四百ギルダーを貯蓄し得た。
　この経験と二千四百ギルダーとを資本に大正十年独立して店を開いたのである。
　いまでは独力で各地に雑賀小売店を五軒も経営するに至ったが、ここに漕ぎつけるまでに、金子君は独創的な商策を案出し、人知れぬ苦闘を続けて来た。

16　商売のこつはこの意気と覚悟！ top

　今もってそうだが、ジャワ奥地の商売は殆ど華僑に支配せられ、何人も華僑に対抗し得ないものとされて来た。
　しかし金子君は『中国人に出来ることが日本人に出来ない筈がない』と確信し、商売をやるならば都会よりも購買力の随所に散在する奥地を選ぶに限ると方針を決めた。
　ジャワ人の間に通用する一般語はマレー語だが奥地ではなおジャワ人語つまりジャワ語でなければ通じない。
　そこで先づジャワ人語の研究から取掛った。
　前にも注べたようにジャワ人は日本人を尊敬しているが、殊に奥地のジャワ人は日本人の店で買物をすると土下座していたものである。
　あたかもお上さんが三越では買物しにくいといった訳だが、すべてジャワ人をお得意とするジャワ奥地の小売商で、ジャワ人にこの気兼ねをさせたら駄目だ。
　よって金子君は店をジャワ人に最も親しみよくするため、自らは靴もはかず、洋服も着ずジャワ人と同じ服装をし、奥さんには腰にサロンを巻かせて、これまたジャワ人同様の服装をさせた。
　『そうしたらジャワ人は妻のサロンを見てよく似合うといって誉めましたね』と金子君は微笑する。
　またジャワ人は食事をするのに箸もスプーンも使わず手摺みでやる習慣になっている。
　金子君はこの呼吸をよく呑み込んでいたので、ジャワ人のご馳走に呼ばれると自分も手摺みで食事をしたものである。
　そうするとジャワ人は非常に喜ぶのである。
　商売のこつはこれだ。
　このやり方がジャワ人の要望にビックリ合って、いまや『かねこ』の名はジャワ人に最も親しみのあるリズムとなっている。
　金子君は服装も生活様式も総てジャワ風にして商売を始めた時、日本人のうちには『日本人の体面にかかわる』といった者があったが、彼は即座に『日本人の体面にかかわるなら僕は日本人の仲間から外れる許りだ』と答へたものだ。
　日本人が従来華僑を怖れたのは、この意気と確信とを欠いたからである。
　背広にネクタイをつけ洒落た恰好でジャワ人相手の商売をやり、それで楽に金が儲かればこれ位甘い話はない。
　多くの日本人は今までそれを夢見たのだ。
　しかしジャワで相当の成功を収めた小売物は何れも相当の試練時代を経たのである。
　恥しいとか、体面にかかわるとか言うのは、既に退嬰を意味する。
　殊に奥地のジャワ人を対象とする以上は中国人よりも一桁下の生活をするだけの覚悟が必要だ。
　『人によってはジャワではトコ・ジャパンは、今が頂点だという者もあるが、この覚悟さへあれぱジャワ奥地における日本人の発展は無限だ』と金手君は力強く言い放ったのである。

17　日本綿布は飛躍する！ top

　日本からジャワヘの輸出品の多くは綿布と雑貨だ。
　殊に綿布の進出は飛躍的である。男にせよ女にせよいやしくもジャワ人でその身辺に日本綿布の一枚も着ない者はいない。
　年老いたジャワ人がその腰に真赤なサロンを纏っているのを見ると如何にもエキゾテイックな感に打たれるが、そのサロンこそは日本綿布なのだ。
　西部ジャワのスンダ美人に錦上更に花を添えるのも日本綿布だ。
　日本綿布はいまや急速に普及し、マンチェスター、ランカシア品を完全にノック・アウトしつつある。
　ここに日本商人の生命があり、またその存在価値に重要性を与えるのである。
　日本綿布が今日の隆昌を見るに至った裏面には、前にも紹介したように幾多日本商の隠れた悪戦苦闘があった。
　スラバヤのカンボン・チナ街で綿布の卸商を営む松永茂吉氏は多年培って来た雑貨小売店を放棄して断然日本綿布の卸問屋に転業したのは、大正十二年旅大問題に絡む華僑の排日貨運動に鞭達鼓舞されたからである。
　いまでは年に二百五十万円〜三百万円の販売能力を獲得するに至った松永氏も二十数年前初めてジャワに移住した時は『一人の保証人とてなく、天にも地にも唯一の保証は一枚の日本政府旅券あるのみ』であった。
　著者がスラバヤのグランド・ホテルで一日氏とジャワ名物のライス・テーブルを囲んだとき氏は
　『昔日本綿布を肩に担いで行商していた時、このホテルで食事をして見たいと思いましたね』
と言って大笑したが、顧みれば全く感慨無量であらう。
　松永氏は日本綿布の販路獲得戦において自他ともに許す第一線の闘士といわねばならない。
　日本の綿布の最近における驚異的な飛躍は素より為替の下落によって拍車を加えられたのだが、試みに昨年上半期中にジャワで日本から輸入した綿糸布メリヤス類を見ると、数量約一万六千八百トン金額は一千九百二十万ギルダーである。
　これを前年の同期に比較すれば、金額では約百八十五万ギルダーの減少であるが数量は三千五百トンつまり二割強の増加である。

18　英国綿布をノック・アウト top

　従来も生産費の点で英国品の脅威であった日本綿布は、いまや為替下落のために価格では他の何ものと追随をも許さざるに至った。
　その結果日本綿布は日本商人の手を経て販路を拡大しつつあるのみでなく、欧州の直輸入商すら欧州品だけでは飯が喰えなくなったのでマンチエスター、ランカシア品から日本綿布に河岸を替えつつある。
　ボルスミやハンデルやマスカピやイタリアン、テキサス等のヨーロッパ商社が日本に出張員を派遣して綿布の輸入に虎眼たんたんなはこの為めである。
　更に欧州商に伍して進出しだのはボンベイ人で、スラバヤだけでも最近五〜六軒新しく綿布問屋の看板を掲げた。
　ここに憐れを留めたのは華僑だ。
　日本商や欧商やインド人の進出は言い換えれば華僑の退却を意味するからである。
　南の経済戦に於て万丈の気を吐く日本綿布の将来は、なお奥地に開拓の余地を充分に残されているだけに益々有望である。　只奥地の物産が暴落してジャワ人の購買力が減っているにも拘らず、彼等の嗜好と欲望とは年々向上するので、この矛盾を解決するためには良品を低価で供給することが何よりも必要だ。
　それからジャワ人に販路を拡大するには宣伝第一だとある。
　あらゆる機会にジャワ人に日本を知ってもらい、日本商品を認識してもらわなければならない。
　ジャワのインテリ中には日本語研修熱や日本留学熱などが起っている位だ。
　日本を世界に紹介しようという国際観光局辺りでも徒（いたずら）らに欧米の金持だけを狙わずに南洋のジャワ人を、日本に誘致するようにして欲しいとジャワ日本商達は言っていた。

19　海外発展上の鉄則 top

　ジャワ日本商の驚異的な進出については、ジャワ在留日本人間にもいろんな見方がある。
　新興日本雑貸店の如く安売りをして、それが果していつまで続くかという見方がその一つだ。
　十数年も続いた日本人の老舗は口を揃へて『若い者が安く売って困る』と非難する。
　なるほど著者の会った新興トコ・ジャパンの主人は多くは三十代から四十代の働き盛りだ。
　この若い連中が『古い店は好況時代の夢を追っているが我々は時勢に順応して薄利多売をやるんだ』とひた押しに猛進したのである。
　もちろん彼等のうちには自然淘汰される者も出るかも知れない。
　だが健全な者が残れば、それがつまり抜くべからざる地盤となるのだ。
　華僑がいま迄南洋市場を壟断していたのは、一に彼等の『数』の力に依るものである。
　『数は力なり』とは海外発展上の鉄則といわねばならない。
　たとえ続出するトコ・ジャパンに多少の自然淘汰が行われることがあっても、それを以てジャワ日本商の行詰りとするには当らない。
　スラバヤの小原日本商品陳列所長は
　『この勢いを以て進めば十数年後には華僑を駆逐し得るだらう』
と語ったが
　『切角築きかけた我が商品の南に於ける生命線を維持するがため、商業移民よジャワヘ行け』
というのがジャワを一目見た著者の実感である。

20　『一に経験、二に資本』 top

　商業移民の必須条件につき長い経験を有するジャワ日本商の意見を総合するに『一に経験、二に資本』という結論に達する。
　商売には先づ顧客を知ることが必要だ。ジャワ人の言葉は勿論、彼等の風俗習性を呑み込むまでには少くも二、三年の修練を積まねばならない。
　それには、日本商に丁稚奉公をするに限る。
　南洋協会はこの見地から毎年商業実習生を派遣して日本人商店に住み込ませているが、実習生の評判は余りよくはない。
　中等学校を出た許りの実習生は、将来の独立ということよりも目先の給料に拘泥し、数年を待たずして帰国する者が多いそうだ。
　ジャワ各地の日本商が何れも『実習生式の商業移民では駄目だ』と言っている位だから間違いあるまい。
　華僑は故国から丁稚を連れて来て、シャツと猿又をはかせた上、月に一度も小遣いをやって数年を使い、インド人は帽子とサロンを着せて年に一ギルダーか二ギルダーの小遣いでこき使うという有様だ。
　そこに華僑の強昧があったのである。だから日本人も丁稚を酷使してよいという結諭にはならないが、将来独立して店を営もうとするほどの者は修練時代には相当の忍苦もやむを得まい。
　こうして数年間ジャワ人相手の商売を体得しつつ、その間に給料を貯蓄して独立の場合の資本を作るのである。
　現に繁栄しつつあるトコ・ジヤパンの主人もこの方法で開業した連中だ。
　これからの商売は奥地の中流以下のジャワ人を対象とするのが、最も有望とされているだけに資本も大きい必要はないというものである。
　寧ろ小資本からコツコツ叩き上げる方が、将来の健実な発展を期する所以だといえる。
　経験が有り二、三千円の資本を有する者ならば、立派にやって行けるということだ。
　しかも日に百ギルダーの売上ならそれほど困難ではなく、年に二、三千円の収入を挙げるのは確実だと言われている。
　『日本商品を日本人が売る！』ジャワに於ては極めて当然なそして必要なことだ。
　しかしそれには大資本を擁する小売商を要しないのである。
　小商人だからとて気がひける必要は毛頭ない。
　奥地開拓には寧ろ小さな細胞がより多く要求されている。
　そして気力と体力とに富む青年が行くべきである。
　この点に説ては従来全く眠れる観のあった外務省なり拓務省辺りが商業移民を志ざす者のよき伴侶となり、親切な助言者となることに心掛けて貰いたいのは、独り著者の希望だけではあるまい。