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イギリス、腰をすえる（英本土航空決戦2）

　ロンドンでは、ウィンストン・チャーチルがヒトラーの訴えを軽蔑していたが、イギリス以外の国においても同様にバカらしいものと思われていた。
　チャーチルは政界からとおざかっていたこの数年間、ドイツ再軍備の脅威をたえず政府に警告していたが、一九四〇年［昭和十五年〕五月十日、ヒトラーがフランスと低地国〔オランダ、ベルギー〕に侵入したその日に、ネービル・チェンバレンにかわって首相となった。

1 チャーチルの辞書に“降伏“はない top

　チャーチルは、ほんの数週間のうちに、彼が恐れていた最悪の場面に直面することになった。彼はドイツ空軍が、兵力をイギリス海峡の対岸に集結していることを知ったが、このあいだに英空軍の勢力は減退していた。
　しかし、たとえ外部の悲観的意見やまたそれにたいする理由を尊重はしたけれども、“降伏”という言葉は、ドイツには適用できても、彼の“辞書”にはなかったのである。
　チャーチルはつぎのように放送した。

　イギリスの友人であるアメリカの海軍長官ノックス大佐は、戦争の最中にパールハーバー〔真珠湾〕で演説し、
　「イギリスの勝算は、いま五分五分以上である」と語った。
　フランス降伏のあと、チャーチルは国民につげた。

　チャーチルが五月十日に首相の座につくや、たちまちドイツ軍がフランスに侵入し、ついでまもなく英軍がその装備の大部分を遺棄して、大陸から撤退するにいたった。

3 「スピットファイア」「ハリケーン」を開発 top 「スピットファイア」や「ハリケーン」の試作磯は、一九三四〜三五年までには、それぞれまだ発注はされなかったが、英空軍はけっしてムダに時をすとしていたのではなかった。 　「スピットファイア」と「ハリケーン」の開発は、防衛計画にもとづいたものであることはもちろんであるが、同時に、あるロマンティックな出来事と、ある個人のおもいきった態度から生まれたもので、これにはチョットかわった話がある。 　ドイツ空軍の“タネ”が秘密のうちにまかれているころ、英空軍は一九二七年と一九二九年に、二年に一度の水上機の国際レースで、待望のシュナイダー・トロフィーを獲得した。 　もし一九三一年にも優勝すると、イギリスが永久にトロフィーを獲得できるのであったが、財政的な見地から政府は英空軍に競技参加をゆるさなかった。このため英空軍は、アメリカかイタリアにトロフィーをもっていかれるのを、指をくわえて見ているという、不名誉をうけなければならなかった。 　このとき百万長者の愛国者ヒューストン夫人が、このレースの参加機をつくるために多額の寄付をした。そこで政府も態度をかえ、空軍はあらゆる型の「スピットファイア」の母型となった飛行機〔ロールス・ロイスＲ発動機を搭載したＳ6Ｂ型機〕を飛ばして競技に優勝し、トロフィーを永久に獲得したのである。 　空軍はこのチャンスをとらえ、シュナイダー・レースの経験をいかして戦闘機の試作機二種を注文した。それは時間との競争であった。

スーパーマリン「スピットファイア」1型Ａ 発動機：ロールス・ロイス「マーリン」3、1,030馬力　　武装:7.7ミリ機関銃8、最高時速:583キロ（高度5,600メートル）　上昇速度：毎分770メートル（海面高度）、実用上昇限度:9,670メートル　　航続距離:925キロ 全備重量:2,950キロ、全幅：10メートル、全長:9.11メートノし ホーカー「ハリケーン」1型 英空軍にとって、この機は数の上では大黒柱ともいうべきであったが、性能の上ではすでに旧式となリ「スピットファイア」に主力戦闘機の座をゆずりつつあった。Me110とは対抗できたが、Me109にはしばしば苦杯をなめさせられた 発動機：ロールス・ロイス「マーリン」1,030馬力　　乗員：１　　武装：7.7ミリ機関銃　8、最高時速:540キロ（高度6,000メートル）　上昇速度:6,000メートルまで9分、実用上昇限度：9,000メートル　　航続距離:710キロ

　一九三一年にシュナイダー・トロフィーを獲得した飛行機は、スーパーマリン社の設計主任Ｒ・Ｊ・ミッチェルの設計したものであったが、このときすでにミッチェルには死期がちかづいていた。
　ミッチェルは休暇でドイツヘいき、熱心なドイツ航空界の人々にあい、将来にたいする不吉な予感をいだいて帰ってきた。そして彼は二つのことに対抗してはたらいていたことに気づいた。一つは健康をそこないつつあることで、他の一つはドイツの再軍備であった。
　それを心配して、彼は二種類の飛行機をつくったのであった。第一は政府の制限だらけの旧式な仕様書どおりにつくらねばならぬ飛行機で、第二は彼自身やスーパーマリン社の近代的戦闘機はこうあるべきであるというビジョンに合致する、正真正銘の「スピットファイア」であった。
　レジナルド・ミッチェルは一九三七年、四二歳で死んだ。それは「スピットファイア」の第一号機が空を飛んでからまもなくのことであった。　〔「スピットファイア」の開発については、本シリーズ第16巻『スビットファイア』にくわしい〕
「ハリケーン」は、ホーカー社のシドニー・カムがつくったものである。カムは複葉機をやめることになってよろこんだ。彼は複葉機の価値についてながいあいだ空軍と論争していたのである。空軍では単葉機は安全でない、という一九一二年の委員会の報告にこだわっていたのだった。

4 苦闘の戦闘機設計者 top

　時間的余裕がなかったため、ミッチェルやカムが、いかにしてドイツに追いつくかに努力したかは、驚くべきものであった。けっきょくは徹頭徹尾、斬新な問題、いいかえれば新時代の単葉機と、その洗練された設計とに関する問題を解決することであった。これらの問題のなかに、引込み式車輪と、無線誘導飛行や盲目飛行に使用する諸計器などの新装備があった。
　さらに、ロールス・ロイスのすぐれた「マーリン」発動機が出現したので、ドイツがはやくから実験していた「ケストレル」発動機にとってかわることになり、ここに航空発動機の新時代をむかえることになった。
　このほかにも新時代の戦闘機の速力に適した武装の問題があった。それは「スピットファイア」と「ハリケーン」に七・七ミリ機関銃八挺を装備することであった。
　しかしながら信頼という点では、研究と開発の飛躍的進歩をつづけていた数年のあいだ、ミッチェルとカムが彼らの会社から力いっぱいの支持をえられたことは、くるしみをやわらげるものであった。
　ビッカース飛行機会社の子会社であるスーパーマリン社の会長ロバート・マクリーンは、ミッチェルが政府の注文していない戦闘機をひそかにつくっていることを政府にジャマされないように、かばっていた。

5 「スピットファイア」に歓喜のダウジング top

　きたるべき決戦には、本書にのべてあるとおり他の飛行機もつかった。
　たとえば戦闘機としてはつかえそうもない「ブレニム」爆撃機や、旧式な「グラジエーター」複葉機があった。しかしこれらの飛行機は、英本土航空決戦の花形「スピットファイア」と「ハリケーン」にくらべるとはるかにおとっていた。
　空軍が非常に安心したことは、この二種の新式戦闘機の試作機が、いずれもその処女飛行で計画どおりの性能を発揮したことであった。「ハリケーン」は一九三五年五月六日、「スピットファイア」は一九三六年五月五日に処女飛行をおこなった。
　一九三七年十二月までに「ハリケーン」は中隊に供給されたが、「スピットファイア」は一九三八年六月になるまで実戦部隊では使用できなかった。
　イギリスをまもってはいたが、ドイツ空軍の新しい戦闘機や爆撃機の敵ではなかった旧式複葉の「ゴーントレット」と「グラジエーター」は、つぎつぎに新式の「ハリケーン」と「スピットファイア」にかえられていった。
　中隊から中隊へと旧式機がおきかえられるたびに、ダウジングほどよろこび、またホッとした人はいなかった。
　彼は一九三六年夏、研究および開発の責任者から戦闘機兵団司令官に任命された。英本土防空の責任は、いまや彼の双肩にかかっていたのである。

　戦闘機兵団司令官は、戦闘機兵団以外に防空司令部、阻塞気球〔空襲をふせぐためにあげる気球〕部隊および観測部隊（のちの観測兵団）も指揮することになっていた。
　有効な防空組織をつくりあげるために、ダウジングがおこなった英空軍の装備の改革には、やっかいな問題がおおかった。
　五四歳の彼がロンドン北西郊外のスタンモアにある、べントリー・プリオリーの歴史的な家屋〔一七七〇年に建築され、地下施設をもった大邸宅〕をつかっている戦闘機兵団司令部にうつるとすぐ、彼は、まず最初に敗北主義の政策と戦わねばならなかった。
　一九三二年にスタンレー・ボールドウィンは、
　「爆撃機があればすべてかたづく。最良の防御は攻撃である。それはできるだけ多数の女や子供を殺せば殺すほど、自らを救うことができるということである」　といっている。
　そしてダウジングが戦闘機兵団司令官になった一九三六年には、ポールドウィンは英首相になっていた。

6 ダウジング、防衛組織を確立 top

7 防衛指揮組織も確立 top

　防衛組織が成立したことは、ダウジングの決断によるものであった。彼は科学技術において時代に先んじて、科学を作戦の要求に十分活用したのである。
　統制と標準化ということが命令され、各集団や管区基地の作戦室はすべ同じようにつくられた。ダウジン　グは、はやくも一九三六年に、もし戦争となり英本土が空襲されたならば、戦闘機の数が不足でドイツ軍に圧倒されるであろうことを自覚していた。
　そこで彼はとくに弱点のあるイングランド南部において、柔軟性のある組織を計画した。
　この組織は電話とテレタイプで密接な連絡をとり、各作戦室の参謀が、戦闘機を管区地区から管区地区へ、あるいは集団へ簡単に移動させることができるようになっている。
　ダウジングがドイツの攻撃にたいしイギリスの防衛にやっきになっているとき、彼は経費の不足になやんだ。
　一九三六年ベントリー・プリオリーの舞踏室に実験的な作戦室をつくるのに五〇〇ポンドしかもらえなかった。
　あとになって地下の防空司令部をつくるためにも、わずかに四五〇〇ポンドがみとめられたにすぎなかった。

　ポーランド、ノルウェー、デンマーク、フランス、オランダおよびベルギーの侵略に、主役を演じたドイツ空軍は、たちまちこの成功に心をうばわれて、イギリスのレーダー・アンテナ塔に興味をうしなってしまった。
　ドイツ空軍は大陸における大成功を過信し、イギリスに和平を命令するか、最悪の場合でもすみやかに征服することを期待して、フランスの降伏後、イギリスが生きのこる機会をつかむのに、レーダー網がどのような価値をもっているかということに、なんの注意もはらわなかった。
　ドイツ空軍の自信はいまにしておもえばバカらしいことだが、一九四〇年の夏のはじめどろには、いかにももっともらしく思われた。
　ゲーリングは、英空軍はフランスでひどい目にあったので、これを再建して、さらに続行されるドイツの航空攻撃にたいし、英本土を防衛できる情況ではない、と想像していたのである。
　ドイツ空軍はまた、チャーチルのブルドッグ・スピリット〔勇猛で粘り強い性格〕や、歴戦の古つわものがフランスの敗退中に新型戦闘機の生産に努力していたことを知らなかった。
　そして、すでに一九四〇年五月にチャーチル首相は「スピットファイア」と「ハリケーン」の生産を急ピッチでおこなうために、ロンドン・デイリー・エクスプレス〔イギリス有数の新聞社〕の社長で、エネルギッシュなカナダ生まれのビーバープルック卿を、航空機生産相に起用していたのだった。

　五月十五日ダウジングは閣議室にはいった。
　彼は首相に、もし現在の消耗率がさらに二週間続くとすれば、フランスにもイギリスにも「ハリケーン」は一機もなくなる、と説明した。
　「スピットファイア」については何もいわなかった。「スピットファイア」は極めて貴重だから、英陸軍がダンケルクから撤退するまで、これを本国から出すことは問題にならなかったからである。

11 チャーチル、仏空軍増援を禁止 top

　五月十九日、チャーチルは撤退援護以外の目的に、これ以上戦闘機中隊をフランスに派遣することを禁止した。
チャーチルがダウジングの願いを聞き入れたことにより、戦闘機兵団は五月二十六日から六月四日にわたって、英軍をダンケルクから撤退させることができた。
　それでもなおダウジングは五月十日からダンケルク撤退までに、「スピットファイア」と「ハリケーン」あわせて四三〇機以上を失った。
　フランス最後の苦闘にたいして戦闘機の援助を拒絶したことは、チャーチルにとってはその長い波乱にとんだ生涯中、最大の痛恨事であったにちがいない。
　もし戦時内閣の閣議の席に、ダウジングの劇的出現を見なかったならば、チャーチルもこのような命令をだせなかったかもしれない。
　いまやヒトラーがいつまで侵攻をちゅうちょするか、そしてビーバーブルックの航空機生産相任命がいかにはやく成果をあげるか、時間の問題となってきた。
　イギリスにとって幸いなことに、ヒトラーはフランスにいるルントシュテット将軍〔当時、Ａ軍集団司令官〕に
　「私はイギリスと和平をむすび、イギリスにドイツの同盟国となることを提案する。
　ドイツはヨーロッパを支配し、イギリスはヨーロッパ以外の世界を支配することになる」
と話していた。

　他の新聞もみなこの訴えをとりあげた。
　“フライパンから「スピットファイア」を”は新聞の見出しのきまり文句となった。
　実際には、主婦たちによって集められたシチューなべの山は、戦闘機の生産にはほとんど貢献しなかったけれども、ビーバーブルックの訴えは国民の精神に大きな影響をおよぼした。
　国民は事態のなりゆきに驚き、白分たちも何かしなければならぬと感じた。
　戦闘機！　戦闘機！
　もっと戦闘機が必要なのだ。国家の運命は「スピットファイア」と「ハリケーン」にかかっている。
　五月十四日、ビーバーブルックが航空機生産相（彼は彼らしく、飛行機大臣といっていた）に任命されたことが発表されるまえの一ヵ月間に、工揚では二五六機の第一線戦闘機を生産していた。
　一九四〇年九月、ロンドンが毎日爆撃をうけ、空軍の損害が最高潮にたっした月には、ビーバーブルック指揮下の生産修理の工場は、四六七機の戦闘機を空軍に引き渡した。

13 飛行機生産急ピッチで進行

　こんなにはやく、一ヵ月の平均生産機数が五〇〇にもちかい驚くべき成果をあげるために、ビーバーブルックは、彼がいみじくも“残酷な”といった空軍省の将軍たちを激怒させた。
　彼は細々とした空軍省の生産計画書――それは紙の上ではもっともらしく見えるが、死物狂いのこの時期には全く実現性のないものであった――を机の上に投げ出した。
　二人の専門家がこれは部外者の乱暴な介入だと見なしたが、空軍元帥ジョン・スレッサーはのちにつぎのように批判している。

　すべての政府機関の戦争関係部門の、古参の役人たちは、ビーバーブルックのやりかたに、ほとばしるような情熱を見て感動した。
　この非凡な人物が、現在の情勢では今年の夏休みはおあずけだ、といったので驚いたが、この驚きのさめきらないあいだに、彼はさらにペンをすてて電話をとり、仕事をどしどし進めろと言い出したのである。
　そのうえさらに、イギリスのフォード自動車会社の総支配人で有名なパトリック・ヘネシーと、ゴルフ場で知りあった失職中のトレバー・ウエストブルックという、著名な実業家で生産技術にすぐれた人物を起用した。
　飛行機を買っていたアメリカにたいして、五月の末にビーバープルックは、果敢で衝動的な手をうった。
　交渉相手のヘンリー・フォード〔アメリカのフォード自動車会社の創設者〕が、戦争用の兵器だという理由でロールス・ロイス社の［マーリン」発動機の製造を断ったので、ビーバーブルックはただちに注文をパッカード社に切換たのである。
　専門家は、注文に応じるには、パッカード社では会社が小さすぎると注意したが、彼は簡単に「大きくすればよい」といった。事実、会社は大きくなったのだった。