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よろめくロンドン（英本土航空決戦7）

　ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリング元帥は、イギリスはまもなく抵抗をやめるだろう、と信じていた。
　空軍のパイロットたちとともに勝利の祝杯をあげる甘い夢に酔って、元帥は豪華な専用列車に乗ってパドカレー〔フランス北東部の北海沿岸〕に到着した。
　一九四〇年九月七日の午後遅く、グリネ岬〔フランス北東部、カレーのちかく〕の断崖から、元帥はドーバー海峡のかなた、霞（かすみ）にかすむイングランドを眺めた。

1 ゲーリング、英制圧になお自信 top

　彼は上空に集合する三〇〇機の爆撃機と六〇〇機の戦闘機を激励するためにきていた。
　戦爆連合の大編隊は三五キロのドーバー海峡をこえ、イングランド南部ケント州の海岸から八〇キロ内陸にあるロンドンに向っていた。
　この距離は爆撃機にはゆうゆう往復できる距離だったが、行きも帰りもいたるところで空中戦が予想される航続距離の短い当時のメッサーシュミットＭe109戦闘機にとっては、冒険ともいえる遠距離であった。
　ドルニエＤo17爆撃機の大隊を率いていたのは、かつてあの八月十三日の朝丿鴛攻撃”発令の混乱で、戦闘機が到着せず、空を眺めて来着をまちわびていたフィンク中佐であった。
　ところが、この日は戦闘機の大群に援護されていながら、つむじまがりにも“鷲の日”に戦闘機がこなかったときと同様な不安に襲われていた。
　それはいざというときになって、燃料がなくなった戦闘機が援護を打ち切ってしまうのではなかろうかという不安であった。

2 首都、独の夜間攻撃にお手あげ top

　大損害をこうむったけれども、ドイツ空軍はそれほどうろたえはしなかった。
　この損害は、すみやかに勝利をえるための代償である、戦争は数日中に終るであろう、首都が燃えあがり煙をだしているのを見ては、イギリス人は戦争を続ける気はもはやあるまい、こう考えていた。
　日が西に沈むとき、まるで太陽がふたつあって、そのひとつ〔燃えるロンドン〕は、東に沈みかけているような、地獄さながらの光景であった。
　夜になると、燃えあがる火の手はドイツ軍機にとっておあつらえの道しるべとなった。
　午後九時、第3航空軍がロンドン空襲を再開した。
　ドイツ軍爆撃機の搭乗員は、大英帝国の首都がほとんど無防備で燃えさかっているのを見てほくそえんでいた。
　ロンドンの二六四門の高射砲は、ただ爆撃機に高々度飛行をさせるほかには、ほとんど役にたたなかった。
　夜間戦闘機による防御は、わずかに「ブレニム」二個中隊と、レーダーを装備した実験中の小型夜間戦闘機の一隊があるだけであった。
　かくてドイツ第3航空軍の爆撃機三〇〇機は、なんの妨害もうけずにロンドンの空をブンブン飛びまわった。
　無防備の都市に起った爆発と大火災の上空を飛ぶ古強者は、ワルシャワやロごアルダムを攻撃した、過ぎ去った佳き日を想い出していた。
　搭乗員はおもしろ半分のドライブのような錯覚におちいっていたが、さらにムードを高めるかのように、ラジオをＢＢＣのダンス音楽にきりかえたりしていた。
　しかし、放送をきいていた搭乗員のうち英語のわかるものは面くらったに違いない。
　ロンドンが苦闘しているまさにそのとき、ドイツ軍の搭乗員がイギリスは国家的災害のガケっぷちにたっていると信じているときにもかかわらず、ラジオは雑誌「レーシング・ビジョン」〔競走鳩〕の編集者Ｗ・Ｈ・オスマン少佐が、「競走鳩の実用的価値」についてかなり学究的な説明をし「スピットファイア」資金に鳩愛好家の協力をうったえていたのである。
　しかしこのふうがわりな放送は、人をまどわすものであった。
　八月二十五〜二十六日の夜の英空軍のベルリン空襲は、戦争はあっけなく終ると信じこんでいたドイツ国民にはショックをあたえていたし、いまやイギリス侵攻の“あしか”作戦の準備をしている陸、海、空三軍の将兵も、英空軍はいぜんとしてドイツ軍の飛行場や港湾を爆撃できるのだ、と悟らなければならなかった。

3 “あしか”作戦発動ちかし top

　同じ九月七日の土曜日、ロンドンが昼間爆撃をうけているとき、英空軍の偵察機が、八月末いらいドイツ軍が占領しているフランスと低地国の海岸にいるドイツ軍上陸用舟艇の数が、急に多くなっている事実を確認した。
　またドイツ空軍の飛行場にも、解釈のしようがただ一つしかない変化が起っていた。
　スカンジナビアのドイツ第5航空軍から爆撃機が、第2航空軍に増援されており、多大な損害をうけてこれまで戦線から遠ざかっていた　「スツーカ」急降下爆撃機が、ドーバーの対岸に再び姿をみせたことである。
　このような偵察写真による証明と、かつてなかったロンドンヘの昼間爆撃をまのあたりにして、英軍の首脳部はドイツ軍の本土侵攻が切迫しているという結論に達した。
　イギリスにとって、かの歴史的な一〇六六年に、ノルマンジーの征服者ウィリアム王の軍隊が海峡をわたって来襲し、ヘースティング〔ケント州南岸〕の戦闘で、ハロルド王を破ったとき以来、敵が上陸するかもしれず、征服されるかもしれないという事態が、これほど本当に起りそうに思われたことはなかった。
　ロンドンが破壊され燃えているとき、オークニー諸島にあるスカパフロー軍港の英海軍の艦隊は、いざというときイギリス海峡で戦いぬくため、南下準備中であった。
　英陸軍はフランスで損害をこうむっていらい、装備不十分であったが、郷土防衛の義勇兵や、イングランド南部海岸ぞいの国土防衛隊とともに立ち上がった。
　ドイツ軍の侵攻は切迫している。爆撃機の波は海岸上空をつぎからつぎヘとロンドンに向ってうなりをたてて行くので、海岸の陸軍の指揮官たちは、上空の英空軍の戦闘は果してどうなるかといぶかるばかりであった。
　いつなんどき、英軍は空挺部隊の大量降下によって包囲されるかもしれないと予期し、空挺部隊が降下してきたときの警報――イングランド海岸の侵入地域の町や村にある教会の鎖をならす――に耳をそばだてていた。
　夜があけた休日〔九月ハ日、日曜日〕の朝、ある地方の海ぞいの村で、急に結婚の鐘が鳴響いた。
　「そらきた」と老人も若者も中年の者も、クマデ、台所のナイフ、庭道具など、あらゆる道具類を手当りしだいにもって外に飛びだした。
　しかしこれは全く関係のない“警報”であった。
　海軍も陸軍も、またゲリラ戦士としての一般国民のいずれも、空軍がなくてはドイツ軍の侵入を撃退することはできなかった。
　なぜなら、ヒトラーは完全な制空権が保持できなければやってこないからで、彼が空軍でロンドンを攻撃したとき、なにか躊躇（ちゅうちょ）するものを感じたのもこのためであった。

4 ダウジングの述懐 top

　九月八日、ドイツのラジオはゲーリングがロンドン空襲を再開したと放送した。
　しかし英軍にとってこの日は比較的おだやかにすぎていった。
　ロンドンっ子たちは一息できるのを喜び、死者をほうむり、負傷者を助け出し、火災をおさめ、重要な公共施設、とりわけひどく破壊された大きな停車場の機能を復旧する仕事にとりかかった。
　戦闘機兵団もまた、このおだやかな日を感謝していた。
　パークの第11集団はかなりの痛手を負ってはいたが、まだまだ戦力に余力はあった。
　しかし一方、英戦闘機兵団司令官ダウジングは、七日の出来事を反省していた。
　何がうまくいかなかったのか？
　何故、真昼間にドイツ軍の大編隊を抵抗なしに通過させてしまったのか？　パークの第11集団の二一個中隊と、すぐとなりの第10と第12集団の管区基地のものとをあわせ、三〇〇機以上の「ハリケーン」と「スピットファイア」一体どこにいたのか？
　失敗の根本は、レーダーと地上観測隊からくる報告を検討しながら、作戦室で敵味方の兵力の所在を監視している管制官が、前日のような戦闘を予期していたことにあった。
　そのため各管区基地は二個中隊を配備していただけで、ドイツ軍のロンドンヘの侵入路をすっかり開け放していたためであった。
　これは全く高価についた判断違いであった。
　そしてたまたま起ったことであったが、第11集団作暗室に一時的ながらパーク少将がいなかったというミスがあった。
　翌九月九日の午後遅く、パークの九個中隊が出動して、一〇〇機のドイツ軍戦爆連合部隊の第一波が海岸に近づくのをまっていた。あやまちは再び繰返してはならなかった。
　パーク少将のパイロットはドイツ軍の戦闘機をさけ、徹底的に爆撃機を攻撃したので、ドイツ軍は爆弾をばらまきながらケント州とサセックス州の上空を飛んで退却した。
　このため第二波の大部分はあわてふためいて航路をはずしてしまったが、それでもロンドン南西部に達し、目標の造船所地域からはるかに離れた住宅街に爆弾をバラまいた。
　ドイツ空軍にとっては厄日〔やくび〕ともいうべきこの月曜日、ドイツ軍爆撃機の搭乗員は、彼らが自信をもって期待している勝利をおさめるためには、いまやっているロンドンヘの攻撃が果して近道かどうかを疑い初めた。
　双方の損失をくらべてみたとき、英軍戦闘機の損失一九機にたいし、味方の損失二八機とはいかにも高価につくではないか。
　しかし、もし九月九日の午後の全力を傾けた反撃でもドイツ空軍の自信をそれほどくじけなかったならば、イギリス政府はこのたえまない空襲にたいしてロンドンがいつまで耐えられるか、考え初めなければならない。
　一九四○年当時、大都市が連続爆撃をうけるなど、史上初めてのことであり、市民の士気の耐えられる限界や、欠くことのできぬ諸機関の回復能力など、わからぬものずくめであった。
　ドイツ軍侵攻の可能性が増大しているのにくわえ、月齢も潮時も九月八日から十日のあいだが上陸侵攻には最適であった。
　前途はすこぶる暗識〔あんたん〕たるものであった。

5 “あしか”作戦、さらに延期 top

　しかしヒトラーは、上陸侵攻の成功に不可欠な空中兵力の優勢が獲得されたという報告を、まだ納得できなかった。
　九月十日になり、ヒトラーは“あしか”作戦の決行の決断を九月十四日にすると発表した。
　かりに作戦を決行するとしても、実際には九月二十四日まで延期されたのである。
　毎日イングランド海岸の上空とロンドンにいたる空中で、チャーチル首相がいった“かくも少ない人”がイギリスを護っていた。
　ゲーリングは、ダウジングの戦闘機を片付けるためにさらに四日間もらうことになったが、ドイツ空軍が勝利をえるチャンスは少なくなりつつあった。
　しかしこのときイギリスは、この潮の流がやや変りかけたことに少しも気がつかなかった。
　九月十一日、チャーチルは国民に警告を発した。
　「もし敵の侵攻があるとすれば、そう長くは延期できまい。ここ一、二週間は、わが国の歴史上もっとも重要なときであると思わねばならない。
　いまは、スペインの無敵艦隊がイギリス海峡に迫ったときにドレイク〔イギリスの提督、無敵艦隊を撃破した〕がまさに勝敗の決着をつけようとしたとき、あるいはネルソソがわが国とブーローニュのナポレオンの大軍とのあいだに立たされたときの困難にも匹敵するものである。
　我々は、すでにこれらのことを歴史の本でよんだ。
　しかしこれから起ろうとしていることは、勇敢な昔のこれらの史実にくらべれば、はるかに大規模で、しかも世界人類の生存と将来、およびその文明に、ひときわ重大な結果をもたらすものである」
　九月十五日の日曜日、チャーチルは今日が歴史上、特別の日になるだろうと感じた。
　チャーチルは、ヒトラーが週末にイギリス侵攻の決定を九月十四日から九月十七日まで延期したことを知らなかった。
　しかしパーク少将の記憶によれば“この秋の日の照りかがやく気持ちのよい朝”チャーチルはふと何かを感じて、第11集団司令部にパーク少将を訪ねた。
　午前十時三十分少しすぎ、テーブルのうえで計算器を忙しく動かしていた婦人補助空軍の“兵士”たちは、たいへん驚いてしまった。
　首相がアクスブリッジの作戦室に入ってきたのである。
　首相のそばには夫人もいた。
　チャーチル夫妻は日の照る日曜日の朝、仲のよい隣人をなにげなく訪ねるといった調子で訪問し、歴史的な場面に入ってきたのであった。
　パーク少将は首相に言った。
　「今日はなにが起るかわかりません。今のところはすべて平穏です」
　この言葉はだいたい妥当なものではあったが、実際とは全く違ったものであったことが、まもなく明らかになった。

6 独空軍、ロンドンに昼間攻撃 top

　劇的な場面に魅せられてチャーチルは、婦人補助空軍の人々がドイツ軍機の最初の行動をキャッチしはじめたのに目をうばわれていた。
　レーダーは、多数のドイツ軍機がイギリス海岸の対岸上空に集合中であることを告げていた。
　冷静に、興奮することもなく、防衛配備がとられた。
　作戦参謀は、電話の送諸口に口をよせて、低い声でパーク少将の中隊ヘ緊急発進準備を、そして対空砲台の砲手へ、配置につくよう発令していた。
　午前十一時三十分、先頭のドイツ軍機がイングランド南部の海岸線を通過したとき、パーク少将は指揮下の二一個中隊のなかから、二個中隊からなる五隊、あわせて一〇個中隊を発進させた。
　支援のために「スピットファイア」の諮609中隊が諮10集団からかけつけていた。
　これらの中隊は、とくにウェイブリッジとウィンザー城の飛行機工場を護るよう指令されていた。
　国王が週末にでかける離宮のあるウィンザー城の領地には、航空機生産相ビーバープルックの、部隊供給まちの新戦闘機の秘密倉庫があった。
　その後方、ロンドンのすぐ背後には、リー・マローリー少将指揮下の第12集団の五個中隊の戦闘機六〇機が集結しつつあった。その指揮官は、両足を失っているダグラス・ベーダー少佐であった。
　戦闘機兵団は、九月七日の教訓をまだ忘れてはいなかった。
　チャーチルがあらゆる動きを注視しているなかで、管制官はパーク少将の九月十一日の改善命令を実行した。
　管制官も中隊同様に「スピットファイア」ごとに、あるいは「ハリケーン」ごとに、二人で一組をつくっていた。
　「スピットファイア」の中隊は爆撃機の外側を援護している戦闘機と渡り合い、このあいだに「ハリケーン」の中隊が爆撃機と爆撃機にピッタリくっついて援護している戦闘機群と戦うという構えであった。

7 バッキンガム宮殿爆撃さる top

　造船所やテムズ川のオイル関係の諸施設などの目標に到達するなどということは到底問題にならず、当惑したドイツ軍の搭乗員にとっては、ロンドン上空で爆弾を落として帰るのがせいぜいであった。
　英第11集団の正式徽章である国会議事堂の大時計が、象徴的に正午の鐘を打ったちょうどそのときに、ロンドンへの爆撃がはじまり、一弾がうなりを発してバッキソガム宮殿の庭におちた。
　しかし、爆発はしなかった。
　家の中にいたり、街頭にでていたり、また昼休みに一杯やるため酒場にはいっていたロンドンっ子たちは「これが今朝の新聞にでていた敵の侵入にたいする防御ぷりなのか」と首をひねった。
　「もし敵がきたら、またいつくるかは秘密にはするまい。ニュースはすぐＢＢＣや新聞で知らされるだろう」
　新聞はこう報じていたのだった。
　やっと一時間後の午後一時、ＢＢＣは「本日、ロンドン初の昼間空襲は、一時間前に始った」と報じた。
　警報がでてから一分か二分たって、軍当局は、
　「イングランド南東方面に激烈な対空砲撃が始っており、これに続いてロンドンの他の方面でも対空砲撃が始った」と報じた。
　うなりをあげて落下する爆弾の音が聞えた。
　ロンドン郊外の上空で、少なくとも五〇機の飛行機が戦っていると言われた。

8 サンプル少佐の戦闘記録 top

　ＢＢＣの落ち着いた放送態度は、人々にやすらぎをあたえた。
　放送局の六〇〇メートル上空で戦っている英軍戦闘機のなかに、戦前から週末に飛行練習をしていた不動産業者の第504中隊長ジョン・サンプル少佐がいた。
　彼はのちにこうのべている。

　燃料と弾薬を補給してから一時間後にサンプル少佐の中隊は、ドイツ軍の爆撃機と戦闘機のつぎの波に向って緊急発進した。

　それは膝まである黒革の長靴で、羊の毛で縁取りがしてあり、両側にチャックがついており、弾痕〔だんこん〕があった。
　集った連中は喜んで見ていたが、この長靴はロンドン爆撃のさい戦死したドイツ軍兵士のものであった。

10 運命の9月15日、首都再度空襲 top

　この運命の日曜日の朝の強烈な攻撃のあと、ドイツ空軍はイギリス海峡を越えて戻っていったが、英軍は午後になって再び戦闘配置についた。
　爆撃機一〇〇機、戦闘機三〇〇機のドイツ軍の新鋭の第一波がイギリス海峡を横断してきたからで、英空軍の戦闘機二〇〇機以上が二個中隊ごとにペアになってロンドン前面での防備に上昇していった。
　英軍戦闘機のパイロットたちは、わずか三機か六機、せいぜい九機か一二機の小編隊で数週間も不安な飛行をしたあとだっただけに、こうした大編隊で飛べるということだけで大いに意気があがり、ひんぱんな出撃からくる疲労もさほど感じていなかった。
　また撃墜されても、再び戦闘に参加できなくなることはないと知ってからは、全く心おきなく戦うことができるようになった。
　パイロットはロンドン上空で撃墜されてもパラシュートで降下して、タクシーを拾って飛行場に戻り、その日の午後にはかわりの「スピットファイア」か「ハリケーン」で戦闘に参加できたのだった。
　英空軍は九月十五日に二〇〇機の戦闘機を失ったが、ビーバーブルックの航空機生産省の修理・製造機関のおかげで、一八〇機以上がその週に出来てきた飛行機で補充された。
　しかし、いまやベテランの戦闘機パイロットの不足が、飛行機の補充よりも大きな問題であった。
　そのためダウジングは、疲れた部隊をドイツ軍の侵入地域外の中隊と入れ替える方針を取止め、とりあえず第11集団のパークの第一線の中隊に、平穏な地域の中隊を引抜いてきて増勢した。
　この処置は、おそらくマトを射た方策であった。未熟なパイロットがベテランになるのを待っているゆとりはなかったし、　また、いくら「スピットファイア」でも、低速で戦闘能力に欠けている「ハリケーン」を、メッサーシュミットＭe109から護ってやるということは、そういつでもできるというものではなかったからである。
　このような苦しいヤリクリがあるにもかかわらず、パークの中隊はこの日の午後、ロンドンに向ってくるドイツ空軍にたいして、午前中戦ったと同様に不屈の意気をもって突進した。
　しかしドイツ軍爆撃機は、損害を覚悟のうえで勇敢に進撃した。
　爆弾は雲の上からデタラメにロンドンに投下された。
　そして広大な首都にめくらめっぽう落下した高性能爆弾の一部が、鉄道やそのほかの重要な公共機関を破壊した。
　午前中、ベーダーの大隊の戦闘機にドイツ軍爆撃機はさんざんな目にあわされていたため、この日の午後、ケッセルリンクのドイツ第2航空軍の戦闘機パイロットは、ある程度めんどうなことが起ってもやむをえまいと考えていた。
　だが彼らは、ドイツ空軍の誤った推定によって、英本土航空決戦開始いらい、二〇〇〇機以上の英軍戦闘機を撃墜したものと信じていた。
　だから午前中の戦闘は、使い果たした戦闘機の残りがロンドン防衛のため、死物狂いで戦闘をやったと思っていた。
　こうした理由から彼らは、英空軍の「スピットファイア」と「ハリケーン」がいつもとはちがって大編隊であらわれたのでかえって歓迎した。
　いまこそロンドンの上空で、ドイツ空軍がこの夏いらい望み続けていた制空権を獲得する絶好のチャンスが到来したのだった。
　しかし、ドイツ軍は失敗した。
　有名な戦闘磯のりのアドルフ・ガーラント少佐さえ、失敗したのだった。
　（彼はこのあとまもなく四〇機目を撃墜してベルリンに行き、総統ヒトラーに祝福され騎士十字章を授与された）

11 水増し戦果に首相祝辞 top

　イギリスでもドイツ軍機の撃墜複数を多少おおめに計算していたので表面上は立派な成績をあげていた。
　翌日チャーチルが自分の執務室に入ったとき、空戦の成績を記録した黒板に撃墜一八三、未確認撃墜四二、撃破七二、味方損害三八と書いてあるのを見た。
　首相はすぐ空軍にお祝いの言葉をのべた。
　「きのうの記録は、戦闘機兵団のこれまでのすべての記録をしのぐものである。
　わが空軍はチェコスロバキア人やポーランド人など戦友の協力をえて、全兵力のわずか一部をもって、しかも戦闘の難しい雲の多い日だったにもかかわらず、祖国の非戦闘員にたいする暴虐な三波にわたる空襲を粉砕し、未確認撃墜や損傷をあたえたものをのぞき、故に爆撃機一二五機、戦闘機五三機の大損害をあたえ、わが方の損害は、パイロット一二人、飛行機二五機であった。
　この成果は、あらゆる期待を上回るものであり、きたるべき戦闘にたいして、ゆるぎない自信をあたえてくれるものである」
　成績掲示板や首相祝辞の数字には、戦後判明したとおり誇張があった。
　しかし英空軍の二六機にたいして、ドイツ空軍がおよそ六〇機を失ったことは、ドイツに和議による平和や、あるいは侵略成功の希望を捨てさせるに十分であった。
　この日曜日の夜、ドイツ空軍は爆撃機一八〇機で、再びロンドンの中心部を攻撃した。

12 航空決戦の転回点9月15日 top 　あくる九月十六日の朝、ゲーリングの専用列車がブーローニュにすべりこんだ。 　そこでドイツ空軍総司令官は、指揮下の元帥や大将たちに、自分の言葉にうっとりしながら、 　「悪天候によってイギリスは立ち直る機会をえた。だが、現在でもなお四日間好天がつづけば、ドイツ空軍はこれまで長くつかみそこなってきた制空権を獲得することができる」　と主張した。 　取巻き連中の調子の良いへつらいの言葉にみちた専用列車の中から、ゲーリングは大規模な攻撃命令をくだした。 　それは天候のよい日をえらんで一度に四〇〇機という膨大な爆撃機で攻撃せよというもので、天候不良のときは英軍に休養と立ち直りをあたえないために、厳重に援護された編隊で英軍を苦しめる空襲を繰返して行うというものであった。 　実際、悪天候のときには単機で突入してきても、護る者は驚かされたものである。 　作戦を指示するまで延期することにしていたのだ。 　だが、とうとうその機会が訪れることはなかった。 　戦後になって、一九四〇年九月十五日は、英本土航空決戦の転回点でもあったといわれるようになり、「イギリス国民がドイツの侵略と隷属〔れいぞく〕から解放された日」として毎年感謝を奉げる日となった。 　しかし一九四〇年当時、ドイツ空軍も英空軍も、一夜あければどうなるかわからなかった。 　英軍の知るかぎりでは、ドイツ軍の侵攻はいぜんとして現実になるかもしれない脅威であった。 　九月十五日のような昼間空襲が再び繰返され、あるいはもっと強化されるかもしれなかった。 　事実、もしドイツ第2航空軍司令官ケッセルリンクと第3航空軍司令官シュペルレが、ゲーリングの最近の命令を文字どおり実行できる十分な兵力をもっていたならば、英戦闘機兵団は、冬がきて、イギリス海峡とイングランド南東部に本土防衛の幕を張るまでに、護り切れないところまで追い詰められたに違いない。 　九月十五日、チャーチルがアクスブリッジを立ち去るとき、英第11集団指揮官パークは言ったものである。 　「閣下、御覧いただきましてありがとうございました。我々の現有兵力の限度はおわかりになったと思います。 　本日は、実に最大限度に活躍したのでございます」 13 英、再度悪天候にすくわる top 　九月十六日の月曜日は、天候不良と過去二四時間にわたって活動したドイツ空軍のたまりたまった疲労のために、英空軍は待望の休息をとることができた。 　日曜日はよく晴れたサンサンたる夏の日であったが、月曜日は雨天で、雲が地上一〇〇メートルまで低くたれこめていた。 　イギリスの天候は神がかり的な味方だった。 　かってはゲーリングの“晴天四日計画”を駄目にし、いままた同じことをやってくれた。 　もし、ゲーリングが最初からもう少し気象状況を計算に入れていたならば、果してこの“四日で勝つ”という作戦にのりだしたかどうか疑わしい。 　ドイツ空軍も、いまでは利口になり、イギリスの天候を考えるようになっていたが、そのかわり気象通報とゲーリングの無茶な命令との板挟みになって苦しむようになった。 　天気予報がゲーリングの命令と一致しない場合、決定は各航空軍の気象専門家がやるべきだったのである。 　九月十六日、パーク少将はこの悪天候に感謝しながら、日曜日の戦闘と照らし合わせて、自分の立場を考え直してみた。 　九月七日、ドイツ軍が突破してきたあと、同じ機種の二個中隊を一組に編成したこと、「ハリケーン」を爆撃機にたちむかわせ「スピットファイア」を戦闘機にむかわせたこと。 　この処置は、ドイツ軍をむかえ撃つのに好結果をもたらしたが、パークは満足していなかった。 　実際問題として、集合するときのミスや、パイロットが格闘戦をスポーツ気分でやっている傾向は、第11集団指揮官の戦術理論を有効に実戦に移すうえの障害となっていた。

ハインケル機内1：下方に見えるイングランド海岸線をながめる搭乗員 ハインケル機内2：英軍戦闘機｢スピットファイア｣をみつめる前方射手と爆撃照準器 最後の瞬間：燃えるハインケルHe111

　しかし、ドイツ空軍がロンドン市街への無駄な昼間攻撃を続けるかぎり、戦闘機兵団はかなり楽ができた。
　だがドイツ軍がビギンヒル、ケンリー、ホーンチャーチそのほかどこでもパーク指揮下の飛行場に再び来襲してきたときはどうか、飛行機工場にたいする同時攻撃を想定したときにはどうか、ただでさえ重大な現在の情勢は、一夜にしてさらに悪化するかもしれない。
　九月が過ぎ去り、空中戦がイングランド南東部を揺り動かしていたとき、幸運にもいぜんとしてロンドンが昼夜をわかたぬドイツ軍の空襲の主目標であった。
　攻撃の規模は八月末、九月初めの最盛期にくらべるとやや落ちてはいたが、ドイツ軍の爆弾はあいかわらずロンドンに大破壊をもたらしていた。
　しかし、その最後のキズも、現在では消えかけている。
　ロンドンがおよそ三週間にわたって連続爆撃されたあとの九月二十三日、ベルリンにたいする報復爆撃が命令された。
　英戦時内閣は、空軍がパラシュートつき爆弾を投下して恐怖爆撃を行うことを希望したが、空軍は攻撃目標は軍事目標に限定すべきだと主張した。
　いかなる場合でも、重要な目標に必ず命中させることは難しいものである。
　だが、英空軍は“爆弾浪費者”のほまれ高いドイツ空軍のお株を奪うつもりはなかった。
　九月二十三日の夜、二六〇機以上のドイツ軍爆撃機がロンドンに無差別爆撃を行ったとき、英空軍の「ウェリントン」「ホイットレー」「ハンプデン」など一一九機の爆撃機がベルリンの軍事目標攻撃を命じられた。
　両軍を対照してみると、イギリスの爆撃の規模は小さかった。
　しかし報復をやったということは、この夜同様に爆撃をうけているロンドンっ子たちにやすらぎと満足感をもたらしたのだった。

14 独、新戦法で飛行機工場を爆撃 top

　翌九月二十四日朝早く、ドイツ空軍は二回にわたってロンドンに来襲した。
　その日の午後、さらに重大な結果をもたらす爆撃があった。
　それは、戦闘爆撃機に改装したＭe109約三〇機からなる二編隊で行われた爆撃であった。
　英軍が驚いたことに、ドイツ空軍は妨害をうけることなしに“すべての「スピットファイア」の母”ともいうべき、レジナルド・ミッチェル〔「スピットファイア」の設計者〕のS6B型が生まれた歴史的なサウサンプトンの　「スピットファイア」製造工場に進撃した。幸い工場は大損害をまぬがれたが、防空壕が直撃弾をうけ、スーパーマリン社の幹部一〇〇人が死亡した。
　ダウジングが長いあいだ心配していたとおり、ドイツ空軍は大切な戦闘機工場を爆撃目標に選定したのだった。そして戦場心理にもとづけば、近いうちにまたサウサンプトンやそのほかの軍事目標に爆撃を繰返すだろうと予期された。
　翌九月二十五日の朝、戦闘機に援護されたドイツ軍爆撃機五〇機以上がブリストル飛行機会社の工場に大損害をあたえ、二五〇人以上の死傷者をだした。
　これらの飛行機工場にたいする攻撃は、速力が早くとても捕まえることなど思いもよらない戦闘爆撃機の出現とあいまって、回数は少なくなったがロンドン攻撃を引続き行っている一方で、管区飛行場にたいする八月末頃のような、純粋な軍事的見地にたった攻撃にドイツ空軍が復帰したことを明らかに物語るものであった。
　この点、戦闘機兵団の心配を裏づけるかのように、七〇機以上のメッサーシュミットＭe109、ハインケルHe111およびユンカースＪu88の混成部隊がブルターｆニュの基地からソーレント水道を通ってサウサソプトンの「スピットファイア」製造工場を爆撃した。
　数分間に七〇トンの爆弾が投下され、生産は停止し、工場内の新しい「スピットファイア」三機が破壊された。
　この日、ドイツ空軍は完全な勝利をおさめた。空中戦闘での損害は、わずか三機にすぎなかった。
　先手は、再びドイツ軍に移ったように思われた。
　この変化は英本土航空決戦中、ドイツ空軍が一時的にしろ、戦略的、戦術的に価値のある攻撃目標をえらんだときは、いつも確実に起ることであった。
　同時にドイツ空軍は、新しい戦術――戦闘機だけの編隊に戦闘爆撃機をまぜるという戦術――で英軍の戦闘機を面くらわせていた。
　このため英軍は、「スピットファイア」と「ハリケーン」を戦闘に誘い込むために出撃したＭe109の編隊がきてもあまり気にかける必要はなかったが、爆撃機または戦闘爆撃機が混じっている場合には注意しなければならなかった。
　冬がくるまでに、ドイツが空中での優勢を獲得する望みといえば、飛行機工場にこのような爆撃を数回やることであった。　　（工場疎開はやっていたが、まだ完全に終っていたわけではなかった）

15 無敵ドイツ空軍の伝説消ゆ top

　防御するイギリスにとっては幸運にも、高々度で進撃してくるドイツ軍戦闘機は、圧倒的な大勢力で英軍戦闘機を制圧する場合をのぞき、多くの場合イギリスに被害をもたらさなかった。
　九月二十七日、ドルニエ、ハインケルおよびユンカース爆撃機を戦闘機で援護するという初期の戦法に立ち返ったドイツ空軍は、昼間攻撃のもろさを再びさらけだした。
　ブジストルに向った八〇機と、ロンドンに向った三〇〇機のかかから、五五機が撃墜されたのである。
　英軍の損失は三八機であった。
　ドルニエ、ハインケルおよびユンカース爆撃機の任務はほとんど終了していた。
　一九四〇年九月の末日、スペイン内乱で大活躍をし、フランスの戦いでも大きな戦果をあげた各種の水平爆撃機は、ユンカースＪu87「スツーカ」急降下爆撃機同様、イングランドの上空ではもはや戦闘用としては使い物にならない旧式機であることが明らかになった。
　もっと快速で、新しいＪu88もあまり良くなかった。
　イギリスの損失戦闘機二〇機にたいし、ドイツは四七機を失い、そのうちの大部分は爆撃機であった。
　こうして、一九四〇年八月から九月までの二ヵ月間に、無敵ドイツ空軍の伝説は雲散霧消〔うんさんむしょう〕した。
　かっきり四日間で勝利の道を切り開くはずであった爆撃機は、夜の闇に隠れなければならなくなり、Ｍe110長距離戦闘爆撃機は“あて逃げ”をする爆撃機として、Ｍe110の援護を必要とするほど信頼されなくなってしまったのであった。