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Index 1
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6 ただヒトラーの従属者として
北アフリカに現れたロンメル将軍は、期待通りの成果をあげた。
彼は到着すると、ただちにイギリス軍陣地に強力な攻撃をくわえた。
このあらたな攻撃のまえに、イギリス軍はベンガジをすてて、トブルクヘ退却せざるをえなくなった。
ロンメルの率いるアフリカ軍団は、英第2機甲師団を壊滅し、わずか二週間のあいだに、イギリス軍部隊に大損害をあたえたばかりでなく、イギリスのオコナー少将が占領した、大部分の地域を奪回した。
1 足手まといのイタリア軍 top
だがムソリーニにとって残念なことに、このかがやかしい急速な勝利の栄光は、すべてロソメル将軍と、彼の指揮下のドイツ軍にあたえられた。
アフリカ軍団の三分の二は、イタリア軍であったにもかかわらずである。
だが一九四一年末、イギリス軍は反撃にうつり、アフリカ軍団は多くの戦車と捕虜を残してキレナイカを撤退、イギリス軍は、アフリカ軍団に包囲されていたトブルクを奪回した。
このような形勢逆転の原因は、ロンメル将軍の指導力の欠陥よりも、むしろアフリカ軍団所属のイタリア軍の弱体と、イギリス軍司令部の再編成によるものであった。
さてロンメルは、トブルクを再占領し、イギリス軍をエジプトの領内に追いかえすための新攻勢を準備した。
ムソリーニは、イタリア師団は正当な評価をあたえられるべきであり、自分もまた勝利の瞬間に戦場に現れて、かがやかしい栄誉――ギリシャ戦線では実現できなかったものだが――を共にしようと決心した。
ロンメルの進撃は、一九四二年五月二十六日にはじまったが、進撃は困難で激戦が続いた。
しかし、ムソリーニは確信していた。
彼はトブルクのあらたな包囲と、イギリス軍をマルサマトルーまで押し返すことについて、楽観的に予想していた。
彼は、枢軸軍の進撃を、東部戦線におけるイタリア派遣軍の行動にたいするよりも熱心に見まもっていた。
彼はあまりおそく戦場に行くと、ただ勝利者に月桂冠をさずけるために出向いた、と思われるのを恐れた。
また戦場に行くのが早過ぎると、負けた場合に、イタリアの無能な将軍たちとともに、その責任を負わされることにもなり、いつ出発したらよいか、日どりをきめかねていた。
ムソリーニは、アルバニア戦争のさいに、“不幸な戦いの目撃者”になったことを繰返したくなかった。 |
攻撃まえ、急ごしらえの塹壕で待機するリビア人部隊
北アフリカのドイツ軍砲兵隊
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彼は、トブルクが陥落したときに戦場に行こうと決心した。
トブルクは六月末に陥落、アフリカ軍団は急速に戦果を拡大し、イギリス軍を迫撃して六月二十三日にエジプト国境をこえ、マルサマトルーでイギリス軍をやぶり、エルアラメインにむけて進撃した。
2 ロンメルの人気にイライラ top
ウェーベル将軍にかわって、英中東方面総司令官になったオーキンレック将軍は、みずから指揮をとるため、前線に急行した。
しかしアフリカ軍団は、不敗にみえた。エジプトヘの進撃は続いた。
六月二十九日、ムソリーニはリビアヘむけて出発した。
彼はカバレロ司令官から「テベレ」〔注〕という一語を書いた電報がくるのを待っていた。〔注＝ローマ市内を流れる川〕
これは枢輔軍のスエズ運河への進撃が確実である、とイタリア軍司令部が保証する隠語であった。
この電報は、六月二十七日に到着した。
しかし暴風のため、ムソリーニの出発は二日間おくれた。
そして彼が戦線に到着したときには、攻撃はすでにハズミを失っており、万事はカバレロが予想したようには進展せず、ロンメルの戦略にもうまく行く時と、行かない時のあることを、知らされたのであった。
のちにムソリーニは、回想録のなかで、一九四二年六月二十八日を、“戦争と彼の経歴における転換期”としている。
しかし当時、彼は急速な勝利という幻想にふけっていた。彼は予想されるエジプト政府の構成について、ドイツ人と討議さえしており、ロンメルを軍政長官とし、その下に代理としてイタリア人の文官をおくことに、しぶしぶ同意していた。
北アフリカのどこへ行っても、人々はロンメルをほめ、しまいにその名前は、ムソリーニを病気にしてしまうほどであった。
ロンメルについて、ドイツ人は常に賞賛の念をこめて語り、イタリア人は不愉快な心をもって語った。
とくにロンメルは電報のなかで、ムソリーニや将軍たちが誇りにしていた、イタリアの「サブラーサ」師団の行動を軽蔑して書いたことが、イタリア将軍たちを憤慨させた。
ムソリーニは、電報のなかに、こんなことを書いたロンメルを「けっして許しはしない」と言明した。
だが彼の、この件にたいする不満を書いたヒトラーヘの手紙では、言葉の調子は一変し、“貴下の注意を喚起することを許してほしい”とか“私は貴下に伝達する光栄を有する”といった文句で、うずめられていた。
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枢軸国との団結:を誇示する北アフリカの一部住民
ヒトラーとムソリーニの顔が掲げられている
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3 だらしのない伊の将軍たち top
一方ロンメルは、その勝利の殊勲によって、六月二十日、元帥に昇進した。 〔ロンメルは北アフリカに到着したときは中将で、一九四二年一月、大将に昇進していた〕
ムソリーニは、もはやロンメルを現代における偉大な軍事指導者とはおもわず、むしろ狂人と考えていたのだが、釣合をとるため、あまり高く評価していないカバレロ参謀総長を、元帥に昇進させた。
チアノはかつて、カバレロについて“利益になるなら、公衆便所にもおじぎをする男”と評したが、彼はただ天性の楽天主義と、必要な場合はいつでも成功を誇張し、失敗をおしかくす才能をもっているため、ムソリーニにかわいがられていたのだった。
ムソリーニがリビアですごした三週間は、ムソリーニの生涯で、いちばん不幸な時期であった。
ロンメルはムソリーニのところに、敬意を表しにきたことさえなかった。
ムソリーニは、戦線の背後を――彼は一度も前線を訪問したことがなかった――うろつきまわり、元気のないイタリア将軍たちに取巻かれ、いろんな不平を聞かされていた。
ムソリーニは彼らに、まもなく地中海を横ぎって補給品がくるとか、東部戦線で大勝利が予想されるとか、マルタ島占領計画を準備中であるとかを話してやった。
彼らはムソリーニに、敬意をこめて
「はいドゥーチェ〔統領〕……そのとおりですドゥーチェ。
ドゥーチェは間違いない」などと調子をあわせた。
しかし彼らは心のなかでは、ドゥーチェが間違いないというのは、本当ではないと感じていた。
ムソリーニは、がっかりしてローマに帰ってきた。
4 ムソリーニの病気は屈辱病 top
ムソリーニの胃の痛みが、またはじまり、胃潰瘍が、今迄よりもひどくなった。彼はすっかり疲れ切って、病人そのものだった。
「ムソリーニは激務による疲労から、アメーバ赤痢にかかった」
と発表された。 |
幕僚と作戦をねる
“砂漠の狐”ロンメル将軍
トリポリで、しぶい顔をして部隊を閲兵するムソリーニ
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彼は、その全盛期に贈られた北イタリアの故郷の地にある別荘、ロッカ・デル・カミナーテ〔注］にひきこもった。
〔注＝ムソリーニの出生地の近くフォルリ市にあり、国民から送られた別荘。ロッカは城の意味〕
ローマ周辺では、彼が死ぬためにそこへ行ったのだ、という噂が流れていた。閣僚の一人は、つぎのようにいった。
| 「たぶん彼は死にかかっているが、赤痢のためではない。それはなかなかの難病で、“屈辱”という名の病気だ」 |
教育相のジュゼッペ・ポッタイは、べつの意見であった。
「かつてイタロ・バルポは、ムソリーニを“梅毒の産物”とよんだことがある。私は、これまでそれに反対であったが、おそらく正しかったのではないかと思う」
ポッタイは、チアノにつぎのようにうちあけている。
「ドゥーチェは、精神的にも肉体的にも駄目になっている。彼は、もはや私をひきつけない。彼は行動の男ではない。彼はでしやばりで、野心家で、崇拝され、へつらわれ、そして裏切られることを期待している」 |
5 猫の目のようにかわる判断 top
確かに一九四二年以後、ムソリーニの判断はますますとっぴになり、突然気分が変ったりした。
ある日彼は、連合軍の急速な崩壊を予言し、翌日には戦争が少なくともさらに五年間は続くであろう、と語るのである。
ムソリーニはアメリカ参戦の可能性を、全くないわけではないが、ありそうにない、と長いあいだ考えており、アメリカの重要性を、全面的に無視していた。
彼は、日本軍の真珠湾攻撃後、アメリカにたいし宣戦を布告したが、それはニカラグアにたいする宣戦布告とうけとられてもよいような、短い演説であった。
しかしべつのときに、ムソリーニはアメリカの力と影響力について、苦々しげに語った。
またあるとき、イタリア軍の部隊をしつこく賞賛した。 |
北アフリカでロンメルと会談するムソリーニ(左)
イタリア教育相ジュゼッペ・ボッタイ：彼は1942年、
ドゥーチェが精神的にも肉体的にも限界にきていると判断した
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「『トリデンチナ』師団は、優秀である。私はヨーロッパで、これ以上完全な兵士はいないと、ためらうことなく確認する」
ところがべつのとき、彼はイタリアの全軍隊を非難し、立派な戦士が、このような民族から生まれる可能性を疑った。
イタリア民族は、羊の民族である。一八年の歳月をかけても、彼らを変えるには十分ではない。
それは一八〇年、いやおそらく一八〇世紀を必要とするであろう、とまで言い放った。
6 次々と気まぐれな法令 top
突然、彼はひとつの法令をだすことを思い付いた。
一九四二年二月末、一八歳から五五歳までの、すべての男子を動員する法令を制定した。
そのとき彼は、つぎは女子の番であるといった。
ところが、その法令をだしてしまうと、もう彼はそれについての関心を失ってしまい、その実施を確かめることなど、気にもかけなくなった。
そして四月になると、ムソリーニはローマの街路を、多くの若者がブラブラしていると考え、これらの連中を早速すべて陸軍に召集してしまえ、と命令をだした。
この命令は、関係部局で受理、記録され、そしてそのまま忘れられていった。
閣僚たちは、ムソリーニが瞬間的
に、また熱情的に、ある種のつまらない問題に熱中することになれていた。
たとえば、ムソリーニはあるとき、クリスマス休日を廃止すること以外は、なにも考えられなくなった。
それは世界に弱々しい、衰弱した理論をあたえた一ユダヤ人――イエス・キリスト――誕生を、思い出させるだけではないかというのだ。
新聞は、クリスマスと書くことさえ禁止されたが、人々はこれまで通りに、この祝祭を祝ったのである。
またべつのとき、ムソリーニはファシストの敬礼を正しく行うことに強い関心をしめし、定められた規則に従って、敬礼をしない閣僚をしかりつけた。
指導者がこんなにフラフラしている以上、イタリア・ファシストの戦争組織が、ピントはずれであったとしても、べつに驚くにはあたらない。
また一八歳の少年が、動員されたその日に、銃の扱いも教えられず海外に派遣されても、さらに、軍需工場がムソリーニの約束した半分以下しか生産しなくても、最高軍司令官が何個師団を利用できるか知らないとしても、べつに驚くにはあたらない。
またパン、野菜、肉、米、卵などほとんどすべての食糧が配給制になったが、警察は広範なヤミ市揚に手入をする計画をあきらめてしまった。
といらのは、政府が物価の一率二〇パーセント切り下げ法令をだして、この問題を解決しようとしたが、物の見事に失敗したからである。
7 みくびられたイタリア top
ムソリーニにとって、もっともイマイマしい試練は、イタリアがますます、ドイツに頼らなければならないことであった。
イタリアは、ドイツにとって助けになるどころか、大きな邪魔者だということを匂わす情報が、ベルリンから繰返し伝えられた。
ムソリーニは、長いあいだ温めていたマルタ島攻略計画を、あきらめなければならなかった。
ヒトラーが、イタリア軍の士気がはっきりしない現状では、マルタ島を攻略できない、とほのめかしたからである。
彼はまた、ドイツとルーマニアからの石油、石炭の輸入の大幅削減を、甘んじて受けなければならなかった。
というのはイタリア駐在ドイツ大使館員が、無礼な態度でいったように“供給を続けることは、良質の石油の無駄づかい”になるからであった。
ドイツはまた、鋼鉄その他、重要軍需物資を供給する約束を、まもろうとはしなかった。
ムソリーニはこういった。
「私はいつか、イタリアの墓地に、ドイツが破った約束をうめるための、大きな墓をつくってやろう。
ドイツ人はなにも渡さず、彼らが約束したものさえ、渡さなかった。
そこで私は、カバレロ参謀総長に、東部戦線におもむくイタリア師団のために、対戦車砲を求めるな、と説得した。
私はローマの防衛陣地から、一二門の砲をはずして、これをあたえる危険をおかすほうをえらんだ」 |
ムソリーニはまたもや、イタリアの資源の開発に努力しなかった、とブルジョア連中を非難し、彼らを物理的に一掃しなかったのは、残念だったといいはじめた。
これよりもっと悪いことは、ドイツにいるイタリア人労働者が軽蔑され、残酷な待遇をうけているという報道が、たえず伝えられたことである。
その窮状があまり酷いので、一九四二年末の少しまえ、これ以上労働者を派遣しないことを決定した。
また東部戦線からは、ドイツ軍の司令官が、利用できるすべての輸送手段をとりあげて、イタリア軍を、雪のなかを徒歩で退却させた、という報道も伝えられた。
ムソリーニは、ドイツ軍がイタリア軍の戦闘能力を信頼せず、同盟国としてよりも、むしろすでに敵であるかのように取り扱かっている、という現実に直面しなければならなくなった。
いやそればかりではない。イタリア崩壊のさい、ドイツ軍のとるべき措置さえも、ベルリンで決定されていたのを、知っていたのである。
8 独、ムソリーニに失望 top
いくつかのドイツ軍部隊が、表面上“訓練”という名目で、イタリアに入ってきた。ドイツのアルベルト・ケッセルリンク空軍元帥が、イタリアで作戦する全部隊を統轄する南方戦域総指令官に就任した。
これは北アフリカのロンメル将軍がやったように、イタリア本国のドイツ、イタリア戦闘部隊をすべて指揮下におくためのものであった。
ケッセルリンクの幕僚が、盟邦イタリアをどう考えているかについて、ムソリーニは、彼らがベルリンと電話しているところを傍受したコピーを渡されたとき、もう疑う余地がなかった。
彼らはそのなかで、イタリア人のことを“マカロニ”とよび、イタリアをすぐにでも占領してしまいたい、という暴言をはいていたのである。
ほかの傍受した通信から、イタリアの軍事占領計画が、現実に着々と進んでいることがわかり、またムソリーニがしぶった場合には、親ドイツ派のロベルト・ファリナッチ元ファシスト党書記長を、名目的に指導者におしたてて、傀儡〔かいらい〕政権を樹立することがふくまれていることも、明らかになった。
多くのドイツ人は、このような指導者のほうが好ましいという点を、特別隠そうとはしなかった。
なぜならムソリーニは、あまりに柔和で、寛大であるとみられたからである。
たとえば彼は、ゲッペルスが“ユダヤ人の取り扱かいが、極めて手ぬるい”とのべたようなやり方を、とっていたのである。
また反対派のクロアチア人が、イタリア軍部隊に爆弾を投げつけたとき、ムソリーニは、ドイツ的で残忍な報復を言明した。しかし、彼がこの脅かしを実行するとは思えなかった。
そのうえムソリーニは、一九四二年十月まで重病であった。
ボッタイは彼を、つぎのように描写した。 |
ドイツ南方戦域総司令官
アルベルト・ケッセルリンク空軍元帥
元ファシスト党書記長ロベルト・ファリナッチ：ドイツは、親独派の
ファリナッチを首班とする傀儡政権を樹立する計画ももっていた
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「血の気のない灰色の顔、こけた頬、苦労し、つかれきった目、苦悩、屈辱、悲哀の感をたたえた口もと……
彼はきたるべき歳月と戦うことはもはや不可能になった。
これはかつて彼を愛し、またそのすべての失敗にもかかわらず、いまだに彼を愛している人々にとって、がっかりさせられることであった。
人々は彼の手をとり、話そうとするが、彼はもはや昔の彼ではなくなっている。
心をうちあけた話をする道も、ふさがれてしまった」 |
9 情婦のために人気をおとす top
ムソリーニは、リビアから帰国していらい、体重が一九キロも減っていた。
そしてときには胃の痛みがあまりに激しいので、叫び声をあげないよう、自分の手で口を強くおさえなければならないほどだった。
ベネチア宮の守衛長の話によると、ムソリーニはときどき我慢できなくなって、苦痛のあまり床を転げ回ったという。
当時のムソリーニは、十二指腸潰瘍より、もっと酷い病気にかかっているのではないか、と心配された。
イタリアの有名な医者の一人、チェザーレ・フルゴニー博士は、最初激しい下痢と診断したのだが、いまやかなり進んだ癌で苦しんでいるとみていた。
だがほかの医者は、この診断には同意しなかった。
一方、ムソリーニは、主として流動食をとっていたが、このため彼は貧血症になった。
ポッタイと、ムソリーニの娘でチアノ伯夫人のエッグは、これにからんでさらに複雑な問題がある、と考えた。
それはムソリーニが、数多い愛人のうちの最後の女、クラレッタ・ペタッチをベネチア宮の一部屋にかこい、午後になると、しばしばそこをおとずれることであった・
ムソリーニはよくペタッチと喧嘩をし、ときには非難し、さぐったりもしたが、彼は彼女なしにはどうすることもできなかったのである。
またベタッチの、欲ばりで評判の悪い家族と、その好ましくない取巻き連中をムソリーニが保護したことは、人々が彼にいだいていた敬愛の念を、すっかりさましてしまう、大きな原因のひとつになった。
彼はこの人気の凋落に、ほとんど気づいていなかったし、それにもう、いまは国民のあいだに入っていくことも、めったになくなってしまった。
閣僚たちは、まだあえて彼の批判を口にしなかった。
新聞各紙も、イタリア人が読むのに適する、とムソリーニが考えるニュースだけしか印刷しなかった。
また配給の行列、物資不足、飢えなど、好ましくない話題をとりあげた新聞――たとえば「オギ」紙〔注〕――は、弾圧された。〔注＝今日という意味〕 |
ムソリーニの最後の愛人クラレッタ・ペタッチ
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10 ファシストヘの反感つのる top
有力なファシスト党の指導者たちはチアノにちかづいて、イタリア中にみなぎっている反感を、ムソリーニにあえて警告することは、ドゥーチェ〔統領〕の腹心であり、娘婿であるあなたの義務であると詰め寄った。
というのは、こうした反感は、ファシスト党書記の要職に、ペタッチのお気に入りの取巻きで、とるにたらない若者アルドー・ビドゥッソーニを任命したことや、ペタッチの兄弟のマルセロが、内務省や外国為替省の当局者と共謀して、金の不法運搬に関係したというスキャンダルからおきたものであった。
しかしチアノは、あえて警告しなかった。
こうしてイタリアの悲劇はつづき、戦争と、ファシスト政権にたいする反対は、ますます拡がりだした。
はっきり口にだしていう労働者やインテリは逮捕され、警官はストライキをやる連中や暴徒たちに発砲し、一方連合軍の爆撃機は、イタリア諸都市にたいする爆撃を強化した。
国民は飢え、ほとんどの人々は、この無意味な戦争を終らすためなら、どんなことでもする、という点で一致した。
国内不安の報道が伝えられても、心をとざして、ムソリーニは大部分の時間を、新聞の操作とか、ニュースの内容とスタイルを、放送されるまえにかえるとか、あるいは見出しを修正したり、“勝利”をつくりあげたりするのに費やしていた。
11 米軍の北アフリカ上陸に衝撃！ top
またこのような仕事をしていないときは、ムソリーニは訪問者に弁舌をふるい、敵の悪口をいい、イタリアの失敗を彼の責任だ、とする人々を非難した。
彼にかかると、将軍たちは“老いぼれ”ており、提督たちは“もっとしまつの悪い人間”で、ブルジョア階級は“頽廃〔たいはい〕して”おり、イタリア民族は“歌をうたったり、アイスクリームを食べることしかできない、能なしの劣等民族”であった。
一方ドイツ人は、“下品な野蛮人”“信頼できないホラ吹き”“幼稚な変質者”であった。
ムソリーニは、このドイツ人について、つぎのようにのべた。
「ドイツ人によって、我々が帝国を失ったことを、彼らは記憶すべきだ。私の心には棘〔とげ〕がささっている。というのは敗れたフランスがいまも帝国をもっているのに、我々は帝国を失ってしまったことだ。
我々はシャツをぬがされるくらいなら、喜んであきらめるであろう。
しかしドイツ人は、我々のナマ皮までも剥〔は〕ごうとしている。
ヒトラーは“大バカ者”だ。ルーズベルトもそうだ。二人は血のつながった種族に属している」 |
ムソリーニがこのような長広舌をふるっているさなかに、彼は、あらたに北アフリカの英軍司令官〔注〕になった
モントゴメリー将軍が、エルアラメインで枢軸軍の陣地を突破した、という知らせを聞いた。
〔注＝英第８軍司令官。西方砂漠軍が改編、拡大されたもの〕
彼は、かねて予期していたこの敗北を、きびしい、静かなあきらめをもって受入れた。彼はまだこうした危機の瞬間に、そうした冷静さをたもつことができた。
彼はこう説明した。
「リビアの喪失は、むしろ有利かもしれない。
なぜならこの地域は、我々の商船隊を失わせていたからである。
いまや我々は、イタリア本土の防衛に、もっと力を注ぐことができよう」
二日後、アメリカ軍がアルジェに上陸したとき、本土防衛の必要性は、ムソリーニやドイツ人が考えていたよりも、ずっと緊急事にみえた。
ムソリーニはごく最近まで、アメリ力の参戦をたいしたことはない、と無視していたが、アメリカ軍の北アフリカ上陸が、イタリア全土にあたえた精神的影響は、“直接的かつ深刻”であったことを悟った。
ファシズムのすべての敵は、いっせいに頭をもちあげた。
そして最初の反逆者が、影のなかから現れてきた。 |
エルアラメインを救った英第8軍司令官モンドゴメリー将軍
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12 イタリア崩壊を心配する独 top
ドイツ側はいまや、イタリア崩壊の危険性について、かつてない関心をしめしはじめた。
ゲーリングとロンメルはローマに乗込み、イタリア政府に戦争と動員について、もっと積極的な態度をとるよう交渉した。
しかしロンメルがのべたように、二人にできたことは、“すべてのことをきちんとさせることではなく、ただイタリア側の背筋をピンとさせる”ことだけであった。
ロンメルは報告した。
「多くのイタリア人は、枢軸が誤魔化しであったと痛感しており、従って、最後の勝利のさいも、我々ドイツ人が、彼らの利害にほとんど関心をはらわないにちがいない、と信じていた。
またもしトリポリタニアを失えば、ムソリーニの身辺は、イタリア国内の政治的危機によって、危険になると、一般に思われていた。…
…多くのイタリア人は、戦争にあきており、どうしたらもっともうまく、戦争から逃げだせるかと考えていた」
13 党内からの不信も気づかず top
ヒトラーは、ムソリーニにもう一度自信をつけさせる――これは彼だけができた――ことが不可欠である、と考えた。
しかしムソリーニは、健康がすぐれないので、いまのところドイツ訪問は考えられないと訴え、また事態はドイツ軍がソ連から撤退して、枢軸兵力を地中海方面に集中すれば、救われると答えた。
この解決案は、そのころでもまだ、全戦線で勝利を勝ち取ることができると宣言していたヒトラーにとっては、もっとも気にくわないものであった。
ヒトラーのような自信をもてなかったムソリーニは、北アフリカの枢軸軍の敗北と、リビアの喪失が、彼自身の政治的将来と密接に結びついていることを、さとらないわけにはいかなかった。
また党の内外で、人々はムソリーニに嵐をきりぬける能力があるかどうか、彼の存続が望ましいかどうか、それどころか“とりのぞく”手段さえも討議していた。
そして、カバレロ、グランディ、ボッタイ、ファリナッチらが、彼のアトガマを狙っているという噂も、流れはじめた。
しかしムソリーニは、これらの脅威を、あまり重大に考えなかった。
そして彼が行動したとき、彼がその脅威の性質を、全く誤解していることをしめした。
彼は内閣を改造し、チアノをバチカン駐在大使にして、みずから外相を兼任し、また何人かの彼の支持者を追払って、もっとも強く批判的な人物を、横すべりで他の大臣に任命する愚をおかした。
カバレロは陸軍参謀総長を更迭され、後任にはビットリオ・アムブロシオ将軍が任命された。
彼は反ムソリーニの陰謀に、もっとも深く関係していた男であり、ドイツのケッセルリンク総司令官も、全く信用していない人物であった。
ボッタイがのべているように、ムソリーニはただ、現在の重要問題から注意をそらし、人々にたいする自分の力を誇示しようとしているだけにみえた。 |
カバレロにかわって陸軍参謀総長に就任した
ビットリオ・アムブロシオ将軍
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14 ヒトラーと一蓮托生を決意 top
ムソリーニの自信に活をいれ、またチアノが単独講和の交渉にバチカンヘ送られたのではないことを確かめるためにも、ヒトツーは再び、ムソリーニのドイツ訪問を求めた。
ムソリーニはいぜんとして発作的な痛みに苦しんでいたが、今度は訪問に同意した。
彼は旅行中、何回も病気になった。
そして彼がドイツで列車からおりたとき――ゲッベルスの言葉をかりれば――ヒトラーには、彼が“うちひしがれた老人”のように見えたという。
そのあと、ムソリーニのぼんやりとした、ものうげな様子を見て、ヒトラーはデーニッツ提督に、ドゥーチェは、本当に最後までやりぬく決意をもっているのだろうか、と疑いの念をもらした。
会談の席で、ムソリーニは、ロシアから兵力を撤収する必要性や、イタリア本土防衛のため、地中海に派遣した部隊の帰還、ドイツからの経済援助の増加などについて、いくつかの提案を行った。
しかしヒトラーは、このような提案を考えるのを拒否した。
アルフィエリの言葉によれば、ヒトラーは“ソ連を打ち破るという、狂信的な考えにとりつかれており”この目的を阻害するような結果になる議論には、いっさい耳を傾けようとはしなかった。
ムソリーニが、東部戦線におけるドイツの新攻勢が、チュニジアのイタリア軍におよぼす影響について考えているあいだ、ヒトラーは次々に状況を説明し、対応策を述べ続けた。ムソリーニは、ヒトラーと議論する気力がなかったからである。
しかし会談の終りに、ムソリーニの精神はやや回復した。
ヒトラーは、ムソリーニが“うちひしがれた老人”から、再び“なんでもこい！ という張り切った状態”の男に変身したことをよろこんだ。
ムソリーニはいまや、ドイツとともに勝つか、あるいは死ぬ以外に“目分に救いがない”ことを悟った。
15 元気回復もつかのまに top
ローマにかえると、彼は独自のやり方で行動した。
反ファシストをぶちこむ強制収容所を建設する指令をだし、また警察長官とファシスト党書記をクビにした。
彼はまたポッタイに、脅かすようにつぎのようにささやいた。
「奴らは私が終ったとか、影が薄くなったとか、御用ずみだとかいいふらしている。まあ、今にみておれ……」
イタリア軍がかつてエチオピアのアジスアベバヘ入城した記念日に、ムソリーニはベネチア宮のバルコニーから、激烈な演説をプチ、最後をつぎのような感動的な言葉でむすんだ。
| 「私は、諸君の声のなかに、昔からのゆるぎない信頼感のひびきを聞いている。この困難な時代の血なまぐさい犠牲は、勝利によってむくわれるであろう。これは、神が正しく、イタリアが不滅であると同様に、真実である」 |
しかしこれはムソリーニにとって、ベネチア宮から行った最後の演説となった。チュニジアを救うため、ドイツ空軍の支援を求めたイタリアの要請は、ベルリンで無視された。
ムソリーニのベネチア宮での演説から三日後の五月八日に、チュニスとピゼルトが陥落した。
五月十五日、チュニジアの枢軸軍残存部隊は降伏した。
そして連合軍は、パンテルレリーア、ランペドゥサ両島を占領し、七月九日、ついにシチリア島に上陸した。
戦意を失ったイタリア軍守備隊は、シチリア島の防衛を、ドイツ軍の手にまかせて退却した。 |
イタリアの希望消える：シチリア島に上陸したアメリカ軍
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13回目の首脳会談：ヒトラーとの会談のためフェルトレにおもむいたムソリーニは黒メガネをかけていた
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16 ヒトラーの非難にただ黙然 top
ヒトラーはムソリーニに手紙を送り、もしイタリア人が、戦いを放棄するつもりならば――そのようにみえるが――ドイツはこれ以上援軍をおくるつもりはない、と手厳しく通告した。
アムブロシオ参謀総長は、そのメッセージの無礼な調子に驚いたが、ムソリーニは極めておだやかに回答し、首脳会談を行うことが有益である、と提案した。
ヒトラーは同意し、会談は北イタリアのドロマイト山脈の南の中腹にあるフェルトレの別荘で行われた。
これは両首脳の一三回目の会談であり、ローマ駐在のドイツ陸軍武官リンテレンが書いているように、あまり縁起のよいものではなかった。
「飛行場のうえには、重苦しい疲労感がただよっていたが、それはただ暑さのせいばかりではなかった」
いつものように、ヒトラーは一人でしゃべりまくった。
ムソリーニは、肱掛け椅子が彼にはあまりに大きく、ふかぶかとしていたので、端のほうに足をくんで腰かけ、忍耐づよく、無感動な表情で耳を傾けていた。
ただヒトラーが、勝利を獲得するまで、イタリアとともにロシアで強力に戦い続けるよう主張したとき、膝の上の手もたたいた。
ヒトラーは荒々しく、一五歳の少年でさえ高射砲で戦っているドイツの精神と、イタリアの情勢とを比較して、イタリアはもっと現実的な方法を採用しなければならない、と主張した。
すなわちイタリアでは、政府はあまり尊敬されておらず、敗北主義が横行しているが、卑怯者や裏切者は射殺しなければならない。
ただひとつの解決策は、全イタリア軍をドイツ軍の指揮下におくことである、というのであった。
ムソリーニは、口を手の甲でこすり、顔の汗をハンカチでふきながら、じっと黙っていた。
実際、全会談中ムソリーニはわずかに二回だけしか、口をきかなかったようにみえた。
一回目は、コルシカ島の人口についての言明を訂正するためであり、二回目は秘書がメッセージを彼に手渡したとき「現在、敵はローマに激しい空襲をくわえている」と発表したことであった。
17 不安におびえるムソリーニ top
しかし、あとでアムブロシオがこっそりと忠告すると、ムソリーニは怒りを爆発させ、“激情に震える”声でつぎのように怒鳴りつけた。
「君は、私が苦しんでいないとでも、本当に思っているのか？
私の無感情な表情のうらには、精神の苦悶が隠されているのだ。
しかしもし、我々がドイツと絶縁したら、どうなると思う。
ある日特定の時間に、我々は敵に声明を放送するとする。
そうすればなにが起るか――彼らは、しごく当り前のことだが、我々に降伏を要求するだろう。
だが、我々は二〇年間にわたる業績を、そんなに簡単に放棄したり、我々のすべての希望の実現をあきらめられるものか。
そして、ヒトラーはどうすると思う。
君はヒトラーが、我々に行動の自由をあたえてくれると、本当に考えているのか」 |
それからアムプロシオは、戦争がイタリアでは人気がないことについて、少ししやべった。
これはムソリーニを今迄にないほど激怒させた。彼は叫んだ。
「おねがいだから、つまらないことをいわないでくれ。
戦争が人気のあったことは、これまでも、また将来もないだろう。
戦争はただ勝利に終ったときにのみ、人気をえるのだ」
彼の怒りは、それがはじまったときと同じように、全く突然におさまった。
そして、ちょっと休んでから、ムソリーニは政治的、歴史的談義を長々と話しはじめるのだった。
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