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7 ムソリーニ、ついに失脚

　アムブロシオ陸軍参謀総長は、いまや、イタリアを救うためには、ドゥーチェ〔統領〕を取り除かなければならない、と考え初めていた。ローマではここ数週間というもの、ファシストであるなしをとわず、だれもが、彼を追放する問題を真剣に論じあっていた。

4 いっこう驚かぬムソリーニ top

　さてムソリーニが、彼の決議案を知ったことを聞いて、グランディは自分も直接、ムソリーニに会見したほうが賢明であると考えた。
　彼は七月二十二日午後五時、ベネチア宮でムソリーニと会見することになった。
　ムソリーニの面会リストによると、グランディとの会見時間は一五分となっていた。そしてつぎの訪問者は、ドイツ南方戦域総司令官のケッセルリンク空軍元帥で、一時間半が割りあてられていた。
　グランディが入っていくと、ムソリーニが“世界地図の部屋”のなかで大きな机の向う側に立っており、彼に座るようにとはいわなかった。
　しかしムソリーニは、グランディのいうことに、じっと耳を傾け、グランディが決議案を読みおえて、それを支持する発言を少しすると、つぎのように語った。

　ムソリーニは、少しも気にしていないようにみえた。
　彼は“グランディ提案”の重要な内容を、全く見おとしていたようであった。
　確かに彼は、それをなんの重要性もない、小さな問題として無視していた。
　ケッセルリンク元帥が、ムソリーニの部屋に入ってくると、彼は元帥に
　「いまここをでていったグランディをごぞんじですか？　
　我々は、率直にすべてを話しあい、意見があいました。彼は私に忠実な、献身的な男です」といった。

5 不安にみちて大評議会開く top

　ムソリーニの、無視したような無関心さは、むしろ怒りの爆発以上に、グランディの心をかきみだした。
　ムソリーニのもとを去るとき、彼は会議場で、ケッセルリンク元帥がまっているのに気がつき、心のなかで「これはよい兆候ではない。おそらくドゥーチェは自分の地位を確保し、反対者を逮捕するため、すでに措置をとったにちがいない」と考えた。
　彼はまた、大評議会が開かれるとき、内務次官が二〇〇人の警官を、手元におくよう求めていると聞いて、いっそう覚悟をきめた。
　グランディは七月二十四日午後、大評議会にでかけるとき、ポケットのなかに拳銃をしのぼせ、書類カバンに手榴弾二個をかくした。
　彼は教会に告白にでかけ、そして妻と子供にあてた遺書をのこした。
　グランディは、ベネチア宮に近づいたとき、彼の用心が全く正しかったと思った。
　構内には多数のファシスト国民軍がおり、一部の者はベネチア宮の廊下や階段や部屋を、パトロールしていた。
　「君は彼と話をするなんて、うまくやったな。こうなれば、我々はおしまいだ」
とポッタイは怒って、彼にそうつぶやいた。
　彼らは会議室にはいり、大評議会のほかのメンバーとともに席につき、震えながら、ドゥーチェの到着をまった。
　彼らはムソリーニの命令で、全員、“サハリャナ”とよばれる黒シャツを着ていた。
　ムソリーニは部屋に入ってきたとき、いつものように自信をもって、メンバーのだれにも一瞥もくれず、自分の椅子にすすんだ。
　また自分をほかの連中から区別し、別の人間として、お高くとまっていることを強調するかのように、彼はファシスト国民軍最高司令官の、くすんだ緑色の制服をつけていた。
　彼の腕のなかには、いろいろな文書でふくらんだ書類カバンがあった。
　「ドゥーチェに敬礼！」とスコルツァが叫んだ。
　全員はいっせいに起立して、いつものように「敬礼！」とこたえた。

6 わけのわからぬ大演説 top

　ムソリーニは、ほかの者のすわっているテーブルよりも、少し高くなっている最上席のテーブルに、不機嫌な顔ですわった。
　彼はつぎのようにしやべった。

7 やつあたりして責任を転嫁 top

　この演説は、いきあたりばったりで要領をえず、首尾一貫していなかった。
　彼は確かに、演説の準備をする手間をはぶいていた。
　彼はあらゆるところの失敗と、自分以外のあらゆる人たちの欠点を指摘した。
　彼は軍事作戦の指導にけっして干渉しなかったが、あるいは干渉したほうが、イタリアのために良かったかもしれないと主張した。
　彼はまた、イタリアの崩壊は、ドイツが約束した物資を供給しなかったためだ、と非難する人々を攻撃した。
　しかし彼は、最近行われたばかりのフェルトレ会談や、現在、必要としている緊急物資を入手できる見込みについては、一切ふれようとはしなかった。
　彼は、手綱をひきしめること、“必要な責任”をとること、人事の更迭、政府をボー渓谷に移転することなどについて、ばくぜんと語った。
　しかし彼は、このような措置を、現在のような危機下にあって、どのようにして実行するかについては、なにも説明しなかった。
　べつの問題で、あまりにもマトはずれなことをいったので、ボッタイは、彼が何かあいまいな冗談をいおうとしたのかと思ったくらいである。
　ムソリーニはまた「私はイギリス軍が十月二十日にエルアラメインを攻撃するのを予測していた。
　なぜなら彼らは、ファシスト革命二〇周年記念日に、泥をぬろうと考えていたからである」とのべた。

8 堂々と統領をはげしく非難 top

　ムソリーニは二時間あまりをついやして、この異例な演説をおえた。
　その後しばらくのあいだは、だれもしやべらなかった。
　なんとなく、ぎこちない沈黙が続いたので、アルフィエリは、みな底しれない幻滅感をいだいたのだろう、と考えた。
　彼らはムソリーニが、こんなにも悪い印象をあたえる演説をするのを、かつて聞いたことがなかった。
　二〇年にわたる政権は、もはや終りにきていた。
　スッとボッタイが立ち上がり、はっきりした言葉でムソリーニの批判演説をはじめた。
　続いてグランディがたち、彼の決議案を提示するとともに、一時間以上にわたり、ムソリーニを非難する力づよい演説を行った。
　彼は熱情をこめて語った。

9 打ちひしがれて休憩を哀願 top

　ムソリーニは、この驚くべき、前例のない長広舌を黙って聞いていたが、あたかも苦痛に苦しむかのように、テーブルのうえに身をかがめてもたれかかり、時々手で胃のあたりをおしたり、またシャンデリアの輝く光に手をかざして、目をさえぎるようにしていた。
　彼の青ざめた顔には、流れる汗が光っていた。
　ボッタイは、完全に敗北し絶望におちいったムソリーニが、幽霊のように目に映るのを感じた。
　ムソリーニは、続いて行われた演説――たとえばドイツ人を非難したチアノの演説にも、ドイツ人を弁護したファリナッチの演説にも、あるいは、ムソリーニを弁護する評議員のあまり気のりしないような演説にも、さらに提示された動議の重要性を忘れて、互いに口論しあう人々の演説にも、ほとんど注意をはらわないようにみえた。
　ついに真夜中すぎて、ムソリーニはつかれきって“低い、みじめな、憐れみをこうような”――とボッタイは描写した――声で、会議を休会にしようと提案した。
　彼は、自分は病気なので、イタリアが孤立し、三大国の力と向かい合わねばならないとき、これ以上非難を聞くことはできないとこぼした。
　しかしグランディは、容赦しなかった。
　これまでドウーチェは、たとえば一九二七年の労働憲章のような、比較的小さな問題を討議するため、我々を朝の五時まで寝かせなかったではないかといいかえし、決議案を投票にかけるよう主張した。
　だが結局、彼は一〇分間だけの休憩に同意した。

10 ついに追放決議案成立 top

　ムソリーニは自分の執務室に行き、べつになんの関心もみせずに二、三の電報を一瞥し、一杯のミルクをのんだ。
　グランディやそのほかの連中は、ムソリーニがこの休憩のあいだに、自分たちの逮捕を命令するのではないか、と気が気ではなかった。
　しかしムソリーニは疲れきり、すっかり打ちひしがれていた。
　ボッタイがいったように“独裁者”の傲慢さにかわって、“被告”の従順さが現れたのであった。
　アルフィエリが執務室に入ってきて、いまでもドイツは、さらに物資を喜んで供与するかもしれないといったが、ムソリーニは首をふった。
　ついでブッファリーニが入ってきて、ムソリーニに反対した連中をすべて、即刻逮捕するよう要請したが、ムソリーニは見むきもしなかった。
　しかし少しやすんだため、彼の昔の活力が、ややよみがえったようにみえた。
　そしてガルビアティが、ムソリーニを支持する力づよい演説を行ったあと、彼はたちあがって再び発言し、おまえたち全員を絞首台におくるのに十分な、汚職の証拠をにぎっているぞ、とおどかした。
　彼は、チアノを指さして「ほかのだれよりも、まずおまえだ」とつけくわえた。
　昔のドウーチェの面影が現れたのを見て、スコルツァは、さっそく立ち上がり、ムソリーニを弁護する、長いがあまりよくわからない演説を行った。
　会議はすっかり混乱状態におちいっていた。すべての人がののしりあった、とボッタイはのべている。
　それからムソリーニが、戦況にたいする鍵、戦争を勝利のうちにおわらせることのできる秘密兵器がある、と発表した。
　だがついに、七月二十五日午前二時十五分、決議案が投票にかけられた。
　出席した大評議会の二八人のメンバーのうち一九人が、決議案に賛成投票した。 〔なお反対七票、棄権二票であった〕
　投票の結果が発表されると、ムソリーニは書類を集めて、突然たちあがった。
「ドゥーチェに敬礼！」とスコルツァが忠実に叫んだ。
　しかしムソリーニはそれをさえぎり、ゆううつそうに「もうそんなことはしなくてもよい」とつぶやいた。
　ドアのところで、彼は一瞬立ち止まってふりかえり、非難をこめて「きみたちは、政権を危機におとしいれた」
と言い捨てた。

11 まさに不感症のムソリーニ top

　しかしその朝になると、ムソリーニはいつものように執務室にでかけ、べつに、なにもかわったことがおきなかったかのように仕事をした。
　彼は朝刊を注意深く読み、その日の面会予定を確かめたが、そのなかには日本大使との会見も含まれていた。
　この段階になっても、彼はまだ、事態が処理できなくなったことを、認めようとはせず、すべての警告を無視した。また大評議会で、彼に反対投票した一九人を監禁しようという、ガルビアティとスコルツァの勧告を退けた。
　そしてスコルツァが電話で、一九人のうちの一部が、考えをかえ初めていると伝えると、ムソリーニは、すでに予期していたように、そのニュースをうけとり、また裏切者にたいする処置を、すでに決定したかのように「もう遅過ぎる」と往年のような厳しい調子で答えた。

12 ノホホンと国王に謁見 top

　ムソリーニはその日〔七月二十五日〕の午後、国王に謁見に行く予定になっていた。
　彼は、スープと、くだものを煮たおそい昼食をとるため家にかえり、平服に着がえた。
　というのは、謁見のさいは平服にするようにさだめられていたからである。
　妻のラケーレは、不吉なものをかんじて、「行かないほうがいいわ。彼は信用できないから」と夫に警告した。
　しかしムソリーニは、少しも危険を感じていなかった。
　国王は最高軍司令官の権限を、彼から取上げることをのぞむかもしれないが、それ以上に、べつにたいしたことはない、と考えていた。
　彼は二〇年以上にわたり、毎週一、二回国王に謁見してきた。彼はガルビアティにつぎのように保証した。
　「私は、すべての国事ばかりでなく、私事でさえ、国王と相談してきた。国王はつねにかわらぬ、私の味方だった」
　彼は、黒いフェルト帽子をとり、いくつかの書類をつめた書類カバンをもって、国王のサポイア別荘へむかう自動車にのった。
　その日は、静かな日曜日であったが、息がつまるくらい暑かった。
　街路にはほとんど人影はなく、その日の朝刊は、パレルモの陥落を報道していた。
　ムソリーニの自動車は、別荘の玄関の外側にとまったが、運転手が驚いたことに、国王はイタリア元帥の制服をつけていたのだ。
　彼は、国王がこんなやり方でドゥーチェをむかえるのを見るのは、初めてであった。
　またきょうほど、たくさんの警官が構内にいるのを見たこともなかった。
　国王がムソリーニに、身体のぐあいはどうかとたずねると、ムソリーニは黙って頭をふった。そして二人は別荘のすずしい場所に歩いていった。
　ムソリーニは、さっそくにファシスト大評議会のようすを報告したが、彼は反対投票をうけたことを、たいした問題ではないとして省略した。

13 国王ついに保護の名で逮捕 top

　「親愛なるドゥーチェ」――あとになってムソリーニの説明によると――顔が黄色っぽく、ちぢこまり、いままでになく小さくみえた国王は、異常な興奮ぶりで、苦しそうに口をひきつらせながら、ぼそぼそとつぎのようにいった。

　ついで国王が、バドリオ元帥が彼のあとをつぐはずであるといったとき、ムソリーニは突然、ドスンと腰をおろし、青ざめて、まるで失神したようにみえた。
　国王はさらに話しつづけたが、ムソリーニはそれをさえぎるように「もう万事終った」とつぶやいた。
　そして、確かにそのとおりであった。
　会見は、わずか数分だった。
　ムソリーニは秘書をつれ、別荘の外にでて、自分の自動車のほうに向って階段をおりていった。
　だが階段の途中で、警察隊の隊長が彼のところにあゆみよって敬礼し、
　「国王陛下は、あなたを保護せよと、私に命じられました」