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　三章　「女性狩り」

　私たちを乗せたワゴン車は、五月三日マレー半島南端のジョホールバル市から、いよいよ対岸のシンガポールに向かうことになりました。
　ここで五三年前の一九四二年一月三一日、日本軍はジョホールバル市を占領すると同時に、シンガポールに砲撃・空爆を開始しています。
　ワゴン車の中で通訳兼ガイドの楊佐智（ヨンチョチー）さんからそういう説明を受けました。
　コタバルからの一週間、世話になった彼ともこれで最後。
　いつの間にか仲間となって「聞き取り」をしていた彼との別れは、ちょっぴりさびしい。
　遠くを見渡すと、川のような海が見えました。
　半島と島の間にある川のような海峡は、ジョホール水道といわれ、そこにコースウェイという橋がかかっています。
　そこには現在、自動車道路、マラヤ鉄道と二本の送水管が通っていました。
　その橋をワゴン車で渡り終え、パスポートを見せて出国と入国の手続きを無事終えました。
　当時この橋はシンガポールに敗走するイギリス軍によって爆破されていました。
　だから、二月八日の日本軍の上陸はボートによるものでした。
　上陸開始後イギリス軍と激戦が始まったが、わずか一週間後の一五日イギリス軍司令官パーシバルは日本軍司令官山下奉文（よしゆき）に降伏しました。

　1　「女性狩り」があったジャラン地区へ top

　しばらくシンガポールに駐留し、その後に移動した（ジョホール州のムアルと推定される）独立自動車第四二大隊第一中隊は、一九四三年八月二四日、次のような「軍会報」を受けました。

　「近時（きんじ）軍人軍属にして軍用車又は人力車等に地方の婦女子を同乗せしむるものあり。
　殊（こと）に慰安婦等を同乗せしむる者を散見するは頗（すこぶ）る遺憾（いかん）とする処にして自今（じこん）厳に戒慎（かいしん）せられ度（たし）」
（軍事極秘『陣中日誌』第拾壱号――昭和一七年八月一日〜三一日――より、カタカナを平仮名にした）

　シンガポールにも、すでに慰安所（いあんしょ）は設置されていた頃のことです。
　慰安所から慰安婦を勝手に連れ出すことはできません。
　とすれば、これは何を意味するのか。現地妻も考えられるが、それだけでしょうか。
　通訳兼ガイドの、大学卒業を間近に控えた蕭翰字（ショーハンウー）さんの祖母とその友人の林瑞風（リンスイフォン）さんが当時を語ってくれるというので、シンガポール東部のセラングーンのジャラン地区の家にタクシーで向かいました。

　2　友人は強姦され、木にぶら下げられた top


目撃した日本軍の蛮行を語る林瑞風さん


「女性狩り」について真剣に話を聞くメンバー
　二階建てのコンクリートの家は、長屋のようにつながっていました。
　入口から入ると部屋が細長くなっていて、一番奥に出口がありました。
　部屋の椅子にメガネをかけた林瑞風さんが座って待っていました。
　外は三〇度を超えていましたが、クーラーですずしい部屋です。
　林さんは笑顔で迎えてくれました。
　すでに用件は爺さんから聞いていて、当時のことを中国語でゆっくり語り出しました。


通訳の家族と記念に
　「私は八〇歳だから、三〇歳くらいの時のことです。
　日本兵が私たちのところに来たのは四二年の二月半ば頃で、トラックの荷台に華僑の人の首を四つ、隅々に置いて見せしめにしていました。
　四台でしたから、首は一六個だったと思います。
　その首の目はカアッと見開いていて、口元の金歯まで見えました。
　また、こういった首はあちこちでみました。
　トラックは人通りをゆっくりと走っていました。
　日本軍は華僑の多い地区をそのようにして回っていたのだと思います」

　その首は、街で行われた「大検証」（華僑に対する大虐殺）による犠牲者と思われました。
　林さんは「大検証」については解放後に知ったといいます。

　「私自身は被害を受けなかったのですが、私の親戚の子供は、マレーシアであったのと同じように空中に投げられて銃剣で刺し殺されたり、私の友人は日本兵に強姦された後、裸のまま何日も木にぶら下げられて死んでしまいました。
　前者は見てはいないが、後者は目撃したことです」

　シンガポールを占領した日本軍は、家宅捜査の名目で若い女性を漁（あさ）りました。
　女性狩りの様子とその後について、画集『惨痛的回憶』（司馬春英（スーマチェンイン）編絵、一九四六年）は、こう説明しています。

　「家を調べることは、女色をあさること。
　婦女を犯し、罪悪は大きい。
　容姿の美しい若い娘を見るとすぐにとっつかまえてピストルを抜き出し、まず家の中の老人や子供を別の部屋に監禁して、その後に自分の思いのままにふるまって、恨みの事件を起こした。
　かわいそうなのは柔らかくて若い一輪の花。涙をのんで獣兵に犯され、彼らは大手をふって立ち去った」
　「汚水をまきちらし、若い婦人は玉砕し、母の屍にすがって幼児は悲しむ」
　「容姿のいい女性は特務に監禁され、ほしいままに犯され、その後日本軍に引き渡された。
　日本軍の手中で重刑を申しわたされた人は犯され、その後木の柱に吊るされ殺された」
　「日本軍がいたるところで婦女を強姦することは、人々はことごとく知っていた」

　林さんの家の近くに爺さんの祖母陣素珍（タンソンチン）さんが住んでいます。私たちはそこに急ぎました。
　私はあまり話すことはないよ、と言いながら一三歳ころのことを思い出してくれました。

　「当時、ジャランブサール（アラブ街に近いシンガポール中心部）に住んでいました。
　日本軍が占領した後、少なくとも週に一度夜にやってきて若い女性を探し回っていました。
　見つかるとどこかに連れて行かれ、行方不明になって帰ってきませんでした。
　もう少し向こうの地区に住んでいた時、連れて行かれた女性が近所にいました。ですから、若い女性は髪を切って男装していました」

　先の「軍会報」による「戒慎」は、以上のような日本軍の鬼畜（きちく）のごとき蛮行（ぱんこう）もあって出さざるをえなかったのではないでしょうか。
　しかし、赤ちゃんのいる家では男装だけでは危険でした。林さんはさらにこう言いました。

　「子供ができたら捨てる人もいました。
　それは経済的に育てていけないこともありますが、赤ん坊の泣き声がすると若い女がその家にいることがわかり、レイプされるからです。
　私の友だちにも子供を捨てた人がいたけれど、良心の呵責（かしゃく）にかられてまた拾いに行きました。
　私自身も捨てられた赤ちゃんを見たことがあります」

　子供を捨てた人は、なにも「満州」（中国東北部）にいた日本人だけのことではない、と思うと複雑な気持になりました。


曾さんの母親の若い頃（右）

　3　父、母の無念をはらしにロンドンから top

　香港には、軍票補償要求をしている関係者にお会いする予定で五月六日シンガポールを発ちました。
　最終日の八日には香港を観光するというのでやや気持が浮いていました。
　しかし、訪問した香港索償（さくしょう）協会（戦争被害補償要求の全国的団体）の事務所でお会いした曾徳防（ザンダウフォン）さんの話は、そんな気持を吹き飛ばしました。
　シンガポールでの話とはちがい、曾さんの目の前で拉致（らち）された母親のことだったからです。


母の写真を手に曾徳防さん
　「日本軍の侵攻が始まったため、家族は沙田（シャーチン）の水坑口（スイカンコウ）村という田舎の親戚の家に避難しました。
　しかし、そこにも日本兵が三人やってきました。
　四一年一二月一七日のことです。母（劉佩莽＝リューベイフェン）は一六歳で結婚し、当時二八歳でした。
　この時母は六歳の私を日本兵から守るためにしっかりと抱いていました。
　日本兵は、母に銃剣をつきつけ、おびえる母をどこかに連れて行きました。
　そして母は、三日後に近くの海岸で乱暴されて死体となって発見されました。お腹には赤ちゃんがいました」

　曾さんのお母さんはとても美しく、そしてやさしい人で病弱の曾さんが病気の時など枕元で涙を流していた、とのことです。
　曾さんは、お母さんの写真を取出して見せてくれました。
　その写真をどんなに大切にし、お母さんを慕っているかが痛いほど伝わってきました。
　複写した一枚を提供してくれました。
　それは、言葉にはしなかったが、補償実現に協力してほしい、という願いを込めていたに違いありません。
　そしてもう一つ、最近亡くなった父が大事に保存していた軍票を見せてくれました。

　「これは、当時父が財産を処分した残りを日本軍が強制的に軍票に交換させたものです。
　それを父は、九三年まであきらめずに日本に補償要求を続けてきました。
　私はつい最近まで、ロンドンで中華料理店を経営しながら暮らしていましたが、現在はこの索償協会の事務所で仕事をしています。
　それは、軍票補償を果たせずに亡くなった父と、辱めを受けて虐殺された母の無念を晴らすためです」

　もちろん、曾さんも現在提訴しています。
　一度も感情を高ぶらせることなく、静かに語った曾さんの堅い決意に私たちの身は引き締まりました。

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