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9 地獄の火につつまれる東京

　一九四五年〔昭和二十年〕一月九日、アメリカ軍がフィリピンのルソン島に上陸後、日本の大本営は新しい作戦計画を含め、一月二十日に天皇の承認をうけ、日本本土の防衛作戦を指導することになった。
　この計画では、比島の日本軍は抵抗を続けて、米軍の日本の外郭防衛線への接近を遅らせる。また主外郭防衛線は、硫黄島から西に台湾に通ずる北緯二五度の周辺地域で、上海付近、朝鮮半島の南部、琉球列島などの防備を強化し、二月から三月の問に、これらを完了する。防備の重点は、琉球諸島の沖縄におくことと計画された。
　しかし、この防備計画の実施があまり迎まないうちに、この外郭線の東端が、二月十九日の米軍の硫黄島上陸で、くずれさってしまった。
　ところで、この二月十九日という日は、マリアナからのＢ29作戦の歴史においても重要な日であった。

1 焼夷弾攻撃に作戦変更 top 　この日、第二十航空軍司令部は、ルメイに新しい指令を発した。 　これは航空爆撃作戦のやり方を根本的に変更するもので“実験的”焼夷弾攻撃を、日本の航空工業爆撃よりも優先する、と定めたものであった。 　これを実行するために、爆撃兵団には、さらにトーマス・Ｓ・パワー准将の指揮するＢ29の飛行団が増強されることになった。 　数日後ルメイは、東京に最初の焼夷弾攻撃を加えることを命令した。 　二月二十五日、一七四機というこれまでにない最大の攻撃部隊が、厚い雲におおわれた東京に、高々度から四五〇トンの焼夷弾を投下した。 　この損害は相当なものであった。爆撃後の写真では、約二・六平方キロの地域が破壊されていた。東京警視庁の記録によると、合計二万七九七〇戸が破壊、焼失している。 　兵団はこの出撃で六機を失い、うち二機は日本機の体当たりによるものであった。

第三百十一爆撃兵団司令官 トーマス・Ｓ・パワー准将

2 爆撃よりも疎開で生産低下 top

　この昼間の空襲は、東京の中島飛行機工場を、もう一度ねらったものである。
　一五九機のＢ29は目標上空に到達したが、こんどもまた雲におおわれていたので、レーダーによって五〇〇トンの爆弾を投下した。
　煤煙がおさまってみると、中島の工場は、いぜんとして無傷のまま立っていた。
　この工場は、のべ八七五機のＢ29によって、八回の空襲をうけたのだが、わずか四パーセントが損害をうけただけで、その損害の大部分は、数週間まえの米空母艦載機の一回の攻撃によるものであった。
　三月四日の空襲の失敗によって、高々度精密爆撃は効果が少ないと結論された。
　米陸軍航空軍が優先目標に指定した日本の飛行機工場やエンジン工場で、完全に操業不能になったものは一つもなかったのである。
　戦後、アメリカの戦略爆撃調査団は、初期のＢ29作戦の失敗は、航空軍当局が精密爆撃の方針を固執したことによるとしていた。
　しかし、まえにも述べたように、初期の精密爆撃は有意義な間接的効果を生んだのである。
　この空襲によって、日本は航空機工業施設を疎開しなければならなくなり、機体やエンジンの生産や開発を、非常に遅らせることになった。
　たとえば、一九四五年のはじめには、日本陸軍も海軍も必死になって、来襲するＢ29と米艦隊に対してもちいる迎撃機開発に努力していた。
　これらの開発中の飛行機の一つに、ドイツのメッサーシュミットＭｅ二六二戦闘機を原型としたターポ・ジェットの海軍機があった〔海軍と中島飛行機が開発していた日本最初のジェット機「橘花」をさす〕。
　この機の実物大模型は一九四五年一月二十五日に完成した。
　しかし、この作業をすすめていた東京工場は、Ｂ29の攻撃にそなえて、東京郊外の仮工湯など、各所に疎開することになり、四月までは開発を再開できなかった。
　第一号試作機は六月二十五日に完成し、新しいエンジンをもった実験飛行は、日本が降伏する直前、八月七日に行われたのであった。
　このジェット機や、その他の新しい日本の飛行機が戦闘に参加したとしても、戦争の流れを変えることにはならなかったろうが、初期のＢ29の空襲が、約一〇〇の飛行機工場を抹殺したと同じ結果をうんだことは事実である。
　これらの作戦は“直接の航空攻撃によるよりも大きな生産上の損失”を与えたと戦略爆撃調査団は認めている。
　この航空工業瓦解の程度は、もちろん、アーノルド陸軍航空軍総司令官にも、ノールシュタット第二十航空軍参謀長にもわかるはずはなく、二人とも一九四五年三月以前には、Ｂ29はその当初の評判ほど役にたっていないのではないかと、心配しはじめていた。
　爆撃の成果が、全般的によくない理由については、すでに述べた。
　天候の悪いことは、つねにその原因の一つであった。
　ときには秒速八〇メートルにもおよぶ高空の風が、精密爆撃を困難にした。
　目標が雲におおわれてしまって、はっきり見えないことも搭乗員たちの腕がふるえない原因であった。
　爆撃する高度の高いこともまたＢ29の威力を減ずることになった。
　八〇〇〇メートル以上の高度で作戦するために、ガソリン消費量が多く、このために爆弾搭載量をへらさなければならなかったからである。
　この爆撃の成果のあがらない原因に、日本軍の反撃を加える必要もなかった。
　事実、一九四四年十一月から翌年三月までの出撃で失われた七八機のＢ29のうち五三機は機械的（大部分がエンジン）の故障によるもので、日本軍の反撃によるものではなかった。

3 爆撃戦術を夜間低空に top

　さて第二十一爆撃兵団のルメイ将軍は、三月初旬、部下の各飛行団長や幕僚だちと、部隊の状況や日本をさらに強力に攻撃する方策を検討したときに、戦術に大きな変更を加えた。
　彼は、つぎの出撃では、爆撃機から機関銃と弾薬、射手をはずし（後部銃座の射手だけは見張員として残した）機体を軽くして、焼夷弾の搭載量を増やすことにした。
　さらに攻撃は夜間とし、高度一五〇〇〜二八〇〇メートルですることを提案した。
　攻撃部隊は編隊でなくて各個に進入する。そして目標地域まで先導機が誘導し、この機が爆撃の開始を指示することにする。
　第三百十四飛行団司令官のパワー将軍、参謀副長ジョン・Ｂ・モントゴメリー大佐やその他も、ルメイの計画に賛成した。
　しかし、予期されたことではあったが、ある中隊の歴史に書かれているように、「それは搭乗員たちには、相当な不安をいだかせた」のであった。
　高々度爆撃の安全さに慣れてきた搭乗員にとって、日本軍の高射砲のいいマトになるのではないかと、の心配であった。
　しかし、ルメイはすでに日本軍の対空砲火による損害は、さほど大したものではないと、たかをくくっていたのである。
　日本軍の対空射撃は、中高度や低空ではそんなに効果的でないこと、また日本軍は夜間戦闘機をあまりもっていないことを説明した。
　しかし、彼も危険を感じていないわけではなかった。
　自分が相当に危険なことをしようとしていることを知っていた彼は、この作戦についてワシントンに報告することを遅らせ、全責任を自分で負うことにした。

　爆弾投下のちょっとまえに強風がおこって火炎をあおりたてた。
　後続のＢ29部隊がこの上空に達して爆弾を投下するにともなって各所に火災がおこった。
　風は秒速一二・五メートルにもなり、火の粉をあげて燃えさかる火災は、みるみるもえ広がっていった。
　各所の火災は、すぐに一緒になって大きな火炎のかたまりとなり、激しく燃えあがって、目標にちかづこうとする爆撃機は、六〇キロも離れたところから、この光がみえるほどであった。
　遅れて到着したＢ29は、大きな煙の実のなかを飛ぶこととなり、機体や銃座はススで黒くなった。
　爆弾倉の扉を開くと、木造建築の燃えるにおいが飛行機のなかまではいりこんできた。
　この大火災は激しい乱気流をおこし、数機のＢ29が一瞬のうちに数百メートルも空に吹きあげられることもあった。
　搭乗員たちは、その座席からほうりだされ、機体に激しくぶつかって、ヘルメットのおかげであやうく大ケガをまぬがれるという始末であった。

　都の中心部の上空である。燃えるような雲を背景に、国会議事堂が真っ赤な空に黒くそびえてみえる。
　東京は日の出のように明るかった。
　煙の雲、煤煙、突風にふきとばされる火の粉がこの都市の空をとびちっていた。
　この夜、我々は、東京の全部が灰になってしまったと思った……」
　この三月十日の空襲は、戦争の歴史はじまっていらい、交戦国の国民が体験した最も大きな惨害の一つであった。
　一夜のうちに、Ｂ29は東京の中心地約四二平方キロの地域を破壊した。
　この首都の建物全部の二五パーセントちかく、二六万七一七一戸の建物が焼きはらわれた。
　被災者は、熱が非常に強く、火がくるまえに一〇〇メートルも先が炎を吹くほどであったと述べている。
　コンクリートの建物も、燃えやすいものは全部もえてしまい、原形をとどめなくなってしまった。
　死傷者もばく大な数にのぼり、この夜の死者の数は、広島や長崎の原子爆弾で死んだ人たちよりも多かったのである。
　警視庁の集計した数字によると、八万三七八三人が死亡し、四万九一八入が負傷し、百万人以上の人たちが家を失ったのである。
　黒こげになった死体を全部かたづけるのに二五日もかかった。
　この攻撃で失われたＢ29は一四機で、そのうち少なくとも一機は日本の高射砲によって撃墜され、墜落して大爆発をおこしたのがみられた。
　五機の爆撃機は海に墜落したが搭乗員は救助部隊にすくわれた。
　この攻撃の一八時間後、小磯総理大臣は、ラジオを通じて“最も残酷、野蛮なアメリカ人”を非難し、日本国民に対してはＢ29の爆撃は、さらに激化するであろうと警告した。
　彼はまた、米国は日本本土の上陸を計画していることを力説した。

7 最短期間に最大の損害 top

　一方、ワシントンでは、数日後にノールシュタット将軍は記者会見で、この五回の空襲が日本に与えた打撃は、今迄こんな短い期間のあいだに“どの国民に与えたものよりも、一番大きなもの”であると述べた。
　合計して、日本の四つの重要な都市の密集地帯の八〇平方キロという広大な地域が破壊された。
　この焼夷弾攻撃は、日本の戦力を支えている小さな家内工業を全滅させるためのＢ29作戦の“初期の段階”にしかすぎないと述べた。
　彼は、ルメイが“高々度を飛べる「超空の要塞」を、低空を飛ばせることで短時間に多くの爆弾を投下するようにした作戦的聡明さ”にとくに賛辞をおくった。
　日本の家内工業は全く破壊されてしまった。日本の航空機部品生産の二二パーセントは東京、大阪、名古屋の工業地区に密集している下請け業者に依存していた。
　これらの規模をみると、従業員一〇人の店から、二〇〇〇人の工場にまでおよんでいる。
　日本の当局者はのちに、この空襲で中小工業に与えられた損害が“生産に重大な損失”をもたらしたことを明かにしている。
　三月の末までに、第二十一爆撃兵団は、完全に焼夷弾を使いはたしてしまった。
　約三ヵ月は、焼夷弾攻撃は行われないことになるのである。