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11　ヒトラーの大復讐

　七月二十一日の夜明け方、ゲッペルスの邸宅では、電話がまだ鳴り続けていた。
　容疑者が次々に連行されてきた。
　また、フロムやヘルドルフのように自分から進んでやってきた者もいたが、彼らは表面上、捜査を助ける報告をして、自分は陰謀に無関係であると身の潔白を証明できるかもしれないと期待していたのである。
　ゲッペルスは、フロムを逮捕したのだが、シュペーアによれば、ゲッベルスは、まえからフロムを憎んでいたという。

1 ゲッベルス鎮圧を自賛 top

　ゲッペルスは勝利感を味わうとともに、危険な反乱を独力で鎮圧した、たくみな自分の手腕に酔いしれており、ヒムラーが、やっとラシュテンブルクから到着したとき、ゲッペルスはこの点をふきまくったのである。
　ヒムラーは、夕方遅くベルリンにむけ空路出発し、夜中に電話でたたきおこされないように注意した。
　彼はラングスドルフ飛行場に着陸するのさえ避け、べつの飛行場に到着した。
　ヒムラーは、ゲッベルスが、陰謀者たちのシロウトじみたやり方を、こきおろすのを、我慢して聞いていた。
　「なんというバカな奴らだ。ベルリンで最も危険な敵であるこの私をほったらかして、しかも総統と自由に電話させておくなんて。全くなんのジャマもしないで、反撃を自由に計画させておくなんて」
　陰諜者のなかで、ともかくゲッペルスに称賛されたのは、シュタウフェンベルクだけであった。
　ゲッベルスとヒムラーは、朝四時に握手をして別れた。
　ゲッベルスはいった。
　「クーデターは終った。それは、まるで雷雨のように、空気を清めた」

　午前三時、クリューゲ元帥の命令をうけ、シュツルプナーゲルの指揮権を引きつぐために、ラロシュ・ギュイヨンから、ブルーメントリット参謀長がパリに到着した。
　ブルーメントリットは、ただちにシャンパン・パーティに出席するよう招かれた。
　パーティの席で、シュツルプナーゲルとオベルクが一緒に飲んでいるのをみて、プルーメントリットは口もきけないほど驚いた。
　西方軍総司令部の将校たちは、その日の事件を、できるだけ隠してかこうとし、またその償いをしようと決心していた。
　いずれにせよ、彼らは占領地区にいるドイツ人であり、少なくとも団結しているように見せかけなければならなかった。

3 シュツルプナーゲル自決に失敗 top

　クリューゲもシュツルプナーゲルも、自決を覚悟していた。
　シュツルプナーゲルは、シャンパン・パーティをぬけだして、マジェステイック・ホテルの自室に戻り、証拠になりそうな書類を焼きすてた。
　秘書のポデウィルス伯爵夫人は、二十一日の朝八時に事務室にきたとき、彼がそこにいるのをみて驚いた。
　九時に、シュツルプナーゲルは、カイテルからベルリンにくるよう召喚された。
　彼は、はやめの昼食をとったあと、自動車で出発し、午後遅く、一八七〇年の前仏戦争いらいの古戦場セダン〔フランス北東部〕のほうへ迂回するよう運転手に兪じた。
　ここはシュツルプナーゲルの連隊の将兵が戦死した場所でもあった。
　彼は車からおりて歩いていき、自決をはかった。
　シュツルプナーゲルは、そのあたりに出没するパルチザンから撃たれて負傷したものと考えられていたが、川に浮かんだ彼は、意識を失ったまま引きあげられ、運転手がベルダンの陸軍病院に運んだ。
　弾丸は右のコメカミ付近で頭をつらぬき片方の目を吹き飛ばしていた。
　応急手術と輸血で一命をとりとめたが、憐れにも、その月末ベルリンで行われた裁判を、同志とともにうけねばならなかった。

4 クリューゲ毒をあおぐ top

　クリューゲは最初、七月二十日のシュツルプナーゲルの行動についての報告をヒトラーにおくり、自分がクーデターとなんの関係もないと立証しようとした。
　しかしこれは、ナチとクーデター支持者の双方から、ますます深い疑惑の目でみられただけであった。
　すっかり悲観して、クリューゲはフランスでおこった全責任が、自分の肩にかかっていると感じはじめた。
　三週間後、後任の西方軍総司令官として、ワルター・モーデル元帥が、クリューゲの正式解任状を手にしてドイツ本国から到着した。
　ヒトラーは、よくやる手だが、クリューゲに、解任されたことやドイツで訊問が待ちうけていることを、わざわざ知らせたりはしなかった。
　連合軍の砲声が、ラロシュ・ギュイヨンにちかづくのをききながら、クリューゲは八月十八日、自動車でドイツにむけ出発した。
　クリューゲは、途中、木陰で昼食をとりながら毒をのんで生命を断った。
　はるか東部戦線にいたトレシュコウは、七月二十一日の日の出とともに死ぬ決心をした。
　シュラブレンドルフは、トレシュコウに、容疑者になっているかどうか判明するまで待つよう説得したが、無駄だった。
　トレシュコウは車にのって前線ち隠までいき、独ソ両軍の最前線の中間の無人地帯に歩いていった。
　ここでソ連軍の銃弾で戦死したように見せかけようとした。
　彼は空中に数発発射したあと、手榴弾で自決した。
　彼が見のがされるようなことは、ほとんどありえなかったであろう。

5 たすかったシュラブレンドルフ top

　シュラブレンドルフは、召喚がくるのを待ちながら、じっとその職にとどまっていた。
　召喚命令は八月十七日にきた。彼は同志の例にならい自決しようとしたが、ある見えない強い力が、彼を引きとめた。
　シュラブレンドルフは、ヒトラーの生命をねらった二つの重要計画の一つに直接関係しながら、恐ろしい日々を生きのびることのできたただ一人の陰謀者であった。
　シュラブレンドルフは、ベルリンのゲシュタポ本部のあるプリンツ・アルブレヒト街の悪名高い刑務所に監視つきで連行された。
　陰謀に加担した他の連中のうち、フェルギーベル〔陸軍通信隊司令官〕とシュティーフ〔総統大本営総務〕は、ラシュテンブルクの総統大本営ですぐ逮捕された。
　また暗殺事件後数日たって、ホーファッカー〔シュタウフェンベルクのいとこで、パリの陰謀の中心人物〕とフィンク〔西方軍幕僚・大佐〕がパリでまず逮捕され、裁判のためドイツに移送された。
　ウィッツレーベン元帥は、さきにのべたように、国防省にはあまり長くいなかったが、クーデター成功の見込みがなさそうに思えたので、急いでベルリンから約八〇キロ離れた友人の家に、夜十時どろ帰ってきた。
　彼はにがにがしげにいった。
　「明日は首斬り役人がやってくるだろう」
　ウィッツレーベンは、七月二十一日の正午に逮捕された。

　ゲルデラーはついに八月十二日、彼の家族と知りあいの一婦人によって発見され、林のなかに逃げこもうとしているときに逮捕された。
　のちにこの婦人は、自分のしたことをひどくくやみ、ヒトラー自身から授与された賞金にも全く手をつけなかった。

7 幸運な逃亡者 top

　陰謀に密接に関係していたもののうちで、なんとか逃げることのできたのは、ごく少数であった。
　ベルリンのベントラー街で陰謀に関係した若い将校のうちで、フリッチェは現場から逃れて、ポツダムの自宅へ帰る最後の列車に乗ることができた。
　ハンマーシュタインも逃げたが、隠れていなければならなかった。
　不幸にも、クライストは逮捕され、デリア・ツィーグラー女史〔シュタウフェンベルクの秘書〕は、厳しい訊問をうけねばならなかった。
　ゲシュタポが探していたギゼビウス〔民間人で、シャハトの側近、スイス駐在ドイツ領事館員〕は冬中夏服を着たまま、ひどい風邪に苦しみながらベルリンに隠れていた。
　彼は翌年一月、偽造した書類をもって国境をこえ、やっとスイスヘ逃れた。
　ルフトハンザ（ドイツ航空会社）の法律顧問をしていたオットー・ヨーンは、七月二十四日マドリード行きの飛行機で、なんの苦もなくドイツを脱出した。

8 秘密書類金庫あく top

　九月二十二日、陰謀者たちにとってさらに苛酷な一撃がくわえられた。
　ツオッセンの陸軍総司令部にあったドーナニーの秘密の金庫が、ゲシュタポの捜査官で、はじめドーナニーを逮捕したゾンデレッガーの面前で、錠前屋の手で開かれたのである。
　その中には陰謀者を罪におとしいれることのできる書類が、まだいっぱいつまっていた。
　これらの文書によって国防軍諜報部の陰謀の罪状は、白日のもとにさらけだされた。
　まだ逮捕されていなかったもの――とくに、カナリス〔元国防軍諜報部長官〕と、オスター〔元国防軍諜報部次長〕――が、すぐさまプリンツ・アルプレヒト街のゲシュタポの監房にいれられ、そこに収容されていた著名人たちの仲間にくわえられた。
　これらの人たちは、ゲルデラー、ミュラー〔カナリスの友人、弁護士〕、それに七月二十八日、ゲシュタポに捕まったハッセル〔元イタリア駐在ドイツ大使〕などであった。
　また国防軍諜報部の連中と密接な関係にあったシュラーダー〔大佐。秘密書類をあずかった〕は、自決の道をえらんだ。

9 悪名たかきフライスラー裁判長 top

　ヒトラーはできるだけすみやかに苛酷な訊問を行い、そのあとただちに、一連の“見世物”裁判をやる決意をした。
　カルテンブルンナー〔国家保安本部長官〕が、証拠集めの責任を負わされた。
　一方、訊問官と当局者の大チーム（ある段階では四〇〇人にもなったという）は、フッペンコーテンが指揮することになった。
　裁判のための膨大な記録文書の山が戦後も残り、これはカルテンブルンナー文書という名で知られている。
　合計約七〇〇〇人が逮捕され、訊問をうけたといわれているが、昼も夜も続けられた最も激しい訊問の時期は、一九四四年の七月末から九月にかけてであった。
　裁判は、悪名高い人民法廷のローラント・フライスラーが裁判長になって、八月七日にはじまったが、それは総統にかわって、公然と復讐する、懲罰的で、侮辱的なものであった。
　この裁判の結果、少なくとも約二〇〇人が処刑された。
　ヒトラーは、自己の支配にたいする反抗の程度があまり大きいのに肝〔きも〕をつぶすほど驚き、法廷に多くの証拠をだすのを禁止した。

10 ゲシュタポ式の残虐な訊問 top 　訊問は、注意ぶかく研究されたゲシュタポのやり方に従って、さまざまな脅迫がくわえられた。 　軍事事件は、元来軍法会議が取り扱うものであるから、この事件を取りあげるのは、ゲシュタポにとって、いずれにせよ合法なものではなかった。 　しかし囚人になっている軍人は、すべて階級を剥奪されており、法廷に出頭するときは、身体にあわない、なんともいいようのない平服を着せられていた。さらにわざと屈辱をあたえるために止め金のないズボンをはかされていた。 　まぶしい照明の下で行われた裁判は、フィルムにとられ録音された。 これはもともとヒトラーの個人的な希望であり、処刑の模様もフィルムにとられた。 　ゲシュタポは、囚人になんでも好き勝手なことができた。 　しかしテーゲル軍刑務所に監禁されている人たちは、プリンツ・アルブレヒト街の壁の中でゲシュタポの手中にある人たちよりは、まだましであった。 　ゲシュタポに逮捕された大部分のものは、部屋の中で数珠〔じゅず〕つなぎにされ、飢え、またたえず強烈なライトをあてられて、睡眠不足になっていた。 彼らは、昼夜をとわず、訊問官が好きなときに、いつでも呼びだされて、長くたえまのない訊問をうけるのであった。

手錠をかけられ、監房に連行されるシュティーフ将軍。裁判の結果死刑を宣言された。

   （中略）

　心身とも弱った状態にあったので、彼は苦難を回想しながら、平静をうしなって法廷で泣いた。
　シュラブレンドルフは無罪を言い渡されたが、あまりにも知りすぎていたので、釈放されなかった。
　三月末、シュラブレンドルフは、フロッセンビュルクの強制収容所につれていかれたが、ここで処刑されることになるだろうと確信した。

18 終戦を前にして処刑 top

　毎朝六時、囚人たちは処刑のために男女とも裸にされて連行された。
　フロッセンビュルクは、ナチの目に反逆者とうつった囚人たちの大部分が集められた最後の場所であった。
　戦争は終局をむかえ、解放をつげる砲声の響きが、しだいにちかづいていたが、国防軍諜報部の陰謀者たちはフッペンコーテンによって、収容所の洗濯場で行われた略式軍法会議の結果、四月十日、全員処刑された。
　ポンヘファー、カナリス、オスターは、夜明けまえ裸にされ、絞首刑のためにつれだされた。
　またプリンツ・アルブレヒト街のゲシュタポの建物に監禁されていたドーナニーは、短期間だが病院で治療をうけることになったが、その後四月はじめ、突然担架でザクセンハウゼンの強制収容所に移された。
　彼はここで担架によこたわったまま、フッペンコーテンから“軍法会議”で死刑を宣告され、国防軍諜報部の親友たちより一日早く、四月九日にザクセンハウゼンで処刑された。
　二日後、シュラブレンドルフはダッハウの収容所へ移された。

20 犠牲者にカナリス、オスターら top

　しかし、残りの人たちはすべて死んでしまった。
　そのうちの主な人は、ベック、カナリス、オスター、オルブリヒト、ゲルデラー、ハッセル、シュツルプナーゲル、シュタウフェンベルク、トレシュコウ、トロットなどであった。
　この人たちは、ほかの約二〇〇人の人々とともにヨーロッパと世界をヒトツーから解放しようと計画して死んだのである。
　ペーター・ヨルク伯は、処刑前に妻にあてた遺書のなかで、有名、無名をとわず、非運に倒れた同志にかわって、つぎのように記している。