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9　とまどう反乱軍本部

　午後四時ごろ、シュタウフェンベルクはラングスドルフ飛行場に着陸したが、予定よりも約三〇分早かった。
　しかし、飛行場には、二人を国防省まで運ぶ司令部の車が待機していなかった。
　二人は心配げにベントラー街の国防省に電話をかけた。
　そして“ワルキューレ”作戦発動の合図がやっといま送られたこと、フェルギーベルが電話してこなかったことを知った。
　シュタウフェンベルクは驚いて、身の安全を配慮するのも忘れて「ヒトラーは死んだ！」とさけんだ。
　シュタウフェンベルクは、飛行場で軍の自動車を徴発し、全速力で国防省にむけて走らせた。

1 優柔不断のフロム元帥 top

　オルブリヒトは、シュタウフェンベルクの声の響きと、総統が実際に死んだという保証に力をえて、いまや決起の任務を、あっさりフロム元帥に渡そうと決意した。
　フロムは、ヒトラーが倒され、それが自分の利益になることが絶対確実になったら陰謀に加担する男であると、オルブリヒトは見ぬいていた。
　フロムは、オルブリヒトの話を、むっつりと疑わしげにきき、一体、このニュースをどんな筋からえたのかと訊ねた。
　「フェルギーベルの筋から、総統が死んだと伝えてきました。
　このような情勢から、国民軍各司令部に“ワルキューレ”作戦開始のための合図を送りたいと思います」
とオルブリヒトは、つよく提案した。
　しかし、フロムは、そんなに急ぐことはない、とまっこうから反対した。
　また、命令をだす用意をする前に、カイテルの確認をえたいといった。
　シュタウフェンベルクのよろこびいさんだ声が、まだ耳もとにのこっているオルブリヒトは、いずれにせよ、ラシュテンブルクからの電話の応答は不可能であると信じながら“大至当”で電話を申しこんだ。
　驚いたことに、電話はすぐにカイテルに通じた。
　「大本営でなにがおこったのですか。ここベルリンでは、とんでもない噂が流れていますが！」
とフロムは訊ねた。
　「なにがおこったかだって？　こちらは万事平常どおりだ」
　「総統が暗殺されたとの報告をうけとったのですが……」
　「ナンセンス。総統の生命をねらう計画があったことは事実だが、幸いにも失敗した。
　総統は生きており、ほんのカスリ傷を負っただけだ。だが、君の参謀長のシュタウフェンベルクはどこにいる？」
　「シュタウフェンベルクは、まだ帰ってきていません」
　電話が終ったとき、フロムはオルブリヒトに“ワルキューレ”作戦を発動する必要はないと、ぶっきらぼうにいった。
　オルブリヒトは、びっくりした。
　カイテルが嘘をついているとしか思えなかった。
　彼は困惑しながら、部屋をでていった。
　フロムは“ワルキューレ”作戦の命令がすでに発令されているのを気づくのに、そう時間はかからなかった。

　しかし、国防軍最高司令官に予定されていたウィッツレーベン元帥は、なかなか到着しなかった。
　ベックは、それを非常に気にしていた。
　シュタウフェンベルクは、パリのシュツルプナーゲルに、ヒトラーの死といううれしいニュースをつたえるために個人的に電話をかけ、シュツルプナーゲルの副官ホーファッカーと話し、シュツルプナーゲルが、現段階での主要任務であるＳＳとゲシュタポの指導者を逮捕する措置をすすめても大丈夫であるとのべた。
　それからヘルドルフ〔警察長官〕とギゼビウスが到着した。
　ヘルドルフは「いよいよ開始だ」とさけび、元気いっぱいだった。
　シュタウフェンベルクは、少なくともエネルギーを発散させているようにみえた。

3 ベック将軍の不安消えず top

　ベックは、ヒトラーがラシュテンブルクで生きていて、元気だというカイテルの話に不安を感じていた。
　オルブリヒトは「カイテルは嘘をついているのだ」と主張した。
　しかし、ベックは、これらの疑惑を計算にいれて、この点をヘルドルフがハッキリ確認しなければならないと強調した。
　ベックは、もし公式発表があれば、ナチ指導者がとる態度は、カイテルのいう線になるだろう、といった。
　いまや、クーデターを開始せよ、という命令が、パリ、ウィーンをふくめ各地の司令部におくられているので、ラシュテンブルクの総統大本営も反撃態勢をとっているに違いないと思われた。
　しかし、シュタウフェンベルクは、ヒトラー死亡に疑問をさしはさむ余地はない、と同志を説得した。
　「私は、すべてのことをこの目でみた。
　私はフェルギーベルと一緒に立っていた。
　爆発は一五〇ミリ砲弾が兵舎に命中したようなもので、だれひとり生きのびることは不可能である」
とシュタウフェンベルクは強調した。
　ベックは、このシュタウフェンベルクの言葉を受入れた。
　しかし、彼が深く懸念していたのは、相手側がヒトラーはまだ生きているとよそおおうとすることであった。
　そうなると、軍やドイツ国民にとって、問題の所在が混乱してしまう。
　これは、クーデターの結果を左右するような、疑惑と困難をもたらすことにもなる。
　ベックはまた、作戦の開始が非常に遅れているのを心配していた。
　たよりにしていた国民軍部隊の多くは、ベルリンの中心部にたっするまでに、かなりの距離を移動しなければならない。
　これらの部隊が有効に活動できるようになるのは、早くてもせいぜい夕方の五時から六時のあいだと思われた。

4 放送局まだ占領されず top

　一方、各省や放送局のような重要施設は、まだ抵抗運動派によって占領されていなかった。
　ギゼビウスは、とくに放送局が占領されていないのを、はじめから心配していた。
　ドイツ国民にたいするベック将軍の最初の呼びかけは、この時間までに放送されていなければならなかったのだ。
　また国防省には、ハッキリした危険の源泉、フロム元帥がいた。ギゼビウスは、もしフロムが参加しなければ、射殺すべきだという意見だったが、シュタウフェンベルクは、このような提案にすべて反対した。
　“ワルキューレ”作戦の命令が下達され、部隊がベルリンにむかって進んでいる（と希望されていたが）五時ごろ、シュタウフェンベルクとオルグリヒトは、若いクライストとヘーフテンをつれて、フロムと対決するために出かけていった。

　ムソリーニ（すでに完全に没落していたのであるが）は、ヒトラーの“奇跡”の証人にならなければならなかった。
　「神はあなたのうえに、守護の手をさしのべられた」とムソリーニはおごそかにいった。
　それから二人は、軍事情勢（これはあまり奇跡的といえないが）を討議するためにたちさった。
　五時に一行は、ティー・パーティの席についたが、お茶の接待は白い手袋をはめたＳＳのボーイによって行われた。

6 国民軍総司令官にヒムラー top

　さて、ヒムラーの調査は、しだいに事態を明確にし初めていた。
　ＳＳの専門家たちは、ベルリンからラシュテンブルクにむかいつつあったが、その飛行機は、ベルリンにむかっていたシュタウフェンベルクの飛行機とすれちがっていたのであった。
　午後遅く爆発現場で調査していたヒムラーとＳＳの将校は、事件を狂気じみた将校の単独行動にすぎないと確信した。その将校こそ、あの片目、片腕のシュタウフェンベルク大佐であると確認した。
　ヒムラーは電話で、シュタウフェンベルクの逮捕を命じた。飛行場にいなければ、ベントラー街にいけと命令した。
　しかし、ヒムラーの命をうけて、シュタウフェンベルク逮捕にむかったＳＳのピフレーダー大佐の自動車は、ラングスドルフ飛行場にむかう途中、ベントラー街の国防省へ急ぐシュタウフェンベルクの車とすれちがってしまったのである。
　さて、ラシュテンブルクの総統大本営でも“ワルキューレ”作戦が発動されたという情報がキャッチされた。
　総統を殺害しようとした一人の男の背後に、にくむべき陰謀がひそんでいることが明らかになった。
　このため、ヒムラーはベルリンにいくよう、ヒトラーから命令された。
　ベルリンでおこっている変事に責任をもたなければならないからだ。
　ヒトラーは、国民軍総司令官のフロム元帥が、なんらかのかたちで、この陰謀に加担しているのではないかと疑い、ヒムラーをフロムのかわりに国民軍総司令官に任命した。
　こうしてＳＳ長官ヒムラーは、軍司令官になりたいという生涯の希望をかなえることができた。
　彼はつねづね軍人になりたいと望んでいたのだが、いまや突然、七月二十日のお茶の時間に、戦場で一日も戦ったこともなく、青年時代にさえ軍隊に一年もいたこともない男が、軍司令官になったのである。

7 ヒトラーの激怒 top

　さて、ティー・パーティは、精神病院の観があった。
　中央のテーブルに、ヒトラーは主賓のムソリーニ、ナチ・ドイツ首脳とともにすわった。
　彼らはあらそってヒトラーに賛辞を奉げた。
　ヒトラーは将校たちにたいして、たとえ総統暗殺を積極的に計画しなかったとしても、戦場で勝ちほこる敵を前にして背後から総統を剌そうとしたものである、とあたりちらした。
　また彼らは、ひとりひとり順番に、ヒトラーに二心がないこと、ナチ党と国民が総統の背後に団結していることを保証した。
　それから、一種のヒステリー症状とでもいうべき現象がおきた。
　彼らはだれも爆発の瞬間に、会議室に同席していなかったのだが、互いに非難しはじめた――
　デーニッツはゲーリングにたいし、ゲーリングはリッペントロップにたいし、そしてリッペントロップはゲーリングにたいして文句をならべたてた。
　ムソリーニがいるのも忘れて、彼らは互いに言い争っていたが、それが最高潮にたっしたとき、ヒトラーがスター役者のように立ちあがり、怒りをぶちまけて、一瞬のうちにあたりを沈黙させたのである。
　ヒトラーの瞳は憤怒で燃えていた。
　「神意と私に、あえてそむいた犯罪人たちを、たたきつぶしてやるつもりだ。
　国民にたいするこれらの裏切りものは、最も不名誉な死がふさわしい。
　それを奴らにあたえてやろう。
　今度こそ、これに関係したすべての奴ら、またその家族、奴らを助けたすべてのものに、情け容赦なく、たっぷり礼をさせてもらうぞ。
　わがドイツの栄光をけがそうとしたマムシどもの巣は、徹底的に根絶しにしてくれよう」
　ムソリーニは、威厳をたもっていたたった一人の人物であった。
　おそらく、失うべきものをもはや持っていなかったからであろう。
　彼は立ちあがり、別れを告げ、自分の列車へ戻っていった。
　ムソリーニはその後、再びヒトラーに会うことはなかった。
　二人とも、一年たらずのうちに死ぬ運命にあったのである。

8 反乱軍、フロム元帥を監禁 top 　ほとんど同じころ、フロムは部下のシュタウフェンベルク参謀長と、オルグリヒト補給本部長を非難するため椅子から立ちあがった。 　シュタウフェンベルクは屈服せず、フロムに 　「私はラシュテンブルクで暗殺を目撃した。カイテルは嘘をついているのだ」と言った。 　オルブリヒトが割ってはいり 　「“ワルキューレ”作戦が、もう二時間以上も前に発動されている。 　それは国内不安に対処するためである」と述べた。 　フロムは激怒してゲンコツで机をたたき、許可もえずに、自分の名前を使って、あえて命令を発した男の名を知りたいとつめよった。 　オルブリヒトは、それはメルツ・フォン・キルンハイム大佐であると告げた。 　キルンハイムは呼びだされたとき、ただちに自分が命令した、と認めた。

“ワルキューレ”作戦を発動させた国民軍のメルツ・フォン・キルンハイム大佐。陰謀の中心人物であった

　フロムはキルンハイムを逮捕させようとしたが、そのときシュタウフェンベルクが助けにはいり、フロムに
　「ラシュテンブルクで事件をおこしたのは、この私だ」と叫んだ。
　「総統大本営の会議の席で、私が爆弾を爆発させた。
　部屋にいたもので生残ったものはだれもいない」
　フロムはシュタウフェンベルクをじっとにらみつけ、
　「暗殺は失敗した。お前は自決せよ」と大声で怒鳴りつけた。
　しかしフロムは、陰謀者の一団と相対しているのに気がつくと、全員を逮捕すると脅かした。
　オルブリヒトがさけんだ。
　「逮捕するならしてみろ。いま権力をにぎっているのは、我々だ。我々のほうで逮捕するぞ」
　フロムは強情に抵抗しようとしたが、ヘーフテンとクライストに、ピストルを太った下腹に押しつけられたので、あきらめた。
　フロムは副官室に連れ込まれ監視された。

9 三人の国民軍総司令官 top

　一方、ヘップナー将軍は、オルブリヒトの化粧室で、もってきた軍服に着がえた。彼は、いまや正式に国民軍総司令官に任命されたのである。
　同じころヒムラーは、飛行機でベルリンにむかう用意をしていたが、ヒトラーに、国民軍総司令官に任命されたという証明書を求めた。
　従って、七月二十日の夜には、自分が国民軍総司令官だと思っている三人の男〔フロム、ヘップナー、ヒムラー〕がいたわけである。
　総統大本営では、ドイツをいまなお支配しているヒトラーのこの更迭措置を、国防省に通告する必要があるとはだれも考えてないようにみえた。
　ヒムラー同様、注意ぶかい男であったヘップナーは、任命を書類にしておくことが大事だと思っていた。
　そこで、午後七時半、ウィッツレーベン元帥が、気むずかしい面持ちで国防省に到着したとき、ヘップナーは、国防軍最高司令官に就任したこの元帥から、同様の任命書をえたのである。
　こうして、ヘップナーの名前は、反乱軍の本部から発せられる命令に、ウィッツレーベン、ベックとならんで使用されることになった。
　ヘップナーは、ものすごく几帳面な男だったので、副官室に監禁されている前任者フロム元帥に気をくばり、十分な食物とワインをさしいれることを約束した。
　しかし、かれとしては、フロムをよく監視するのに気をくばったほうがよかったかもしれない。
　フロムと足を負傷していた副官は、監禁されているつづき部屋の後方に、べつの扉が警戒されないままになっているのをみつけ、監視の目をぬすみ、国防省の他の連中と連絡をとるのに成功したからである。
　午後四時四十五分ごろ、戒厳令が布告され、五時三十分から六時までのあいだに、問いあわせがナダレのようにはいってきて、オルブリヒトとシュタウフェンベルクは、電話から電話にとびあるき、質問に答え、迷っているものを激励し、疑っているものや新軍事政権に反対しそうなものをおだてたり、すかしたりするのに息つく暇もなかった。
　クーデターの本部は、フロムの部屋に移動した。
　ここのほうがもっと居心地がよく、非常事態に対応できる設備も整っていた。
　外部からの電話の呼びだしも、ほとんどフロム個人にむけられていたからでもあった。
　ベックは、個人的にパリにいるシュツルプナーゲルと話をしたが、これはシュツルプナーゲルにとって、この日、反乱者と行った最初の直接接触であった。
　最もこれより先、シュタウフェンベルクが、ホーファッカーに電話連絡をとってはいたが。
　シュツルプナーゲルは、ベックを支持すると約束し、さらにツロシュ・ギュイヨンの司令部にいるクリューゲ元帥と、直接話しあうよう求めた。
　ちょうどその司令部に、ブルーメントリット参謀長が、フィンクからえた重要なニュースをもって急いでいた。

10 反乱軍本部にＳＳ現われる top

　ベントラー街の騒ぎのまっただなかに、ＳＳのピフレーダー大佐が、二人のＳＳ隊員をつれて到着した。カカトをカチンとならし、ナチ式の敬礼をしたあと、国家保安隊長〔ヒムラー〕の命令にもとづき、シュタウフェンベルク大佐と個人的に話さなければならないと主張した。
　ギゼビウスは、これがゲシュタポ攻撃の前ぶれになるかもしれない、とおそれた。
　そこにいた連中のなかで、かれだけがピフレーダーのおそるべき評判を知っており、この侵入者に気がるに会おうとしたシュタウフェンベルクに、なんとか警告をあたえることができた。
　シュタウフェンベルクもよく心得て、フリッチェ、クライスト、ハンマーシュタインをつれていき、まもなく帰ってきて、ギゼビウスたちに、ゲシュタポの連中を逮捕したといった。
　フリッチェによれば、ピフレーダーは、彼らをののしり、無礼なふるまいをしたという。
　「なぜ撃だなかったのだ？」とギゼビウスはつめよった。
　シュタウフェンベルクは、あとで彼らと取引きしようと考えていたのである。
　しかしギゼビウスの懸念はたかまった。
　ベルリンの行政地区をずっと前に包囲することになっていた部隊は、どこにいるのか。
　新政権の名前で、だれが放送局をおさえているのか。
　ゲッベルスやカルテンブルンナー、ゲシュタポ長官ミュラーを連節するか暗殺したものがいるのか。
　だれも、フロムとオルブリヒトの事務室以外で、なにがおこっているのか、十分に知らないようにみえた。
　なぜ国防省のなかで、小部隊を編成し、少なくとも、ゲッベルスを処理し、放送局を接収できなかったのか？
　シュタウフェンベルクもオルブリヒトも電話にいそがしくて、これらの基本的な問題に注意をはらう暇がなかったのである。
　陰謀者たちは、命令が着々と実行されているものと、簡単に考えていたが、現場では混乱がおこり、本拠のベルリンはもとより、地方でも大混乱におちいっていた。
　しかも、ベルリンでは、陰謀者たちは、最初のおそるべき相手――ゲッペルスに直面しなければならなかった。

11 ゲッベルス手を打つ top 　ヒトラーは午後五時どろ、ゲッペルスに電話をかけ、ある種の軍事クーデターがベルリンでおこりそうだと警告し、また殺されたという噂をうちけすために、みすがら放送する必要がある、とのべた。 　ヒトラーは、適当な声明文の作成とその伝達をゲッペルスの手にゆだねた。 　ゲッペルスは、午前中ずっと自宅にいるつもりだったので、この命令にとりかかる前に、若い軍需相のシュペーアを自宅によんだ。 　シュペーアは、ゲッベルスが「この重大危機に、君の助言と援助がほしいのだ」といったが、その本心はいままで陰諜者だちと接触していたので、それに関係しているのではないかと疑って監視するために、自宅によびつけたのだと思っていた。 　〔シュペーアは、自分では陰謀のことは知らなかったが、陰謀者と接触していた。　それで新政府の閣僚名簿にも軍需大臣にいれられていた。 　このため、あとでカルテンブルンナーから取調べをうけた〕 　ゲッペルスはまた、ベルリン郊外八キロのリヒターフェルトに駐屯している信頼できるヒトラー護衛隊の隊長に電話をかけ、部下を待機させておくよう求めた。

宣伝の天才：ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相(右端)は、暗殺事件の当日ベルリンにいたたった一人のナチ首脳であったが、おそるべき力を発揮して陰謀者たちの前にたちはだかった

　事実、ゲッベルスのところにまずハーゲンをよこしたのは、レーマーであった。
　それはひとつには、ハーゲンがゲッペルスをよく知っていたからであり、同時にヒトラーが死んだという噂が、本当かどうか確認したかったからだ。
　ゲッペルスは、ただちにレーマー少佐に会うことに同意し、ハーゲンは彼を呼びにでかけた。
　ハーゲンは、のちに、もしヒトラーが死んでいることが明らかになれば、すべての情勢は変わったであろうと述べている。
　その場合、彼らは、ベントラー街らの命令に従って、ゲッペルスを逮捕したかもしれなかったという。
　ハーゲンは、借りたオートバイに乗って、レーマーを探しながら、ゲッベルスからえた“ヒトラー生存”のニュースをばらまいて歩く手先となった。

12 ヒトラーは無事の放送 top

　ゲッベルスは、ヒトラーから命令された声明文の作成にとりかかった。
　午後六時四十五分、この発表が放送され、強力な電波にのって、欧州中に伝えられた。

　この放送の写しは、ベック将軍がラロシュ・ギュイヨンのクリューゲ元帥のところに電話をかけ、クーデターに加担するよう訴えていたそのときに、クリューゲ元帥の机のうえに、そっと置かれた。
　クリューゲは、ベックの話に耳を傾けながら、その文を読んだ。
　それから、話の途中でつぎのように訊ねた。
　「しかし総統大本営の実際の状況はどうなのか？」
　ベックは正直な人間なので、ラシュテンブルクの情勢がハッキリしないことを否定しなかった。
　クリューゲにとって、これで十分だった。彼は数年間、動揺しながらも、けっして危険をおかそうとはしない男であった。
　「私は、この問題をまず部下と相談しなければならない。それからこちらから電話しよう」
とクリューゲはいい、またそのときに結論を知らせると約束した。
　しかし、ベックは、クリューゲのような慎重な男がこういうからには、もはや、味方にならない、といったのと同じだと思った。
　一方、ベントラー街の陰謀者たちもこの放送をきいた。
　彼らは、このようなものが発表されると予測していたものの、放送をきくと、またまた心配になってきた。
　陰謀者たちはただちに、この放送を正式に否定するつぎのような発表を各司令部に送った。