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3　「シュペー」奮戦むなしく自沈

　ヒトラーが、一九三九年九月一日にポーランドを攻撃し、西側諸国の撤兵勧告を拒否したことは、必然的に「Ｚ」計画の終末を意味し、バランスよく各種艦艇をそなえたドイツ艦隊を建設するという、レーダーの計画は御破算になってしまった。
　ドイツとしては、イギリスとその同盟諸国の建造力と競争することは望むべくもなく、主力艦の優勢でリードするイギリスに追いつくことはできなかった。
　それは、ドイツ海軍には大打撃であった。
　しかし「いまや水上部隊は、勇敢に死ぬすべを知っていることをしめすだけだ」というレーダーの嘆きとは逆に、一九三九年におけるドイツ海軍の戦争計画は積極的であった。
　戦争の初めから、ドイツの水上部隊は攻勢をとり、その目的を達成し、連合国の対独海軍兵力使用計画を狂わせたのである

2 通商破壊作戦計画 top 　行動中のポケット戦艦にはハッキリした任務がしめされていた。 　その主任務は、連合国海軍部隊を牽制して、戦力を分散させることであり、通商破壊活動は、主任務遂行にともなう副産物として考えられた。 　通商破壊艦として行動するときは、できるだけ敵戦闘部隊との戦いを避けて安全第一をはかる。 　攻撃は、神出鬼没をモットーとし、連合国がすべての船団を護衛するために大部隊を派遣せざるをえない状態においこみ、イギリス本国艦隊に戦闘力を浪費させ、ドイツ海軍部隊の大西洋への進出を容易にする、これがドイツの戦略だった。 　「グラーフ・シュペー」の作戦海面は赤道の南方、「ドイッチューラント」は北大西洋であった。 　しかしヒトラーは、開戦から三週間、通商破壊戦計画の実施を許可しなかった。 　彼は、ポーランドを速やかにノックアウトし、西側と和平をむすぼうと希望していたので、九月二十四日まで「行動を開始したい」というレーダーの要求を承認しなかった。 　このため、ポケット戦艦は、当初、行動を制限され、機先を制することができなかった。 　一方、イギリスは最初から攻勢にでた。 　開戦から二日間に、南米部隊の巡洋艦「アジャックス」は南大西洋で、ドイツの商船「オリンダ」と「カール・フリッツェン」を、それぞれ九月三日と四日に撃沈した。 　今度は、ドイツがやっつける番だった。 　九月三十日「グラーフ・シュペー」艦長ハンス・ラングスドルフは、ペルナンブコ〔ブラジル北東部。現在のレシフェ〕沖で商船「クレメント」を撃沈して、戦闘行動を開始した。

3 行動秘匿にあの手この手 top

　連合国の作戦は、行動中のドイツの通商破壊部隊の規模と艦種がハッキリしなかったので、開戦当初からおもわしくなかった。
　そのうえ、ドイツ軍の艦艇は、あらゆる方法で偽装したので連合国の悩みは、いっそう深刻なものとなった。
　たとえば、艦を戦艦に見せかけるために偽物の砲塔をこしらえたり、出動中のドイツ軍艦を追いかける連合国艦をマクため、偽の艦名をとりつけたり、“通商破壊艦出現”の嘘の無電呼出し符号さえ使用した。
　さらに“時”という要素も、ドイツに味方した。
　捕獲された連合国商船の乗組員が、捕虜として抑留されないときでも、港や在外公館にたどりついてドイツ通商破壊艦の正確な情報を連合国の海軍省に報告するまでに、かなりの日数がかかったからだ。
　十月五日、大西洋をくまなく捜索するため、連合国の五つの部隊がやっきとなっていたが、「グラーフ・シュペー」はセントヘレナ島〔南東大西洋〕の北東方約七四〇キロで「ニュートン・ピーチ」を捕え、「ドイッチュラント」はバミューダ島〔北西大西洋〕で　「ストーンゲート」を沈めた。
　「クレメント」と「ストーンゲート」の船長が釈放された十一月九日になって、いろいろな断片的な情報を総合して、やっとドイツの二隻のポケット戦艦が確かに行動中であると推定された。
　それでも、そのうち一隻は「アドミラル・シェーア」であろうと考えられていた。
　それまでに「ハンツマン」「トレバニオン」両船を撃沈した「グラーフ・シュペー」は東方に向っていた。
　インド洋には警戒警報がだされ、連合国商船の乗組員は気が重かった。

4 インド洋の「シュペー」 top

　ギュンター・プリーン艦長のＵ47が、スカパフローに潜入して英戦艦　「ロイヤルオーク」を撃沈した十月十四日、「ドイッチュラント」はニューファンドランド〔カナダの東方〕の東方約七四○キロで、「ローレンツ・Ｗ・ハソセン」を沈め、ついで十一月一日、ドイツに戻るよう命じられた。
　「ドイッチェラント」は、イギリス海軍の警戒線を突破して北海にはいり、十一月十五日キールに帰港した。
　そのころ、広い大西洋の海原で、これら二隻のドイツ戦艦にたいする連合国の捜索が続けられていたが、「グラーフ・シュペー」はインド洋にむけて行動中であった。
　「グラーフ・シュペー」がインド洋でえた戦果は、十一月十五日、ロレンソマルケス〔アフリカ南部の東海岸〕沖で小型タンカー「アフリカ・シェル」を沈めただけだった。
　ポートで海岸に向うことを許されたタンカーの乗組員は、この日のうちに上陸し、ドイツのポケット戦艦一隻がインド洋で行動中であると伝えた。
　「グラーフ・シュペー」は針路を、最初の狩り場だったセントヘレナ島付近にかえ、十二月二日に「ドリク・スター」を、その翌日には「タイロア」を沈めた。
　ラングスドルフ艦長は、この海面をたちさり、西大西洋で連合国商船を攻撃することにした。
　一九三九年十二月六日「グラーフ・シュペー」は補給艦「アルトマルク」と最後となった会合地点でおちあい、食糧と燃料を積み「タイロア」「ドリク・スター」両船の捕虜を補給艦に移したのち、ラプラタ川〔ウルグアイ〕にむけて西航した。

5 「シャルンホルスト」北大西洋へ top

　一方、ドイツの本国艦隊もポンヤリしていたわけではなかった。
　これよりさき十月八日、巡洋戦艦「グナイゼナウ」、軽巡「ケルン」、駆逐艦九隻は、ノルウエー南部にむけて四八時間の作戦行動のため出撃した。
　これは第一次大戦時のドイツ艦隊の作戦を思い浮ばせるものがあった。
　つまり、この海面から連合国商船と英海軍の小部隊は一掃するが、有力な敵部隊とはけっして戦わないというものである。
　しかし、敵部隊を発見しなかったので、十月十日、ドイツ部隊はキールに帰ってきた。
　ドイツ本国艦隊のつぎの行動は「ドイッチューラント」が帰投したのち「グラーフ・シュペー」にたいする敵の圧力をとりのぞくために計画されたが、それはきわめて大規模なものだった。
　十一月二十一日、艦隊司令長官ウィルヘルム・マルシャル中将は、北大西洋における英海軍の警戒配備を擾乱するため、巡洋戦艦「グナイゼナウ」「シャルンホルスト」を率いて出撃した。
　荒天――第二次大戦中、なんどもドイツに味方した――を利用して、イギリス軍に察知されずに、十一月二十三日、巡洋戦艦部隊は大西洋の入口（アイスランドとフェローズ諸島間の水路）にむけて進撃していた。
　この日、夕闇が海面をおおったとき「シャルンホルスト」はイギリスの仮装巡洋艦「ラワルピンジ」を発見した。
　「ラワルピンジ」は、二八センチ砲を装備した巡洋戦艦にとっては問題にならず、懸命に逃れようとしたが、一戦をまじえる覚悟はできていた。
　それは、全く一方的な戦いだった。
　「ラワルピンジ」の一弾は「シャルンホルスト」に命中したが、ほとんど損害をあたえられず、戦闘は一五分でケリがついた。
　それから二時間、救助作業が行われ、ドイツ軍は炎上する英艦「ラワルピンジ」の生存者を救出した。
　「ラワルピンジ」は勇敢だったが、重大な錯誤をおかした。「ラワルピンジ」は最初の“敵発見”の無電で、巡洋戦艦と報告し、ついで「ドイッチェラント」とハッキリ艦名を打電したのである。
　そこで英海軍省は「ドイッチェラント」がまだ北大西洋を行動中だと判断した。
　（英海軍情報部の報告には、それから一年七ヵ月後の一九四一年六月「ジュッツオー」と改名した「ドイッチェラント」に魚雷攻撃を命じられたイギリスの飛行機搭乗員は“この艦が「ラワルピンジ」を撃沈したのだときいた”と書かれている）
　ついでドイツ部隊は、英軽巡「ニューカッスル」を発見した。
　マルシャル提督は、英本国艦隊がその全兵力をドイツ部隊にむけて集結する以前に退避する決心をし、煙幕をはりながら高速で敵から遠ざかり、北方水域に二日間とどまって状況を確かめたのち、ノルウェー海岸にそって南下し、十一月二十七日、ウィルヘルムス・ハーフェンに到着した。

6 「シュペー」を待ちぶせ top

　南大西洋方面では、十二月六日「グラーフ・シュペー」が補給艦「アルトマルク」とわかれてから西にむかい、最後の獲物となった「ストレオンシャルー」を沈めた。
　だが「グラーフ・シュペー」は、もはや運命の神に見はなされていた。
　イギリス海軍の南米部隊指揮官Ｈ・Ｈ・ハーウッド提督は、貿易の盛んなラプラタ沖付近には多数の商船が集るので、ドイツのポケット戦艦はきっとこれを撃沈したいという誘惑にかられるだろう、とかねがね考えていた。
　そこでハーウッドは、巡洋艦「アジャックス」「アキレス」（ともに一五センチ砲装備）「エクセター」（二〇センチ砲装備）をひきい、この海面を哨戒していた。
　この部隊には、もう一隻「カンバーランド」（二〇センチ砲装備）がいたが、フォークランド諸島〔南米南端の英海軍基地〕で修理中だった。
　ハーウッドには、ハッキリした予感がした――
　「グラーフ・シュペー」は東方での最後の獲物をえたのち、ラプラタ沖かフォークランド諸島方面に向うだろう。
　（一九一四年、グラーフ・フォン・シュペー提督が、コロネル沖海戦で英艦隊を撃破したのち行動したように）

確かに、一九三九年十二月十三日の夜明け、ハーウッドの率いる三隻の巡洋艦部隊は、ラプラタ沖で「グラーフ・シュペー」を発見した。 　「グラーフ・シュペー」艦長ラングスドルフは、見張員が報告したマストの一群は船団の護衛部隊であろうと判断し、これを攻撃することにした。 　ついで「エクセター」（「ヨーク」級で、煙突の一本がほかのものより大きい特徴がある）の艦影を水平線にハッキリ発見して、判断の間違いに気づいた。 　しかし、もはや手遅れだった。そこには、めざす商船はいなかった。 　兵装のおとる三隻の英巡洋艦は、元々「グラーフ・シュペー」の相手ではなかったが、こうなったからには、一戦をまじえざるをえなかった。

7 英艦隊が襲いかかる top

　ハーウッド提督は、強力な敵艦を目前にして、少しもひるまなかった。
　十二月十二日、ハーウッドはつぎのような戦闘命令をくだしていた。
　「わが部隊は、三隻の巡洋艦が協同して一隻の敵ポケット戦艦にあたる。
　昼戦または夜戦をとわず、ただちに敵を攻撃する。
　昼間は『アキレス』『アジャックス』の第一隊と『エクセター』の二隊となって行動する。
　『エクセター』は大砲の威力を最大限に発揮できるように別行動する。第一隊は集中射撃を行なう」
　十二月十三日午前六時九分、水平線に煙を発見。これを確認するため「エクセター」を派遣。
　数分後「アジャックス」座乗のハーウッド司令官に「煙はポケット戦艦と思われる」との報告。
　午前六時十七分「グラーフ・シュペー」が「エクセター」に砲撃開始。
　六時二十分「エクセター」が応射。
　「アジャックス」と「アキレス」は、敵に舷側砲火をあびせるため全速力で進撃。
　こうして、ラプラタ沖海戦の幕がきっておとされた。
　「グラーフ・シュペー」の二八センチ砲が火をふき、勇敢な「エクセター」を猛火につつんだこと。
　打ちのめされた「エクセター」があくまで戦場にとどまって魚雷を発射し、浸水のために動力がなくなるまで射撃を続けたこと。
　「アジャックス」「アキレス」の攻撃が駆逐艦のように粘り強かったので「グラーフ・シュペー」が「エクセター」に十分巨砲の威力を発揮できなかったこと。
　「アジャックス」の損害が大きかったので、ツーウッドがやむなく戦場から退避したとき「グラーフ・シュペー」はこれを迫撃せず、煙幕にかくれ、西よりのコースで戦場を離れたこと。
　など、この海戦のくわしい状況はすでに多くの書にのべられている。

9 ラングスドルフ艦長運命を悟る top

　ドイツがわは、ウルグアイ海軍当局の実情調査によって「グラーフ・シュペー」は修理のため七二時間――結局、投錨してから約九〇時間となる――モンテビデオに停泊する許可をとりつけることに成功した。
　十二月十五日、でＩウッド部隊の巡洋艦は燃料を補給した。
　一方、ラングスドルフ艦長は、戦死した「グラーフ・シュペー」乗組員の葬儀をとり行った。
　この葬儀のとき、艦長は海軍の伝統に従って挙手の礼をしたが、艦長の回りにいる者が、全員、ナチ式の敬礼をしている姿が写真にとられ、それはナチの宜伝担当者たちを、かなりまごつかせた。
　ラングスドルフ艦長は、ベルリンの海軍総司令部の意見を正し、“ウルグアイで抑留されるな”というハッキリした命令をうけた。
　艦長としては、ウルグアイよりもドイツに友好的なアルゼンチンのブエノスアイレスヘの回航（艦の機関の冷却装置の故障や狭い水道で乗りあげる危険をおかして）、あるいは、英国の警戒線を突破して、本国への帰投をこころみることができたろう。
　だが、イギリスの宣伝はすばらしかった。
　ラングスドルフ艦長は、この宣伝は本物であり、たとえハーウッド部隊を突破したとしても「グラーフ・シュペー」の本国への帰路を待ちかまえている英主力艦部隊から逃れることはできまい、と思いこむようになってきた。
　十二月十六日午後五時、こうした艦長のジレンマに、イギリスの措置が決定的な影響をあたえた。
　イギリスはもう一隻の英船「ダンスター・グレーンジ」をモンテビデオから出港させたので、国際法に定められた二四時間はラングスドルフ艦長にあたえられた七二時間の期限を面倒なものにし、「グラーフ・シュペー」は、やむなく十二月十七日の昼までに出港しなければならなくなるだろうと思われた。
　イギリスの戦艦部隊は、おそらく二四時間のうちに、ますますモンテビデオに近づくであろう……。

　ラングスドルフ艦長は、艦を主水道の外にむけ、すでに爆薬をとりつけた爆破隊員を退艦させた。
　赤い太陽が西の地平線に没した午後八時五十四分、艦長は軍艦旗に最後の敬礼をした。
　ついで、ものすどい爆発が艦底におこり、一瞬にして艦は火の海となり、やがて「グラーフ・シュペー」は、水道の外辺の泥の海に姿を消していった。
　ラングスドルフ艦長は、それから三日後の十二月二十日、彼が第一次大戦で戦ったときのドイツ海軍の軍艦旗を身体にまき、ピストルで自決した。
　すぐれた作戦行動、予期しなかった戦い、非運の逃げこみは、ラングスドルフ艦長と「グラーフ・シュペー」の悲劇であった。
「グラーフ・シュペー」は九隻、約五万トンの英国船を沈めたが、船員を一人も殺さなかった。
　ラングスドルフは、公海上での通商破壊の方式をつくりあげた。
　通商破壊戦でドイツは、もっと大きな戦果をあげるだろうが、商船攻撃の方式については、彼にまさる名声はえられないだろう。
　ラングスドルフは理論上では、勝ちうる戦いをえらんだ。
　しかし、ハーウッドの率いる装備のおとった英巡洋艦部隊の勇気と決意のまえにやぶれ、ラプラタ沖海戦で、三七人の愛する部下を失った。
　物的損害についてみれば「グラーフ・シュペー」には二〇発の砲弾が命中し、炊事室は破壊され、艦橋はひどく損傷し、甲板と舷側には数個の穴があき、最大のものは約一・八メートル四方もあった。
　ラングスドルフは、ラプラタ沖の英監視線を突破するには、弾薬が不足していることを知っていたので、最悪の場合には、自沈する覚悟をしていたのである。
　連合国にとって「グラーフ・シュペー」の沈没は海上戦における輝かしい開幕であり、それはスカパフローで、英戦艦「ロイヤルオーク」の不名誉な喪失〔潜水艦Ｕ47による〕をつぐなってあまりあった。
　ドイツ軍統帥部に、イギリスの海軍力の強さを、まざまざと思い知らせたからである。