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1　暗号の起源と発達

　暗号術は、秘密に文書を書きあらわす技術のことである。
　英語の cryptography（暗号術）は、ギリシャ語の kryptos（secret ＝秘密）と、graphos （writing ＝書くくこと）から転化したものである。
　このことは、暗号術の多くが、ギリシャ人の発明であることを示している。
　つまり暗号術とは、文書の本当の意味が、発送人と受取人以外の人にはわからないようにする技術のことである。

1 コード暗号とサイファ暗号 top 　暗号には、大別して、コード暗号とサイファ暗号の二方式がある。 　コード暗号は、暗号書に、普通使われる単語章句と、それに対応する暗号文字や数字が、辞書のような方法で示されている（図1）。 　たとえば、“Send an armoured to Algiers”（装甲自動車一台をアルジェ港に送れ）という普通文（注）を略号化するには、 　八八六七　九二一三　四七六三　五三九〇　二四〇一　とするか、または、 　ＡＭＣＥ　ＨＸＯＦ　ＢＴＹＦ　ＰＱＬＮ　ＫＰＷＲ　とすればよい。 　　（注＝だれが読んでもわかる文章を普通文または平文〔ひらぶん〕といい、これを略号化した文章を暗号文という） コード暗号を使用した場合、暗号を解読するには、暗号書を持っていなければならない。

　これがないと、暗号解読は不可能である。
　暗号書があれば、暗号をつくることも、暗号を翻訳することも、迅速で容易に行なえる。
　コード暗号とサイファ暗号との大きな相違点は、暗号作業のとき、コード式は語や句を単位とし、サイファ式はアルファベットやイロハの各文字を単位として操作することである。
　（手旗や信号旗で交信する場合に使われる暗号書は、普通、信号書といわれている。　また、暗号書や信号書は、コードブック、または単にコードとも呼ばれている）

2 サイファ暗号にも二方式が top

　サイファ暗号は、さらに二つに大別される。転字式と換字式とである。
　転字式暗号は、普通文の各文字の順序を入れかえることによって略号化するもので、その一例を示すと、次のようなものである。
　普通語のＳＥＣＲＥＴ（秘密）を、その文字の位置を入れかえてＲＳＥＥＴＣとすれば、意味が不明となり、これを転字式暗号という。
　換字式暗号は、普通文の各文字を他の文字や数字、符号などでおきかえて暗号文とする方法である。
　簡単な例として、アルファベットの各文字に、順番に従って、次のように一から二六までの番号をつける。
　ＡＢＣＤＥＦ………ＵＶＷＸＹＺ
 
  1 2 3 4 5 6       212223242526
　これを使用して、普通語のＳＥＣＲＥＴの各文字を該当する数字におきかえれば、一九　五　三　一八　五　二〇となる。
　また、数字暗号でなく文字暗号にするために、アルファベットの順序を逆にして、ＡをＺに、ＢをＹに、そしてＺをＡにおきかえることもある。
  ＡＢＣＤＥＦ………ＵＶＷＸYＺ
 
　ＺＹＸＷＶＵ………ＦＥＤＣＢＡ
　これを用いると、ＳＥＣＲＥＴは、ＨＶＸＩＶＧの文字暗号となる。
　また、暗号をさらに複雑化するためには、転字式と換字式の両者を組み合わ廿ればよい。
　すなわち、ＳＥＣＲＥＴを転字式でＲＳＥＥＴＣとし、ついで、これを数字でおきかえれば、一八　一九　五　五　二〇　三となり、また、前記のように文字でおきかえれば、ＩＨＶＶＧＺとなる。
　こうして普通語ＳＥＣＲＥＴは、転字式と検字式の二つの方式で二回暗号化されたことになり、一回だけの略号化よりも一層安全になったといえる。
　暗号は、四Ｉドブックを持ち、サイファ暗号規程を知っている人たちだけに読めて、それ以外の人たちにはわからないようにすることが重要である。
　暗号翻訳法の秘密を知らないで暗号を解読しようとした人たちの苦闘は、二〇〇〇年間も続けられ、暗号を舞台としたドラマに、大きな興奮を与えてきたのであった。
　（暗号受取人が暗号を読むことを普通、翻訳するといい、暗号を読む秘密を知らない第三者が暗号を読むことを暗号解読という。また解読する人のことを解読者または解析者、ときには「暗号破り」ともいう）

3 最初の暗号は紀元前五世紀 top

　サイファ暗旨を使った最初の軍人は、紀元前四〇五年ごろ、スパルタ（古代ギリシャの強大な都市国家）のライサンダー将軍であった。
　当時のギリシャ諸国間で、彼は最も勢力のある人物であった。
　それまで彼がアテネと戦っていたのを応援していたペルシャ人たちは、しだいに彼をねたむようになった。
　彼は、今やペルシャ人の真意をはかりかねて、判断に迷った。
　彼の方からペルシャを攻撃して、貴重な同盟国を失う危険をおかすべきか、それとも静観すべきか――静観すれば、ペルシャの不意打ちをうけて敗北の憂目をみるかもしれなかった。
　もし道をあやまれば、彼もスパルタも、ともに滅びることが明らかであった。
　そこで彼は、ペルシャ王の真意をぜひとも探らねばならない重大時期に直面した。ライサンダー将軍が思い悩んでいたときに、一人の奴隷が手紙を持ってやってきた。
　ライサンダーは、それを読み終えると、奴隷がしめていたベルトを取りあげ、彼を自由にした。
　手紙はごまかしであって、ライサンダーの待ちに待っていたものは、ベルトだったのである。
　ベルトには、全長にわたって意味のとれない文字がゴチャゴチャ書きつらねてあった。ライサンダーは、指揮杖を取り出した。
　それは巡査の警棒に似た円筒状の棒であった。
　彼は、それにベルトを螺旋状に巻きつけた。
　すると、意昧のわからなかった文字が位置を変えたためにお互いに関連ができ、その文章の一字一字を読み取ることができたのである。
　ペルシャ人は不誠実である。彼らは、ライサンダーの友人たちを虐殺し、またライサンダー自身をもねらっている」
　これは、彼が望んでいた重大な情報であった。彼はただちに行動を起こし、海路ペルシャに侵攻して、ついに勝利をおさめた。
　この、記録として残っている最古の転字式サイファ暗号が、ライサンダー将軍とその祖国を救ったのだった。
　このことはまた、西洋が東洋勢力を打倒して、西洋文明を確立する道を開いたものでもあった。
　そして西洋文明では、コード式とサイファ式の暗号技術が重要な役割を演じたのであった。

4 シーザーも暗号を考案 top

　換字式暗号を最初に使用した将軍の一人は、ジュリアス・シーザーで、彼は自分で暗号を考案した。
　彼の暗号は、平文の各文字をアルファベット順に三つずつ繰り下げるものであった。
　つまり、ＡはＤ、ＢはＥとなり、ＣＨＡＲＧＥはＦＫＤＵＪＨとなる。
　また、シーザーがシセロに書き送ったラテン語の “Habes opinionis meae testimonium”（あなたは、私の意見にたいする証拠をお持ちですか）は、現代のアルファベットで略号化すると、ＫＤＥＨＶＲＳＬＱＬＲＱＬＶ　ＰＨＤＨ　ＷＨＶＷＬＰＲＬＸＰ　となる。
　この暗号は、現代の暗号技術者から見れば、安全保持の点で余りにも簡単すぎる。
　しかし、暗号解読技術が発明される以前の紀元前六〇年ごろでは、文章の秘密を保つにはこれで十分だった。
　そして今日でもなお、当時のローマで用いられていたと同じ形式のサイファ暗号を、“シーザー・アルファベット”と呼んでいる。

　すると、前述の暗号文は、三四五二三　二二五二四　二一〇○○となる。
　ここで最後の三つのゼロは暗号ではない。
　これは冗字（意味のない文字）と呼ばれるもので、最後を五字の暗号群にまとめるとともに、暗号解読者に暗号文の末尾がどこなのかわからないようにするためのものである。
　冗字の使用は、ギリシャ人の気づかなかった改善であった。
　しかし、このマス目型アルファベットの着想は、それから二〇〇〇年後の第一次大戦中でも、大変重要なものとなった（第七章参照）。