＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
Index    1    2    3    4    5    6    7    8    9   10   11   12   13   14   15   16   17   18

17　秘密がある限り暗号はなくならない

　クローガー夫妻の使用した方法は、現在でも使用されている。

1 秘密諜報活動は国家間のゲーム top

　一九七一年に、ロンドン中央刑事法廷で、二人の男が「国家に害を与える目的で、機密情報を洩らす共謀を行なった」という理由で、有罪となった。
　証拠書類の中には、「二個の全く普通の懐中電灯用乾電池にしか見えないものが、その上部の蓋をはずすと、フィルムと暗号の使用規定とが別々に入れられる、くり抜き空洞がある」のを、警察官がいかにして発見したかということを報告したものがあった。
　証拠はさらに続いて、「寝室の金庫の中に、普通の暗緑色の鉛筆に見えるものが入っていたが、その上部を取り外すと空洞が現われて、そこはマイクロフィルムと暗号通信文が隠せる絶好の場所となっていた」と報告されている。
　これは、クローガー事件からわずか一〇年で、またも、同様な事件が発生したのであった。
　秘密諜報活動は、あらゆる国家によって行なわれるゲームである。
　従って、それには、ある種のルールもある。それは、慎重に行動して捕まらないように務めるということである。
　騒々しいスパイ・ゲームは、両陣営にとって、政治上および外交上の争いと困惑をもたらす。
　そこで、ゲームが限界をこえない限りは、各国ともに、相手の諜報活動を見て見ぬふりをするのだが、これには理由がある。
　スパイの監視機関にとっては、現在のスパイを追放して後任者のやることを初めから監視するよりも、現在のスパイを泳がして見張っていた方が、はるかに安全だからである。
　すなわち、現在つきとめているスパイの方が、これから探し求めなければならないスパイよりも、仕事がしやすいということである。

2 暗号文を置き忘れたスパイ top

　しかし、時には手におえないような事件が起こることもある。
　一九七一年に、あるソ連将校が、ハンプステッド・ヒースで、暗号文を入れたブリキ缶を置き忘れ、スパイの現行犯として逮捕された。
　（この将校は、スパイ相互間の連絡法に優秀な技術を使用していたが、この時は、少しばかり魔がさしたのだ）
　イギリス当局は、彼の行為は黙認の限界をこえたものと考えた。
　それで、この事件に関連した外交官や通商関係官、それに航空輸送関係従業員まで約一〇〇人以上のロシア人が、国外追放の処分を受けた。
　モスクワは、自分たちのスパイ行為が発覚したということよりも、イギリス当局が、当惑するような騒ぎをひき起こしたということで、不愉快に感じた。
　ソ連側は報復処置として、モスクワのイギリス大使館員の何人かにたいして、至急国外退去するよう要求した。
　しかし、普通ソ連側は、他の諸国と同様に、慎重な態度をとっていたのであった。
　時々、アメリカ人旅行者やイギリスの商社駐在員たちが突然国外退去処分を受けることについて、西側の報道は事実無根と伝えているが、その報道が正しかったことはまれであった。

3 横行する産業スパイ top

　おそらく現在の世界は、かつてのどんな時代よりも、スパイが横行している。
　現代は産業発展の時代であり、それにつれて産業スパイの発展ぶりも目ざましいものがある。
　現在では、商売上での成功は、主として競争相手に先がけて新規の開発を行なうことにかかっている。
　それで、競争会社の研究開発をスパイすることが、大きな事業となったのである。
　最近の事件としては、コダック社の秘密が盗み出されるというものだった。
　それには、アメリカ大陸横断列車の便所水槽の背後に、怪しい包みと暗号文が置いてあったという、古典趣味的なおまけまでついていた。
　もっと最近では、「コンコルド」事件がある。――もし、事件が本当にあったとすればだが。
　英仏両国で共同開発した「コンコルド」と、ソ連のライバル機で通称“コンコルドスキー”と呼ばれる「ツポレフＴＵ144」の二つの画期的な超音速旅客機が、ほとんど同一の外観をしているのは何故だろうか、ときく人が多い。
　それは、偶然の一致であろうか、それとも、ほかに何かが……？
　我々には、おそらく、その真相を知ることはできないだろう。
　しかし、ここで言えることは、国際的規模の産業スパイが日ましにふえ続けている、ということである。
　スパイが関心をもつ領域が変わったのにつれて、スパイ技術も変貌をとげた。
　人的な要素は、しだいに発達した技術によって交代されつつある。
　室内の文書の内容を、建物の窓越しに何キロも離れた遠い上空から撮影できるカメラを備えた高々度偵察機は、人間よりも効果的である。
　送信手段もまた、変化した。モールス信号は、まもなく光線信号にとってかわられるかもしれない。
　光線信号は、肉眼では見えないが、月にはねかえって相手のところまで届くことができる。
　しかし、以上のような変化にもかかわらず、暗号には、依然として一つのよりどころがある。

4 終着駅のない暗号戦争 top

　伝統的な鉛筆と紙の暗号技術は、最近の五〇年間に、巧妙で洗練されたものになった。
　しかし、基礎原理は何ら変化していない。
　そしてまた、暗号を使おうとする仕事も、依然として存在するのである。
　ロンドンのセントジョンの森やワシントンのコンスティテューション通り、その他世界の大都市に所在する各国大使館の尊敬すべき外交官たちの背後には、暗号を組み立てたり、発信したりする暗号係員の大軍がひかえていて、軍事上、外交上の機密通信を、彼らの本国あてに送り続けているのである。
　そして郊外の壮麗な邸宅で、市内の公園で、あるいは公海上においてさえも、スパイたちや情報関係者たちがまた、同様な仕事をしているのである。
　人々が隠さねばならない秘密をもっている限り、それを隠すコード暗号やサイファ暗号が使われるであろうことは、少なくとも我々の考えうる将来において確かであろう。