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9　郵便物をマークせよ！

　第二次大戦が避けがたいと思われた一九三〇年代の後半、世界の列強国は、自国の情報組織を再統合して、一九一九年以来中断していた相互協力の活動を再開する準備を始めていた。
　しかし、事態はすでに変化していた。
　きたるべき戦争は新しいタイプの戦争となるはずであり、この戦争を遂行するには、新しい複雑な情報技術が必要と思われた。
　なかでも目ざましかったものは、従来の数字や文字を操作する方式に捕われない暗号の工夫が盛んに行なわれ、これらがスパイやその他の情報関係者によって、数多く使用されたことだった。
　これらの方法については、それまでにも多くの先例があった。

1 各種の情報が隠された旅券 top

　フランスのルイ十四世は、外国人にたいする旅券査証には、その人の個人的情報を巧みに隠したものを発行した。
　このことは、旅券の所侍者に初めて会う人にとって、非常に有益なものであった。
　一六五〇年にフランスを旅行したジョン・ホープ卿は、楕円形の黄色の用紙に記載されている旅券を携行した。
　楕円は、彼が三〇歳くらいであり黄色は、イギリス人であることを示していた。
　彼の名前の下にある二本の小さな線は、彼が背が低くて肥満体であることを示した。
　また、用紙に描かれたバラの花のデザインは、彼が温和な性格であることを示し、意匠をこらしたフチどり模様は、富裕であることを、名前の後のコンマは、新教徒であることを、それぞれ示していた。
　そのほかにもいろいろなマークがついていて、理知的であるとか、正直であるとか、頑固だとか、あるいは、騙されやすいかどうかなどを明らかにしていた。
　このような秘密情報は、フランス人にたいして、ジョン卿の宗数的政治的立場を明らかにして警戒させることになり、また、彼の旅券で旅行しようとする詐欺師の仮面をはぎとることにもなった。
　同じころ、国王派のジョン・トレバニオン卿も、友人からの手紙（図31）によって、クロチェスター城で死期を待つ幽閉から、危うく脱出することができた。
　この中世風につづられた慰問状を受け取ると、ジョン・トレバニオン卿は一日中黙想にふけっていた。
　夕方になって、彼は「自分の罪を神の前で悔い改める」という理由で、城の礼拝堂で一時間の祈りを捧げる許可を求めた。
　彼はその一時間を、ひそかに脱出するために使った。
　そのわけは、彼への手紙の各句読点から三番目の文字をつづり合わせると、次の文章になったからである。
　“ＰＡＮＥＬ　ＡＴ　ＥＡＳＴ　ＥＮＤ　ＯＦ　ＣＨＡＰＥＬ　ＳＬＩＤＥＳ”（礼拝堂の東端の羽目板は、すべり動く）

2 「ジョー・Ｋ」の身元は？ top

　それから三〇〇年たった第二次大戦でも、このような手紙はスパイの常用手段の一つであったため、イギリスの検閲関係者にとって、頭痛のタネであった。
　一九四〇年の後半には、ヨーロッパ大陸にいたイギリス軍がフランスのダンケルクから駆逐され、ロンドンはドイツ軍の空襲にさらされていた。
　その頃、イギリス本国から五〇〇〇キロ以上離れたバミューダ島のイギリス検閲事務所では、ニューヨーク港に停泊している連合国船舶の詳細を伝えている一通の手紙を押収した。
　その手紙には、うかつにも「ジョー・Ｋ」と著名してあった。
　一体、その男は誰なのだろうか？
　何故、その男は連合国船舶に興味があるのだろうか？
　彼はアメリカ人だろうか、それともドイッ人だろうか？
　復讐心に燃えていたイギリスは、それを解決するために、ＭＩ6（軍情報局第六部）でも取り上げることにした。
　スパイは普通上司と無線で連絡をとっているが、この方法は危険で不満足な点もあるため、時には最も確実な方法として、通常の郵便で交信する。
　これを上手にやるために、スパイは検閲当局を警戒させるような事柄を手紙の中に書いてはならないし、秘密の伝言が隠されていることがわかるような、わざとらしい表現を使ってもいけない。
　これらの落とし穴を避けて通ることは容易ではない。
　たとえば、ジョン・トレバニオン卿あてのＲ・Ｔ氏からの手紙（図31）の中でも、奇妙で、疑いがかかる句読点の打ち方が、いくつかあった。
　特に“bitter”と“cup”の間のカンマは、あやしかった。
　しかしトレバニオン郷にとって幸運なことには、議会派（注）に属していた看守が、訓練された検閲官でなかったことだった。
　（注＝十七世紀のイギリスでは、国王派と議会派にわかれた政冶上の内紛があった）

　しかし、『クリッパー』の機長はこの協定に参加していなかったのです。
　そこで私たちは、実際には、力づくで郵便物を降ろさなければなりませんでした。
　あとで、私たちはアメリカ政府と協定を締結するようになり、二四時間以内であれば、『クリッパー』の機長たちは、私たちが力に訴えなくても郵便物を降ろすことを許可するようになりました」
　ガーディナー嬢は、自分たちが何をさがしているのかを、正確に認識していた。
　「私たちは、敵がどんな種類の情報を欲しがっているのかを知りたかったし、敵はどのくらい知っているのか、またどのようにして情報を集めるのか、またどんな秘密組織が活動しているのか、同時に敵は私たちがやっていることをすでにどれだけ知っているのか、についても知りたかったのです。
　私たちは、普通の商業通信には全く興味がありませんでした。
　郵便物は、普通国別に袋に入れられていて、私たちはどの国に関心があるのかをわきまえていました。
　明らかに全く興味をひかない郵便物もありました。
　そして残りの郵便物は、非常に大世帯の分類課へ送られ、そこで迅速かつ簡便に、商取引の郵便物と個人郵便物とに区分けされました。
　次に、これらは言語ごとに分けられて検閲室に送られました。
　そこでは、検閲補佐官を長とする検閲係が、各国語別にわかれて検閲を行なうのです。
　これらの検閲官は、敵と取引関係にあることがわかっている全企業、およびドイツと非常に強力な関係をもっていることが明らかになっている個人、ならびに戦闘活動にたいして有害な行動を行なっていると疑われている人々の監視リストを持っていました。
　彼らは、監視リストに載っている人々にあてられた手紙がないかどうかを調べるために、郵便物をざっと走り読みしました。
　そして、その種の郵便物がでてきた場合、この郵便物はさらにくわしく調べるために、経験の豊かな特別検閲官に引き渡されました。
　その際、分類者が検閲に立ちあって、郵便物の写真をとる場合もあります。
　こうした特別の郵便物は、二四時間以上遅れてはならないという制限からはずされました。
　これは、テストや検閲、解読が、その制限時間内にできないことがしばしば起こったからです」

　たとえば、チェスの国際ゲームの対局図を載せている手紙などは、あやしかった。
　チェスのマス目は、地図の緯度線と経度線に類似しており、艦船の位置を示すのに利用できるためである。
　同様な理由から、新聞のクロスワード・パズルも疑惑を受けた。通俗語が、ヒントや答の中に隠されている場合もありうるからである。
　実際の新聞記事の中に有用な情報があるかもしれず、また、スパイがピンでさまざまな文字に穴をあけて伝言を隠すかもしれなかったので、新聞の切り抜きも禁止された。
　また、数に関するあらゆるものも禁止された。
　もし検閲官が、はがしやすく貼った切手に出くわしたならば、その切手はばかされて貼りなおされるだろう。
　たとえば、二セント、五セント、一〇セントの三つの切手はコード暗号二五一〇のつづりかもしれず、あるいは攻撃時間午前十時二十五分のつづりや、その他の何かを表わしているのかもしれないからである。
　こうして、二、五、一〇セント――すなわち一七セントの価値をもつ切手――は、同じ価値をもつ異なった単位の切手――おそらく四、六、七セントの切手――によって貼りかえられることになる。

6 風景画に隠された暗号 top

　私信の末尾につけられた恋人の優しいキスマークも、残酷に削除されるか、検閲官が温かい心をもっている人ならさらにつけくわえられた。キスマークの数が変更される限り、それは問題ではなかった。
　学校の水泳の記録表とか、子ぼんのうな祖父母が切望しているジョニーという子どもの最近の身長や体重も、無情にも抹消された。
　祖父母はドイツ海軍や陸軍の軍人であるかもしれず、ジョニーは最新の連合国側の潜水艦や戦闘機かもしれないからである。
　同様に、編み物の模様も削除された。
　編み方の簡単な指示も、連合国の戦艦を撃沈しようとする敵の潜水艦を思い浮べたならば、突然不吉な様相を帯びるだろう。
　戦争の初期には、いくつかの検閲所では、模様の中に隠された何らかの伝言があるかないかを調べるために、実際に編み物をする人を雇い、セーターを編ませた。
　しかしこの手続は、余りにも時間がかかりすざるということで、中止された。
　また、花を註文する電報、特別な言葉づかいの手紙、ラジオ局に送られたレコードのリクエストは、すべて禁止された。
　そして、たとえ美しいものであったとしても、絵画も同様にかなり疑われた。

7 無邪気な手紙ほどあやしい top

　この方法は非常に独創的ではあるが、短い伝言にしか使えない。
　より長い伝言を載せているのは、通常の手紙であり、検閲される手紙の多くは、これらの手紙であった。
　訓練を受けた敵のスパイは、決して嫌疑のかかりそうな手紙を送らなかったからである。
　バミューダ島の検閲官たちは、常にその外観からは何の疑惑も招かないような手紙を探した。
　ナティア・ガーディナー嬢は、次のようないろいろのケースを物語っている。
　「手紙が無邪気なものであればあるほど怪しまれました。
　郵送する価値がないと思われる商業郵便があった場合、それを検閲して疑わしいと感じたならば、同一人の間にとりかわされる郵便物を、さらに探すように財務や事業担当者に依頼します。
　その結果、他の手紙も同様に内容がとぼしく何らの進展もない場合には、あやしい手紙をみつけたものと確信しました」
　また句読点は、解読のための重大な手がかりとなった。
　「私たちは、ポルトガルの会社から出されたと考えられる英文の手紙を検閲しましたが、その手紙には“親愛なるマニュエル！”と、挨拶の後に感嘆符がつけられていました。
　しかし、このような用法をポルトガル人は使わず、また、英語でも使いません。
　これは典型的なドイツ語の用法でした」
　検閲官は、封筒のあて名書きの方法が、手書きと同様、タイプ打ちにも特徴があるということに気づいた。
　「もし、一番上の行を大文字でタイブしているならば、毎回大文字でタイプしており、また、住所の行間を、手紙の各行間の二倍にしているならば、毎回そうするという具合でした」

8 二重の意味をもった通信文 top

　検閲官たちは、これらのクセを十分のみ込んでいたので、「ジョー・Ｋ」からの手紙を、その封筒を見ただけで選びだすことができた。
　そして、まもなく彼らは、中の手紙が、“オープン”または“ジャーゴン”と呼ばれている暗号で書かれていることがわかった。
　「これは、サイファ暗号の使用が非常にわずらわしかったので、第二次大戦中の諜報員の多くは、すぐに“オープン”コードに切りかえたのでした。
　“オープン”コードとは、あたかも手紙のように見える通信文ですが、実際には、第二の意味が伏せてあるというものでした」

パリあての毛皮取引に関する次の手紙が示しているように、ソ連駐在のフランス大使は、すでに十八世紀に、二重会話の技術を利用していた。 　「キツネは、当地ペテルブルク（現在のレニングラード）においては、もはや流行していない。 　オオカミは、大流行であるが、モグラの毛皮も着実に売れており、約三万の毛皮がロンドンの会社からすぐに急送されるものと了解している」 　フランスの外交官たちは、全員、国名を毛皮の名前で呼んでいた暗号書を渡されていた。 　“オオカミ”はオーストリアであり、“キツネ”はイギリス、“モグラの毛皮”はイギリス軍隊であった。 　このことがわかると、この手紙の真の意味が完全に明瞭になるのである。

　「ジョー・Ｋ」の方法も、彼がマドリッドのマニュエル・アロンゾあてに出した次の手紙でわかるように、ほとんど同じものであった。
　その他の手紙はポルトガルヘ送られた。リスボンに在住していたイギリスの諜報員による詳細な調査の結果、この郵便物のあて先は、ドイツ大使館の裏口であるということがわかった。
　マニュエル・アロンゾは、ドイツ秘密情報機関の仮の名にすぎなかった。

9 秘密インキの再調査を指示 top

　ガーディナー嬢は、次のように言っている。
　「その手紙が間違いなく敵の通信文であるということに気づくと、私たちは、その手紙を長く手もとに止めておいて作業をしました。
　すなわち、一句一句、また一文字ずつそれを解析し、コピーをとり、それらの手紙を集めて、その中にある同一の参照文を使ってあらゆるものを試し、解読したのです。
　そうして私たちは、これらの長ったらしいおしゃべりの手紙が、数多くの情報を含んでいることに気づきました」
　「ジョー」の封筒の裏側には、「ジョー」のアメリカでの住所が書いてあった。
　だが調査の結果、それらは全くデタラメであることがわかづた。
　ニューヨークの消印のほかには、「ジョー」の正体に関する手がかりは何もなかった。
　そして、「ジョー」を捜し出せるという見込みもなかった。
　そこでガーディナー嬢は、他を捜さなければならなかった。
　彼女は次のように述懐している。
　「私は、それらの手紙を研究所に回して、秘密インキについてチェックするよう依頼しました。
　私は、それからあとも、彼らから、消極的な回答を受け取っていました。
　しかし私には、敵のスパイたちは、依然として、これらの手紙に何かを秘密インキで書き込んだにちがいなく、この手紙には秘められた意味があるはずだと確信していました。
　私は、もう少しのところで、研究員たちを気ちがいにするところでした。
　彼らは、次のように言ってきました。
　『やれやれ、あなたは科学者ではない。我々は、技術者なんですよ。
　我々はすでに、あらゆることを試してきた。
　それなのに、この手紙からは何もでなかったのだから……』と。
　それにたいして、私は
　『まあまあ、お願いですから、もう一度、ヨード蒸気法をやってみてくれませんか』
と注文すると、彼らは
　『その方法は旧式なものだからやりませんでした』
　との答えだった。
　しかし、私の重ねての要求によって彼らがそれを行なうと、秘密インキがあらわれたのでした」

10 古い歴史のある秘密インキ top

　秘密インキには、古代ギリシャ以来の歴史があった。ミルク、果汁、酢、尿でさえ、ゆっくり暖めると見えるようになる。
　そして、その歴史が古いわりには、この方法を保護できる手段が少なかった。
　にもかかわらず、この方法は簡便であるために、第二次大戦中も依然として使用されたのである。
　秘密インキに用いられる無色の化学薬品は、比較的近代の発明であった。
　硫化鉄はシアン化カリウムを塗ると、透明な文字が明るいオレンジ色に変わり、目で見えるようになる。
　また、硫酸銅溶液で書いた文字は、アンモニアの蒸気にあてると見えるようになる。
　もちろん、不器用なスパイは、紙を濡〔ぬ〕らしすぎたり、強く押しすぎて繊維に傷をつけて痕跡をのこし、せっかくのゲームを台なしにしてしまうこともある。
　検閲所には、不可視文字に関する標準テストが準備されていた。
　疑惑のある手紙は開封された。そして、まず三又〔みつまた〕の槍のような形に結び合わされた三本のブラシを、別々の秘密インキ顕色剤（秘密インキで書いた文字を発現させる薬品）の中につけ、手紙の裏を斜めに一掃きする。
　もし、いずれかの顕色剤が反応を示せば、手紙は全面的にテストされる。
　もし反応がなければ、さらに次のテストが行なわれる。
　「私たちは、一通の手紙が、日付をローマ数字（X・Ｉ・XIL）で、その他はアラビア数字（10・1・41）で書かれていることに気づきました。
　そこで、これが何を意味しているのかを発見しようと試み、手紙の中でローマ数字があれば、ある種の秘密インキが使われ、アラビア数字のときは、別の特殊な秘密インキが使われていることが、ついにわかったのです」
　秘密インキの戦いで優位を保つためには、敵が新しい顕色剤を発見しないうちに、常に新しいインキを考案してゆくことが必要だった。
　ナディア・ガーディナーが、バミューダの研究室で実験するよう要請したのは、非常に単純なものであった。
　研究員は、「ジョー・Ｋ」からの手紙をとりあげ、ヨード結晶を敷きつめた上を草でおおってある盆の中に入れた。
　ヨード蒸気は、隠されていた通信文を明らかにした。完全に色があらわれると、それは次のように書かれていた。
　「イギリスは、アイスランドに七万の兵を派遣しており、『ビーユ・ド・リエージュ』号は、四月十四日ごろ沈没した」

11 開封作業も慎重に top

　ガーディナー嬢の推測は正しかった。
　「ジョー」は、価値のある情報を送っていたのであった。「ジョー」の使っていたインキは、ピラミドンの溶剤だった。ピラミドンは、薬剤師から容易に手に入れることのできる錠剤で、頭痛薬として使用されていた。
　ピラミドンは、現在イギリスの毒物リストに記載されているから、時には頭痛薬以外の用途もあったのだろう。
　「ジョー」が行なったのは、錠剤をつぶしてその粉をわずかな水に溶かし、楊枝〔ようじ〕で紙に書くことであった。
　余りにも簡単な方法だったので、検閲官の注意をひかず、研究員たちは、それをみつけることができなかった。
　あらゆる暗号解読の場合と同様、解読されたことを敵に気付かれてしまえば、それは無価値となる。
　「ジョー」の秘密インキが発見されてからは、研究員たちは、彼の通信文を写真にとった後、元通りにしてヨーロッパヘ発送した。
　検閲所の研究員たちは、自分たちの行なったことを隠すために、便箋をいためずにインキを再び透明にする化学試薬のストックをいつも特っていた。
　最初に用いられていた糊で封筒を再封印し、隠された通信文を捜すのに取り除かれた切手を再びはりつけるために、特別の樹脂が用意された。
　ドイツの研究員たちは、封筒についている異なった糊の有無によって、敵が手紙を調査したかどうかを、極めて慎重に検査したので、このような用心がどうしても必要だった。
　のちになって、しばしば、封筒をあける必要の全くない場合のあることがわかった。
　何故なら、封印された手紙のほとんどは、封筒の端近くで、糊がついていなかったのであった。
　そのためわずかなすき問かおり、そこから強くて細い二本の針金をさし込んで、中の便箋を針金のまわりに固く巻きつけ、封筒のすき間からそれを取り出すことができた。
　読んだあとは、逆の順序で便箋を元にもどせば、誰もそんなことに気付かないのである。
　「ジョー」の手紙は、引き続き検閲され、解読され、写真を撮られてから、元通りにして郵送された。
　このとき、封筒に押されていた検閲官の印が目立ったが、この印によって、ドイツ側は、手紙は読まれたが、解読されていない、と確信するはずであった。

12 「ジョー・Ｋ」の身元が判明 top

　「ジョー」の秘密情報の重要性は、週を追うごとに増大していった。
　そして彼の情報網は明らかに拡大し、より効果的なものになりつつあった。
　今や、イギリス情報局がスパイ組織に急襲をかけ、これを根絶すべき絶好のチャンスであった。
　しかし彼の手紙の中には、「ジョー」の正体をつきとめるのに役立つような個人的情報は、依然として表われなかった。
　ただ一つの手がかりは、郵便局の消印が、常にニューヨークであったことだけだった。
　だが、そこには、一〇〇〇万人以上が住んでいた。
　「そんな毎日が続いたある日、タイムズ・スクエア（ニューヨークの中央部ブロードウェイと42番街との交差点広場。付近には劇場が多い）で、ある人が事故にあったことに関する若干神経過敏症的な内容の手紙を入手しました」
　その手紙はマドリッドあてであり、その裏側に不鮮明な秘密インキで書かれていた通信文には、ニューヨークのラッシュアワーの真っ最中に、「ジョー」の友人の「フィル」が、はねとばされて死んだというニュースが書かれていた。
　その遺体は、セント・ビンセント病院に運ばれていた。
　これは、バミューダ検閲所が待ち望んでいたものであった。
　イギリス情報局から、係官がニューヨークヘ飛び、アメリカのＦＢＩ（連邦捜査局）の協力により、死んだ「フィル」の身元から、「ジョー」白身の身元が判明した。
　彼の本名はカール・フレデリック・ルードビヒといい、ドイツで育ったアメリカ人であった。
　彼は一九三〇年代の初頭にナチ党員となり、アメリカにもどって革製品のセールスマンをしていた。
　彼が秘密諜報員であることを隠すために使った用語は、革商人としての取引上使う手紙に由来するものだった。

13 好成績をおさめたバミューダ検閲所 top

　「ジョー」は、すぐには逮捕されなかった。彼は、スパイ組織九人全員の身元が明らかになるまで、注意深く尾行されていたのである。
　その後警察が動き出したとき、「ジョー」はおびえた。
　彼はアメリカ西海岸に高とびし、日本行きの船に乗船しようとした。
　ＦＢＩはシアトルまで追跡して彼を逮捕したが、そのとき彼は、大量のピラミドンと何束もの楊枝をもっていた。
　彼は恐ろしい偏頭痛に悩まされており、食後にいつも歯をつつくと言いはった。
　「ジョー」は二〇年の刑を宣告され、それまでイギリスとアメリカの両国に数え切れないほどの損害を与えてきたこのスパイ組織の活動も停止した。
　終戦によってドイツの秘密資料が手にはいるようになったとき、バミューダ検閲所で見やぶれなかったニューヨーク〜ヨーロッパ間の通信グループは、たった一つだけだったことがわかった。
　バミューダ検閲所は、じつに九五パーセントという、信じがたいほどの好成績を収めていたのだった。