|
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
Index 1
2 3
4 5
6 7
8 9 10
11 12 13
14 15 16
17 18 19
20 21 22
10 共和国は科学者を必要とせず
10.1 科学者ラヴォアジェ
アントワヌ・ロラン・ラヴォアジェは富裕なフランス人の息子として一七四三年に生まれた。
若いうちから勉学にずばぬけた才能を示し、とくに科学の研究に興味をもった。
そのころは、いろいろな職業から、科学を研究する人が急速にふえつつあった。
ラヴォアジェは金持だったので、必要な材料を買い入れることができ、すぐに当時最も輝かしい科学者の一人となった。
一七六七年にフランスの地質学的測量をしたあと、二十五歳という若さで、特権的なフランス王立科学アカデミーの会員に選ばれた。
彼がそのあとやりとげた仕事は、この異例の抜擢にこたえて余りあるものだった。
彼はそのころ信じられていた燃焼の理論（フロジストン説）がまちがっていることを明らかにし、精密な天秤を使うことが、すべての科学研究にぜひ必要な手段であることをはっきりさせた。①
しかしこの章では、おもにラヴォアジェと彼の国の支配者との関係を扱うので、政府のためにした仕事だけをあげることにしよう。
一七七五年に彼は政府の火薬工場の管理者に任命され、火薬委員会の委員として火薬の爆発力を大きくする手段を発明した。
またメートル法の確立と、農業への科学の応用の面で、国家に大きな貢献をした。
革命がおこったとき、革命の指導者は最初から彼の助力を求め、容易に偽造きないような紙幣（アシニヤ紙幣）の製造についてラヴォアジェの意見をきいた。 |
実験室のラヴォアジェ。右に記録を取る夫人の姿がみえる。
|
10.2 収税人組合員ラヴォアジェ
革命がおこる前、フランスでは、関税や、タバコ税、塩税、一部のアルコール飲料の税などを集める仕事を、「収税人組合」とよばれる富裕な金融家の団体がうけおっていた。②
彼らは国に毎年ある額の金を支払うかわりに、集めた税金を全部自分たちで分け合った。
一八六八年にラヴォアジェはこの収税人組合の一員となり、その能力からしてすぐに経営上で卓越した地位をしめるようになった。
彼はすぐに莫大な財産をたくわえた。
どんな時代であれ国であれ。税をとりたてる人間に人気があったためしはないが、フランスの収税人組合は特別にきらわれた。
彼らのおもな関心は巨大な利益をあげることにあった。
だから、取締を極度にきびしくし、脱税や密輸、とくに高い税をかけられている塩の密輸に、ひどくきびしい刑罰が課せられるようにした。
彼らの財務管理をめぐって多くのスキャンダルがあり、とくに収税人組合員が高位の人や有力者に不法な支払いをしたことや、王や王の愛人たちが毎年彼らから多額の金を受けとっていたことが知られている。
だから、革命から二年たった一七九一年に、国民公会が収税人組合の廃止を布告し、以後二年の余裕をあたえて組合財政を清算し報告するよう命じたとき、驚くフランス人はほとんどいなかった。
しかし収税人たちはこの仕事をひどくノロノロとしか進めず、あたえられた二年間がすぎても清算ができなかった。
この不必要なおくれと、ほかにも理由があって、彼らの不評判ははなはだしくなり、一七九三年の十一月に一議員が「これら吸血鬼」の逮捕を要求した。
国民議会は慣習に従って、ラヴォアジェを含むすべての収税人の逮捕を命じた。
10.3 裁判と処刑
捕われた人々は一七九四年五月まで裁判を待たされた。この月彼らは革命裁判所にひきだされた。
慣例の個人尋問のあとで裁判がはじまった。
首席裁判官はコフィナルという男で、目の前にひきだされた犠牲者の立場におかまいなく、皮肉をいったり、だじゃれをとばしたりするのが好きだった。
収税人組合員は、あらゆる種類のさく取と横領を行なってフランス人民に損害をあたえたかどで、共同責任者として、また個人としても告発された。
また担保から過大な利益を得た、国庫に支払うべき金をピンハネした、タバコに水やほかのまぜものを加えて市民の健康に害をあたえた、などの点について告発された。
最後にあげた訴因はでっちあげだった。
というのは、告発者自身、タバコの製造工程の途中で葉にいくらか水を加えなければならないことを知っていたからだ。
告発者は水が必要な量をこえていた、または有害な成分が加えられたという証拠を一つもあげることができなかった。
ラヴォアジェと、収税人の大部分は死刑を宣告された。
当時の慣例により、判決のあと数時間で処刑が行なわれた。
裁判の間に、ラヴォアジェがフランスに対して大きな科学的貢献を行なったことを指摘することが試みられたが、効果はなかった。
また、ラヴォアジェのためをはかるだれかが、ラヴォアジェのやりかけている重要な実験が完了できるように、判決を二週間おくらせる請願を出したともいわれる。
コフィナルが今なお悪評高い次の言葉で、ピシャリとはねつけたのは、そのときのことだったといわれる。
「共和国は科学者を必要としない。裁判をすすめなければならない。」③
ラヴォアジェの死は知識人の世界に大きなショックをあたえた。カーライルはこう書いた。
「春はその緑の葉と明るい日ざしを送る。明るい、かつてなく明るい五月。しかし死は立ち止らぬ。
ラヴォアジェ、この高名な化学者は殺される。化学者ラヴォアジェはまた収税人組合員ラヴォアジェでもあった。
今や『すべての収税人組合員は逮捕される。』 一人も残らず。そして彼らの金と収入の総決算をさせられる。
彼らが売った『タバコに水をまぜた』かどで殺される。
ラヴォアジェはある実験をなしおえるためにもう二週間の命を願った。
しかし共和国はそんなものを必要としない。斧はその仕事をしなければならぬ。」④
10.4 ラヴォアジェの追悼
ラヴォアジェが処刑されたのは、「恐怖政治」が終わるほんの数ヵ月前のことだった。
そのとき、ロベスピエールも、他の多くの指導的革命家も、例のコフィナルまでが、同じようにギロチンヘとかりたてられたのだった。
だんだんにフランスの人たちは、危険を感じることなしに思ったことをいえるようになった。
すぐに、フランスの科学者の多くが公然とラヴォアジェの刑死を残念がった。
有名なフランスの科学者ラグランジュが、今もよく知られている次の言葉をのべたのもそのころだった。
「彼の頭を打ちおとすのにほんの一瞬しかかからなかったが、これと同じ頭をもう一つつくりだすには百年かけても十分ではなかろう。」
一七九六年八月十二日、リセ・デ・ザール（美術学校）で、ラヴォアジェをたたえる追悼式が挙行された。
リセの年次記録にこの式の詳細が詳しく記述されている。その芝居がかった演出は当時の好みにかなうものであった。⑤
「リセの入口は広大な地下室へ導くようにしつらえられ、上のほうには『不滅のラヴォアジェに』という文字がきざまれていた。
最初の部屋にはヴォルテールとルソーの墓の模型があり、花輪、緑の葉、花でおおわれていた。
階段に面して、新しく切ったポプラで側面を作った高さ八メートルのピラミッドがあった。
ピラミッドの土台は白い大理石で作られ……葬式のアーチの形をしていて……『死者への敬意』ときざまれていた。
大広間は三千人をいれる設備があり、白斑を散らした黒布でかざられ、花づなが下げられ、二十の葬式のあかりがともされていた。
柱の一つ一つにそれぞれラヴォアジェの発見の表題の一つをかいた楯が下がっていた。
広間の背後にはデソーと、ヴィク・ダジールの墓の模型が立ち、大きなカーテンが公爵の礼服の形に下がっていた。
たくさんの聴衆が列席していた。男性は黒い服を着、女性は白の服にバラの髪飾りをつけていた。
式のプログラムには『死者へのふさわしい敬意』に関する一つの演説、有名な科学者フルクロワによるラヴォアジェの賛辞と、彼の魂の不滅をうたう歌唱がふくまれていた。
最後が、この式のため特に書かれた聖歌だった。
これを歌うため、部屋のすみにあったカーテンが引かれ、主な歌い手たちと百人の合唱隊が、自由の女神の像をいただいたラヴォアジェの『墓』をかこんで現われた。
コーラスが
彼の天才を永久に聖なるものとするために
彼をたたえる記念碑をたてよ。
の句でおわると、一つのピラミッドが現われた。その上にはラヴォアジェの半身像がのっていた。
像の頭には、伝統的にいつも天才にあたえられてきた不滅の月桂冠が飾られていた。」 |
この追悼式は、一人の科学者をたたえて行なわれた式のなかで、いちばん印象深いものの一つだったにちがいない。
出典
① Ｔ・トムソン『化学史』（一八三〇）第一巻。
Ｅ・フォン・マイヤー『化学史』（一八九一英訳）。
② Ｅ・グリモー『ラヴォアジェ（一七四三Ｉ九四）』（一八八八）。
③ Ｔ・Ｅ・ソープ『化学史に関するエッセー』（一八九四）。
④ Ｔ・カーライル『フランス革命史』第三巻。
⑤ 『リセ・デ・ザール年次記録』第四年。
top
＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊
|