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15 美人もまっ黒に
ハロゲートはエリザベス一世のころから、保養地として名高かった。
この女王の時代に、ある田舎の医者が、ハロゲートに自然にわき出る泉がすばらしい医学的ききめをもつと信じ、大いに宣伝につとめたのだ。
十八世紀の終わりごろには、各シーズン（七月から九月まで）にこの湯治場を訪れる人は約二千人に達していた。
長距離の旅がけっして容易でなかったそのころとしては、これは大変な数だった。
彼らは宿屋に泊まったが、その多くは粗末な田舎宿から大きな宮殿のような建物に成長したものだった。
人々は「内科と外科を問わず、あらゆる種類の病気」がなおることを願ってはるばるやってきた。①
泉をおさめた建物は、人々がその水をのむこともできれば、入浴もできるように設計されていた。
ある医者は一七九四年にこう書いている。「私たちが温泉にはいるのは、ぜいたくをたのしむ面もあるが、どちらかといえば治療のためである。しかしハロゲートではひたすら治療のためで、ぜいたくを目的とする人はほとんど一人もいない。」②
15.1 ビスマスのおしろい top
けれどもハロゲートの泉の歴史は、化粧品の歴史に比べれは問題にならないくらい短い。
なにしろ女性たちは大昔から、紅、おしろい、その他化学者が調合するいろいろな製品で自分を飾る方法をさがし求めてきたからだ。
十九世紀はじめごろ多くの貴婦人が使った化粧品の一つに、一六○○年ごろフランスではじめて作られ、多くの薬屋で「ブラン・ド・パール （白の美顔料）（原注）」の名で売られたものがある。
これはイギリスでは、ビスマスを含んでいるため「ビスマスの特別処方」ともよばれたし、皮膚に輝くような白いつやを生むので「パール・ホワイト（真珠白）」ともよばれた。
さしえに示すとおり、この粉をつけるにはウサギの足を使うのがしきたりだった。 |
アサギの足を使っておしろいをはたく
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（原注：この白い美顔料には、ブラン・デスパーニュ（スペインの白というフランス語）、ペルルワイス（ドイツ語、パールホワイトと同じ）など、ほかにもたくさんの名がある。それは炭酸ビスマスをできるだけ少量の濃硝酸にとかし、できた硝酸ビスマスを大量の水に注いでつくる。化学式はいろいろに表現される。組成がつくり方によっていくらかちがうからだ。たとえばＢiＯ3・ＮＯ5・ＨＯ、Ｂi2Ｏ3・5Ｎ2０5・ＳＨ2０、Ｂi(ＯＨ)2・Ｎ０3などがある。
この白い粉は長くさらしておくと灰色にかわる。化粧品に使っていると、時たま、顔にけいれん性のふるえがおこり、ひどいときは麻痺をおこすこともあるのが知られている。） |
“一老哲学者”と自称する十九世紀初期の著述家は、ハロゲート滞在中にこの化粧品を使った一婦人について、おもしろい物語を語っている。
「肌を白くしたいと格別つよく望んでいる婦人たちは、金属ビスマスの調合品をぬりたくるのが習わしだった。
信頼できる典拠によれば、この調合品で美しく白くなった婦人が、ハロゲートの泉に入浴したところ、美しい肌がたちまちうるしのようにまっ黒にかわったとのべられている。
この思いがけない変化に彼女がどんなにびっくりしたか想像できよう。
その婦人は金切声をあげて気絶したと報告されている。
彼女の従者たちは異様な変化をみてこれまたほとんど気絶せんばかりだったが、石けんと水で洗うと肌の黒い色がおちるのを観察したので、彼らの恐怖はいくらかおさまった。
婦人はすぐに意識をとりもどし、ことの真相を医者から説明してもらっていくらか心安らいだが、人々が自分の肌の白さの原因を知ってしまったので、手ばなしでは喜べなかった。」③ |
“一老哲学者”はつづけていう。
| 「もしもだれか婦人がこの調合品を使いつづけるなら、私は石炭の火にあまり近よらないよう特に注意せよと忠告したい。なぜなら顔が黒ずんできたなくなることうけあいだから。」 |
同じ著者はなぜ色がこんなふうにびっくりするほど変化するかを説明している。
それを近代化学の用語におきかえるとつぎのようになる。つめたいイオウ泉の水は硫化水素の匂いがする。
硫化水素の匂いは化学をちょっと学んだものにはすぐかぎ分けられる。
この匂いは、自由なガスが存在するため生じることもあるが、硫化ナトリウムという塩が存在するため匂うこともある。
ハロゲートのつめたいイオウ泉の水は約〇・二一パーセントの硫化ナトリウムを含んでいる。
だが泉の水をあたたかい空気にさらすと、硫化ナトリウムは酸化され（チオ硫酸ナトリウムになる）硫化水素がつくられる。
ビスマスの化合物のうち、少数が白色、ほかは黄色で、黒いものが一つか二つある。
黒い化合物の一つが硫化ビスマスで、実験室でビスマス化合物の溶液を入れた試験管の中に硫化水素を吹きこむと容易につくられる。
とうぜんこの黒い化合物は、ビスマスの特別処方をぬってハロゲートの鉱泉に入浴した婦人の肌の上にもできよう（硫化物の溶液は大変うすいけれども）。
また、老哲学者がいったとおり、それをぬった婦人が石炭の火の近くに坐ったときにもつくられる。
石炭の中にはイオウが含まれているから、もえるとイオウの煙がはきだされ、それがビスマスの化合物に作用するのだ。
出典
①Ｗ・ヘイソーンスウェイト『（ロゲート物語）（一八五四）。
②Ｔ・ガーネット『（ロゲートの鉱泉水に関する論説）（一八九四）。
③Ｊ・スコファーン『化学は神秘でない』（一八三九）。
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