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12　国王のために羊をぬすみだす

　スペインは古くからメリノとよばれる有名な羊の品種を産出した。
　この羊の毛は細くて質がよく、目のつんだ上等な布に織ることができる。
　イギリスは十二世紀ごろからスペインの羊毛を輸入し、以後何百年にもわたって輸入してきた。
　というのは、イギリスでもさかんに羊を飼いはしたものの、その毛は太くあらくて、下等な織物しかできなかったからだ。
　時代とともに流行はしだいに変化し、目のつまった織物に対する需要が増大した。
　それでイギリスの織物業者は、細い羊毛をもっとたくさん手に入れようと、頭をなやまさないわけにいかなくなった。
　細い羊毛を手に入れる可能な一つの方法は、イギリス国内産の羊をメリノとかけ合わせることだった。
　牧羊のさかんなリンカンシャーに大きな領地をもつサー・ジョゼフ・バンクス（一七四三〜一八二〇）は、この方法に強く心をひかれた。
　バンクスは多方面な人だった。
　若いころは探検家で、植物学の研究したし、またずっと前から羊と羊毛に、とくに彼の州をあれほど有名にした長毛種の羊（リンカーン種とよばれる）に大きな関心を向けてきた。
　この物語の時代には彼は王立協会の会長で、国王ジョージ三世の大のお気に入りだった。
　ジョージ三世も農業には大変熱心な人だった。

　1 スペインはメリノ種羊をたいせつに守った top

　メリノ種の羊はそのころスペインで大変だいじにされていた。
　それは王族、貴族（グランデとよばれた）、富裕な僧院の院長など、この国の最も重要でまた金持の人々が所有していた。
　所有者たちはみな団結してメスタどよばれる組合をつくったが、この組合はたくさんの特権をあたえられていた。�@
　羊は冬から春にかけて平地の牧場の草を食べ、ここで雌羊はふつう十二月に子を生んだ。
　しかし四月になると羊は山岳地方へつれていかれ、高地のいなかのゆたかな草地で夏をすごした。
　平地から山岳地方へ出かけ、またもどってくる旅は長かった。
　多くの羊は片道四百マイルも歩かなければならなかった。羊たちはそれを一日約十二マイルの速さで歩いた。
　羊が通る道はじつは草のはえた道路で、幅八十四ヤードと法律できまっていた。
　道路は地方から地方へとまがりくねって走り、これが通っている土地の持ち主はすべて年二回の羊の移動にそなえて道路をきれいにしておかなければならなかった。
　適度な距離をおいて広い休憩地が設けられ、羊はそこで草を食べることができた。
　すべての羊は旅の途中で毛を刈られた。
　強権をもつメスタは警察に命じて羊を「道中すべての危険、妨害、阻止から」守らせた。
　何びとも、歩行者でさえ、羊が移動している間は、群れにつきそう人以外は、この道路を歩くことを許されなかった。
　また、メスタが古くからもつ特権によって、羊たちは途中にあるどんな牧場――村人のものだろうが共有地だろうが――からも自由に草を食べることができた。
　長途の旅行は羊たちに非常な苦労を強いた。
　ことに、春の旅行は子羊が生まれてたった四ヵ月しかたたないうちにはじまるので、よけいひどかった。
　だからメリノ種羊はけっして肥らず、肉はかたくて筋っぽかった。
　しかし羊はただ羊毛をとるために育てられ、肉はひどい貧乏人か羊飼しか食べないものとされていたから、そんなことは問題でなかった。
　また旅の途中でからだの弱い羊がたくさん死ぬことも、たいした問題ではなかった。
　というのは、どっちみち、群れが大きくなりすぎてメスタが統制しきれなくなるのを防ぐため、毎年多数の羊を殺さなければならなかったのだから。
　羊の旅は、より弱いものを抹殺して群れ自体を「刈りこむ」一つの方法でもあった。
　羊の一つの群れは約一万頭から成り、メスタが任命した一人の役人に支配された。
　群れは十個の小さい群れに分けられ、おのおの五人の羊飼と犬たちを従えた一人の下役人にまかされた。
　小さい群れの一つ一つに、約六頭のなれた雄羊または去勢羊がいた。
　これをマンソスといい、ほかの羊たちを指導するよう訓練されていた。
　それらは鈴をつけており、羊飼の声に従って行動した。

　2 メリノは羊の改良に使われた top

　スペイン王室は何百年にもわたってこの品種が国外にもち出されないよう厳重に警戒した。
　一頭でも国外にもち出せば死刑に処せられた。
　王自身、そして王だけが、これを輸出する特権をにぎっていた。
　十八世紀半ごろにスペイン王はいく度かの機会にその特権を発動した。
　一七六五年に彼はいとこにあたるハノーバー選帝候に、三百頭の羊をプレゼントした。
　王はこのいとこが格別気に入っていたらしい。
　というのは、極上等の羊ばかり送るよう命じ、もしもその命令がうまく実行されなかったら担当者に十五年の禁錮を課すと布告したからだ。
　少し後で、同じような質のすぐれた羊がもう一度プレゼントされた。
　これらから、すぐれた羊の一品種がザクセンに生まれた。
　ほぼ同じころ、少数のメリノがフランスへ輸入され、土着の羊にかけあわされた。
　それが大変に成功したので、フランスばかりでなくイギリスでもメリノ種羊に対する関心が大いにたかまった。
　そして少数のイギリス農家がそれを何頭か買って、自分の飼っている羊にかけあわせた。�A

　3 バンクス、メリノをぬすみだす top

　イギリス国王ジョージ三世はよく「百姓ジョージ」とよばれたほどで、ロンドンに近いキューに大農園をもち、自らもチョイチョイここに足を運んだ。
　ある日、侍従武官のロバート・ファルク・バレビル大佐とともに馬に乗っていたとき、ふと立ちどまってそばにいる一群の羊を観察した。�B
　グレビルは羊のほかの品種について語りはじめ、スペインからきたメリノ種羊がザクセンの羊を大いに改良したことを話した。
　王は強い印象を受けて、そのスペインの羊をイギリスへもってくることはできないかとたずねた。
　グレビルはできないことはないでしょうと答えたので、王は彼にその方法を考えてくれとたのんだ。
　グレビルは、そのころ牧羊業に熱心なので有名なジョゼフ・バンクスに相談した。
　バンクスは喜んでその仕事を引受けた――きわめてむずかしい仕事だということは重々わきまえていたが。
　スペイン王はジョージ三世とは何の縁戚関係もなかったから、ザクセンのいとこにしたようにイギリス王にも羊をプレゼントするだろうとは期待できなかった。
　実際、バンクスにいわせれば、「スペイン王の特許状がなければ羊をスペインの港からつみ出すことはできないが、当時特許状を手に入れられるかどうかは疑問だった」。�C
　そこで、ある羊の歴史家の言葉によれば、「メリノを何頭か集めて、国外へもち出すための策略が講じられた。」
　それは「一種の密輸的取引き」だった。�D

　バンクスはひそかに人を通して、あるポルトガルの役人に、スペインの羊をポルトガルを経てイギリスへ送る可能性について相談した。
　バンクスの友人の一人がポルトガルに行ったとき、

　策略の詳しいことはよくわからない。バンクスが書きのこしていることはこれだけだ。

　すでにのべたように、メスタは羊の群れの大きさが増してはならないと規定しており、毎年たくさんの年とった羊が殺されて、若い羊におきかえられた。
　だから、たちのよくない羊飼が殺すはずの羊を殺さずにおいて、内証で売りはらうことは容易だった。
　代理人があちこちでいろいろな群れから少しずつ羊を買い、密輸人たちのおきまりのやり方で、安全に国境をこえさせたのだろうと考えられる。
　それはともかくとして、ジョゼフ・バンクスはこう報告することができた。

出典
�@　Ｃ・Ｐ・ラステリー『メリノ種ビッグの導入の話』（1810英訳）
�A�D　Ｗ・ユアット『ヒツジ』（1894）
�B　Ｆ・Ｍ・プラトン『ロバート・ファルク・グレビル大佐の日記』（1930）
�C�F�G�H　Ｊ・バンクス『メリノ種ヒツジに関するいくつかの事情』（1809）
�E　Ｗ・Ｒ・ドーソン編『バンクス書簡集』（1958）