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18　プリムソルのマーク――満載喫水線

　イギリスはじめ世界各国の船舶は、小さいヨットや漁船のような少数の例外を除いて、すべて横腹に、満載喫水線とよばれるいく本かの横線を色で記入してある。
　この線は、その深さまで水中に船を沈めても、沈没の危険はないことを示すもので、その船にどれだけ貨物をつんでよいかという限界を表わしている。
　線がいく本もあるのは、船が航行する海水の温度と塩分の濃さによって安全な深さがちがってくるためだ。
　イギリスではこの線を、サミュエル・プリムソル（一八二四〜一八九八）にちなんでプリムソル・マークという。
　プリムソルは一八六八年から一八八〇年まで、ダービー選出の自由党の下院議員をつとめ、この線の表示を義務的なものとする法案を通過させるにさいして、歴史的な、またセンセーショナルな役割を演じた。�@

　1 ホール、海運業界を非難 top

　十九世紀半ばになると、ジェームズ・ホールというニューカッスルの船主が、海運業界に対し手厳しい批判を加えた。彼は海上運送にあてられている船舶の状態に深いショックを受けたのだ。
　彼のいうところによれば、船舶の多くは航海に耐えないものであるうえ、荷物をつみすぎたり、運転のための装備が不十分だったり、よくはたらかなかったりしていた。
　こういった悪条件が原因で、多くの船が海で沈み、しばしば多数の人命が失われた。
　これらのぼろ船は「コフィン・シップ」（棺桶船）とよばれたが、たいてい保険をつけすぎるほどつけていたので、沈没しても不埒（ふらち）な船主たちは損しなかった――実際、それどころか、彼らは船が沈んだおかげて大もうけすることもちょいちょいあった。
　当時の法律では、こういうゾッとするような状態を終わらせることはできなかったので、ホールは法律を改めさせるための十字軍を開始した。
　しかし彼はこの面ではわずかしか成功しなかった。
　というのは、一八七一年にこの事態を処理する法案が通過したが、それはホールが希望したように、荷物のつみすぎを法律違反とするものではなかったのだ。

　2 プリムソル、船舶状態の改善を主張 top

　この法案が議会を通過しつつあったとき、ホールはサミュエル・プリムソルに会った。
　プリムソルは、たぶんそれが初耳だったろうが、商船の条件がどんなにひどいかを正確に学び知った。
　ホールの問題提起は、ダービーから選出されたばかりのこの議員のヒューマニスティックな性格に強くアピールする種類のものだったので、彼はすぐにホールにかわってキャンペーンを指導する主力となった。
　彼はホールが提案した改革の大部分を強力に弁護しただけでなく、まるで自分がはじめていいだしたみたいにそれらを自分の提案として推進した。
　彼はこの運動にとことんまでうちこんだので、まもなくたいていの人は、提案された改革にホールでなく彼の名を結びつけて考えるようになった。
　プリムソルの攻撃が最大の力を発揮したのは、一八七三年、今も有名な彼の著書『われらの船員――　一つのアピール』が現われたときだった。�A
　その中で彼はこう書いた。

　この本は多くの新聞からあたたかく迎えられ、その中に示唆された改革は強い世論の支持を受けた。
　彼はそれに力をえて、本が刊行されてから二ヵ月たたないうちに、その本の中にのべられている事項の多くについて調査し報告するための王立調査委員会を設けよという議案を下院に提出した。
　彼がどんなに説得力のある訴えをしたかは、短い抜粋をあげただけで明らかになるだろう。
　プリムソルはこうのべた。

　3 名誉毀損で訴えられる top

　不幸なことに、プリムソルは熱意のあまり勇み足をぶんだ。
　というのは、確かに彼に「廃船買入屋」とか「難破船持ち」とかきめつけられても仕方ないような人もたくさんいたが、その反面、よい雇い主もたくさんいたのだ。
　だれを非難攻撃するかをきめるとき、彼は手にはいった情報をまるきり確かめなかったか、確かめたとしても全くお座なりだった。
　もしも彼がもっと用心深かったら、やはり船主だった二人か三人の下院の同僚議員を非難することは思いとどまっただろう。
　だが彼はそれをやってしまった。
　これらの議員は、そういう船員の惨状をふみ台にして大きな財産をつくり、議会にはいってからも、この問題に関する立法を妨害するため、できるかぎりの手段を講じている、と彼はいった。
　これはきわめて重大な言明だった。
　やり玉にあげられた議員の一人がプリムソルに対し、名誉毀損――重い犯罪――のかどで告発したのは驚くにあたらない。
　この議員は法廷で次のようにのべた。自分は座礁または衝突によるほかは、一隻の船も沈没で失ったことはない。
　ただ一つの例外を除いて、天候が原因で船を失ったことはない。
　一人の船員の生命も失ったことがない、と。�C
　裁判はひどく長びいたが、高等民事裁判所は、プリムソルが不十分な証拠に基づいて性急に声明を出した点は責められるべきであるという評決を下した。
　しかしこの件はプリムソルに刑法を適用するには相当しないと裁判所はつけ加えた。
　けれどもプリムソルは自分自身の訴訟費用を支払わなければならず、それはかなりの額にのぼった。�D

　4 議会での暴言が法案を通過させた top

　プリムソルの提案により設けられた王立委員会は、報告書を提出したが、それは彼の船荷のつみすぎに反対するキャンペーンに、事実上何の支持もあたえなかった。
　しかしプリムソルは屈しなかった。
　ついに一八七五年に「海運法」を改正する法案が提出された。
　この法案の第一条は、すべての船は、ロイズまたはリバプールの船級協会ですでに検査を受けたもののほかは、それぞれ今いる港を出る前に検査を受けなければならないと規定する。
　第二条は、どの船もそれより深く水中に沈めてはならないという、最高限の載貨喫水線をつけねばならないと規定する。
　この法案は容易に通過しなかった。
　首相のディズレーリが、政府はこの法案を撤回する意向であると声明したとき、事態は危機に瀕した。
　その直後、議会ではめったに見られない光景が出現した。プリムソルは完全に自制を失ってしまったのだ。
　彼は興奮しきって前へ進み、議会の休会を提案した。
　彼は、議事が再開されたときには、商務大臣から、一八七四年におこったある船の沈没につき、またそれがプリマス選出の議員ベーツ氏の持ち船ではなかったかどうかについて、報告を要請するだろうといった。
　さらにつけ加えて、自由党の議員の何人かについても、同様な質問をするだろうとのべた。
　ついで、ギョッとするような言明が発せられた。
　「私は、これら船員たちを死に送りこむ悪漢どもの仮面をはぐ決意である。」�E
　プリムソルは椅子の前に立ち、はげしくからだをゆすり、足をふみならし、にぎりしめたこぶしを大蔵省のベンチへ向かってふりたてた。
　議会でのそんな行為は、もちろん見逃されるはずはなかった。
　ことに、仲間の議員を悪漢とののしったことは重大だった。
　首相は彼の懲罰を提案したが、プリムソルの友人たちは彼をかばう発言をし、下院議長は彼に、来週の同じ曜日に自分の席に現われるよう命じた。
　一週間後にプリムソルは、「人がいっぱいつまって、そうぞうしい議会」で、深い遺憾の意を表明した。
　下院は彼の陳謝を受入れた。�F
　結局このできごとは、彼の主張に何の害もあたえなかった。
　それどころか、事件は大きな世間の注目を集めたので、政府は新聞論調や世論一般に尻をつつかれ、法案の通過をいそがざるをえないはめになった。
　かくて一八七五年八月に法案は下院を通過し、一八七六年の「商業海運法」となった。
（一九三〇年に国際満載喫水線条約が締結され、満載喫水線の表示は国際的に義務づけられた。）

出典
�@『イギリス伝記辞典』
�A　Ｓ・プリムソル『われらの船員――　一つのアピール』（1872）
�B�D　『図解ロンドンニュース』1873年6月14日号
�C　同1873年4月26日号
�E　同1873年7月24日号
�F　同1873年7月31日号